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「根」と「祭り」と「ランドナー」

人には「根」が必要だと言われている。

それは、先祖へと遡る縦の血縁だったり、故郷の地縁だったりする。

近代のある時期までは、血縁も地縁も縦の向きでそれなりに人の生を支配していた。

良きにつけ、悪しきにつけ、人はそういうものなしでは生きられなかったのだ。

戦後とそれ以降の時代の到来を加速させた高度経済成長以降、少なからざる人にとってそれは希薄になった。

日本は戦争でアメリカに負けたことによって、過去へ遡る「時間の原理」よりも、「空間の原理」の影響を強く受けるようになった。

アメリカには日本のような歴史感覚が希薄で、縦よりも横のベクトルで世界と対峙しようとする国だったから。

高度経済成長はそのことを強力にプッシュし、血縁や地縁によって生業を得るのではなく、会社という共同体に自己の根を見いだす人々を大量に生み出した。

そういう時代に典型的な工員の息子として生まれた私も、血縁や地縁に強い「根」を見つけ出すことができず、かといって、会社にも共同体的な縁を感じることはできなかった。

そのように、われわれの世代の多くは、伝統的な町並みの中で行われる伝統的な祭りに生の情熱を感じるような生き方はできなかったのだ。

それで自分は自転車に乗った。
それが自分の山車であり屋台であり祭りであったからだ。

時は高度経済成長のような大波の第2波であるバブル経済が崩壊した頃だった。
そして自分が自転車の旅で何を探していたかというと、自分に縁のある土地であり人脈であった。

しかしその結果、そういうものに本当に出会えたかどうか、今でもわからない。

自分という存在を何とか支えてくれるようなものを求め続けたという点で、私にとって自転車は哲学的、宗教的なニュアンスを帯びていた。

私は自分の内側ではなく、自分の外側に自分と縁のある何かを探し続けてきて、そして結局、その旅に敗れたのかもしれない。

だから私にとって、自転車は大勢の人々とやるような何かではなく、本当に気の合う何人かと共有するようなものだった。

最近腰を痛め、レントゲンでは脊椎の第5番が滑っているのが判明したので、これから先また前傾姿勢の自転車に乗れるようになるかどうかもわからない。

「根なし」の人間にとって、ランドナーのような一定の様式美を持った自転車は、一人で担ぐしかない、ある種物悲しい山車や屋台でもあったのだ。

その意味で、私の祭りの一部は終わった。

この先に何があるのか、自分でもわからない。


2015年春、遠州森駅にて。N氏のランドナー。木製の長椅子は、1977年の真夏に初めて森町を自転車で訪れたときに腰かけたのと同じものだった。

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