見出し画像

ミミオのいない2度目のキャンプ

3/1に愛猫のミミオを18歳で亡くしてから今回で2回目のキャンプだった。猫を連れてキャンプに行くことは世間ではあまりないが、うちはここ10年、ずっとそうしていた。

ミミオがいた頃は、キャンプではけっこう気を使っていた。キャンピングカーの中が暑くならないように、こまめに日陰を探して車を移動させたり、2時間おきにトイレの心配をしたりしていた。

車内にはもちろん猫砂を入れたトイレを用意しておいたし、駐車中も風通しにはずいぶんと注意していた。熱中症になったら大変だからね。

彼がいなくなってから、キャンピングカーでの車中泊キャンプはうんと楽になるかと思っていたら、案外それほど楽になったような感覚はない。ミミオがいたときはそれなりに気が張っていたのだ。

うちは子供のいない夫婦だから、人間の子供をどう扱うかは基本的に分かっていない。分かっていないが、18年間一緒に暮らした猫のことを思い返すと、親というものがどれくらい苦労するかわずかには想像がつく。

キャンプに猫を連れてゆくなんて無理だろうと思えることも、わが子ともなればなんとかやってしまうのだ。

親というものはそういうものかもしれない。子供がいるから、ペットがいるから、なんとかやれてしまうことをやっているのかもしれない。

慣れてきたから、努力したからそうできたというよりも、状況が人に物事を成し遂げさせるのであろう。

われわれはミミオと何度もキャンプに出掛けられてかけがえのない思い出を作ることができたのだが、ミミオのほうでもなんとかわれわれに合わせてくれようとしたのであろう。

考えるにつけ、どっちが大人だったのか分からなくなる。

松の梢が風に鳴る音を「松籟(しょうらい)」と言うそうな。



ご支援ありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。