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連休巡礼(4)

旅の4日目、道の駅とよおかマルシェの車内で寝ていた私は明け方に目を覚まし、しばらくシュタイナーの本『秘儀参入の道』を朗読した。それからまたひと眠りしたと思う。

起き出したときは、周囲の車はもう活動を開始していて、昨晩確認してあったキャンピングカーの大半がすでに出発していた。われわれは今日の前半は大きく移動はしないから、のんびりしている。

道の駅「とよおかマルシェ」。数年前にできたところらしい。店舗が併設されていて、すぐ隣にドラッグストアーもあり、ここで買い物もした。

テールゲートを開けて、湯を沸かし、いそいそと朝食の準備をする。食べ終わる頃には店舗も開店となり、中を覗く。今回、持ち物で忘れたのは、小袋に無洗米を入れて分けて持ってくることだ。準備で必死になっているうちに用意し忘れてしまったのだ。

道の駅に隣接しているドラッグストアで米のコーナーを見る。長野県産の無洗米も置いてあったが、5kg入りで、いささか大きい。以前にも米を忘れて途中のコープで買ったときがあったけれど、このときは2kg入りがあった。
しかし背に腹は代えられないので、5kgを買うことにした。そろそろ飯を炊きたくなってきたのだ。明日にはキャンプ場に移動する予定だし。

そのほかの買い物も済ませて、10時前くらいに道の駅とよおかマルシェを出発。昨日目星をつけておいたガソリンスタンドに滑り込んで、給油とタイヤのエアチェック。一昨日の2日に給油してから約382kmを走り、燃費は9.8km/ℓくらいだった。やはり10kmを超えるのは難しそうだ。

それから、天竜川を渡り、飯田市内を通過して、高森温泉御大の館に向かう。旅も4日目で、格別汗をかくようなことはしてないとはいえ、そろそろ温泉に入りたくなってきたのだ。10時にオープンする温泉に到着したのは10時半頃。11時半まで入ろうということで、われわれ夫婦はそれぞれ男湯と女湯に向かう。

朝イチのはずなのに、露天風呂などけっこう人がいた。やはり連休中と言う感じだ。さっぱり汗を流してからロビーに戻ると、天竜川を挟んで対岸の河岸段丘や丘陵地帯、南アルプスの山巓が望めた。

高森温泉御大の館からの展望。手前のグリーンと対岸の間を天竜川が流れている。

車に戻ったところで、飯田で会う二人目の人物、M氏に連絡。14時半に飯田市役所の駐車場(休日は昼間開放されている)で会おうということになった。M氏はIT関係の会社を経営されていて、昨日会ったT氏同様、英国生まれのペッタンコのスポーツカーを所有しており、一時期は仕事場の一階にかなりの規模のスロットカーのコースを展開していて、ここでずいぶんと遊ばせてもらったものだった。

温泉を出発したら、もうほとんど正午。腹も減ってきた。飯田市街に戻り、吉野家で焼き鳥丼みたいな丼ものをかき込む。ここも混んでいて、外でしばらく並んだ。

市役所の駐車場も混んでいたが、しばらくしてなんとかスペースを確保できた。約束の14時半まではまだ時間があるので、市内を散歩することにする。
市役所の駐車場が混んでいるのは、すぐそばに小さな飯田市営の動物園があるからだ。なんといっても今日は5月5日、子どもの日なのである。

その動物園の筋向いにあったのが、「道草」という名の喫茶レストラン。実は私の書いた小説『丘の上の小さな街で』の中で、「寄道」という名で登場してもらっている。2005年頃から2009年頃にかけて、飯田に仕事で通っていた頃には、ずいぶんとこの「道草」で食事をさせてもらった。自著を一冊マスターにお贈りもした。

マスターのほうでもよく私のことを覚えていてくださり、T氏が店に現れると「白鳥君はどうしているんだね」と再三聞かれたという。しかし、まことに残念なことながら、数年前にマスターは病で亡くなり、店も営業を終了したということなのだ。今回の飯田来訪を計画したときにも絶対にこの店は外せないなと思っていただけに、訃報は辛かった。

「道草」の看板はまだ在りし日のまま、残っている。拙著『丘の上の小さな街で』では、「寄道」として登場した。

「道草」の表側と裏通り側を見てから、われわれは飯田市街地の一角をしばらくさまよった。かみさんの曽祖父の代が、このあたりで木綿を中心とした着物(いわゆる、ふとものだな)の店をやっていたらしいのだ。むろん戦前の話で、飯田の大火の前のことであるから、それらしき辺りで地元の人何人かに聞いてみたのだが、やっぱりよくはわからない。

なにしろ80年か90年以上前の話なのだ。無理もない。おそらくは本通りか銀座通り辺りではなかったかという話になった。そんなことをしているうちに約束の時間が来たので、市役所の駐車場に歩いて戻る。駐車場は空き始めていた。

われわれが車のところに戻ると、ほぼ同時に、M氏がNBに乗って現れた。彼とも10数年ぶりの再会である。たがいに土産を交換して、さて歓談と相成る。少し風が強いが、傍らにある階段のところで店を広げた。飲み物はM氏が提供してくれた。

話始めた矢先、3人のスマホがけたたましく鳴り始める。地震警報だ。石川で大揺れしたらしい。飯田では揺れる気配はなかった。

スロットカーのこと、鉄道のこと、車のことなどを話しているうちにあっという間に時間が経つ。近い世代だけに話も通じる。私が飯田に通っていた時期からすでに14年近く経過し、私はもはや60代になってしまったが、彼は変わらないように見えた。

名残り惜しいが、まだ行かなければならないところもあるし、市役所の駐車場で別れることにした。出発するわれわれをM氏は見送ってくれた。

今度は市街地から中央通りを下り、天竜峡に向かう。かつてはずいぶんと栄えた観光地である。国道151号から左折して、飯田線と天竜川を渡り、無料駐車場に入れる。

天竜峡に来た最大の目的は、知人がやっている店を訪ねることだったが、残念ながら留守であった。天竜峡には2007年の夏に一週間ほど滞在したことがある。懐かしい場所がいくつかある。

天竜峡。昔はずいぶんと知られた観光地だったのだ。
飯田線の天竜峡駅。昔日のままだった。
天竜峡滞在時によく利用させてもらった食堂。知人の店は食堂ではないので、また別のところにある。

天竜峡に滞在した2007年の頃は、自転車関係の仕事で忙しかった頃で、今思うとずいぶんと懐かしい。飯田と天竜峡界隈のいろんなところを走ったものだった。

しばし感傷に耽ったあと、天竜峡を後にする。これで、今回の旅で会いたかった人々、訪れたかった場所のほとんどと触れ合うことができた。ミッションは達成されたのだ。

もういちど飯田市街地を通り、用事を済ませたあと、広域農道で北上する。ほどなく中央道松川ICに到達し、そこから高速に入る。

夕暮れが近付く中、駒ヶ根SAで小休止。ぼちぼちお腹も空いてきたことだし、ここで夕食を取ることにする。すでに時刻は18時頃だ。

食券の自動販売機で、私は駒ヶ根名物のソースかつ丼、かみさんは山菜蕎麦を選ぶ。SAのメニューだからそうたいして期待はしてなかったが、これがかなり旨い。かみさんも山菜蕎麦がひどく美味しかったと言っていた。

夕闇の迫る中央道を一路山梨方面に向けて北上する。ここでも速度は約80km。重量も空気抵抗も多いので、飛ばしても意味はない。岡谷JCTを回り、諏訪湖SAに近付くと、本線上に車があふれだしそうなくらい渋滞している。やれやれ。駒ヶ根SAで食事を済ませてきてよかった。

中央道のこの区間を走るのは実に久しぶりで、キャンピングカーになってからは初めてだ。大月から先はずいぶんと渋滞しているらしい。家にそのまま帰るなら、双葉JCTから中部横断道に入るのだけれど、今回の旅の最終目的地は本栖湖キャンプ場なので、そのまま南下。

甲府南ICを出たのは、20時34分。かなり前に無料になった甲府精進湖道路を北上して、精進湖のほとりに達したのは21時頃。県営の無料駐車場に車を入れる。迷惑にならぬよう、ホテルや宿泊施設の駐車場を兼ねていそうなところは避け、ふだん全然使われていない大型バスの駐車場の傍らに停める。

ここで車中泊の準備だ。きょうで4泊目で、連続車中泊回数としては新記録。辺りは静寂に包まれている。傍らの道路も時折しか車はこない。そんなこんなで夜はすぐに更けていった。

精進湖から見た夜中の富士山のシルエット。









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白鳥和也/自転車文学研究室
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