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浮世離れ

きょうは珍しく早起きした。自治会のビン・缶収集の当番なのだ。5時半に目覚ましのテレビが点いて、6時15分頃に家を出た。

6時半収集開始の会場にはすでに近所の衆などが集まっている。雨が止んでいて良かった。気温も暖かいから楽だ。

作業を手伝いながら、合間に近所の衆が話す世間話を聞くと、どこの店が閉店・開店したとか、私学の授業料がどれくらいの金額だとか、われわれ夫婦の意識にはふだんあまり上ってこない話題がほとんどであった。

確かに子どもがいないと、世間話の範疇も狭くなってくるのであった。そういう、地に足が着いたような生活感覚が自分たちは欠落しているのかもしれない。

かみさんなどは夜中の2時頃にヘッドフォンをしてピアノ(キーボード)の練習をしているし、私は私で死者のための朗読を続けている。よくよく考えれば二人とも浮世離れしたことをやっているのだということにあらためて気づかされた。

どっちも、近所の人からすれば「はあ?」となるような事柄であろう。われながら可笑しくもなるが、そういう性分なのだから仕方がない。世間でふつうに通用するようなことにあまり関心が持てないのだ。

浮世のことは浮世で終わる。芸術と霊学は多次元的であり、生死の境域を超えて存在している。どうせなら、そっちのほうを主に見ていたいだけなのだ。


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