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忘れられぬルアー

画像は、フィンランド製ラパラのジョイントと呼ばれるルアーだ。1980年代の後半に買った。当時でも1500円ぐらいした、高価な部類のルアーだったように記憶している。一つ一つハンドメイドされて、スイムテストも行われているというのが売り文句だった。

今でも手元に残っているラパラは、このジョイントとあと11cmの金黒ミノーだけだ。このジョイントを金黒とかレッドヘッドとかの定番カラーにしなかったのは、バスの食性を考えてそうしたのかもしれない。

このジョイントを購入した頃は、ベイトタックルはまだ持っていなかった。1970年代の半ばに買った、ダイワのスピニング用ロッドを使っていた。ウルトラライトに近いライトアクションだったが、初めてのバスもそれで釣ったのだった。折れてもいないのに、あのグラスロッドを後年捨ててしまったのは愚かだった。

しかしそのしょぼい道具で、私は今まで半世紀あまりも釣りをしてきた中で、最も大きい魚をかけたのだ。キャッチすることはできなかったので、世間によく言われるがごとく「釣り落した魚は大きい」ということになるが、控えめに言っても60cmは超えていただろうと思われる。

とはいえ、その魚がこのラパラのジョイントに食らいついたとき、私はまだそれがどんな種類の魚だったかも分かってはいなかったのだ。1960年生まれの私は、中学生の時分からルアーフィッシングを始めていたが、釣った魚のほぼすべてがウグイで、ラージマウスバスを釣ったのは1989年が最初だったのだ。

そして同じ年に私はこれまでで最大の獲物を針にかけたのだ。その湖は、田貫湖と呼ばれる朝霧高原にある小さな湖で、周囲は約3.3キロ、深さは約8メートルしかない。

当然夏になれば水温も上がる。だからこの湖に生息しているのはコイやヘラブナ、ラージマウスバスと相場が決まっている。ウォームウォーターなのであって、冷水性のマス類はいないと考えるのが普通だった。

7月のある日の早朝だった。暗いうちから車を走らせて田貫湖に着いた私はタックルを準備してポイントに向かった。北岸から湖に入った。目当てはバスだった。

ちょうどその時期は、ヒグラシが北岸の斜面の杉林の中で大量に鳴いている頃であった。そして羽化したばかりでまだ飛ぶことの下手なセミか、あるいはもう寿命が尽きて飛翔力の落ちたものか、どちらかはわからないが、そういう不運なセミが湖面に落ちる。そして羽根をばたつかせる。

それをバスが食いにくるのだ。まさにトップウォーター・フィッシングの絶好の条件なのだ。目当てのポイントに近づくまでに、すでに岸辺近くでそういう光景を見た気がする。

湖には一面に霧が出ていた。水面と霧との区別がつかないくらいだった。

岬のようなところを回ったところに、当時はヘラブナ釣り用の桟橋があった。誰もいなかった。私はそこに入って、セオリー通り、岸と平行にラパラのジョイントを投げた。ラパラはぽちゃんと水面に落ちた。

次の瞬間、驚くほどゆったりとした挙動でそいつはラパラに食らいついたのだ。私はすぐさま反応してロッドを立てた。ルアーがそいつの顎に食い込むのとほとんど同時に、そいつは沖のほうに走り始めた。即座に私はドラッグを調整してラインを切られぬように注意した。

その時点ではまだ魚が何か分かってはいなかったが、以前にバスを何匹か釣った経験があったので、それがバスではないことはすぐに分かった。バスなら、かけた場所でファイトする。走ることはない。そしてバイトも非常にゆったりとしていた。

もしかしてソウギョか?とも思った。コイのようには思えなかった。ソウギョがセミを食うというような話は聞いたことがないが、あの図体はそうなのかもしれない、と考えた。

私は自分の膝から下がガクガクと震えていることを意識した。小学校4年生ぐらいで釣りを始めて以来、こんな大物と渡り合ったことはないのだ。

膝の震えが止まった頃、時計を見たら6時頃で、すでに10分は経過していたはずだった。大物の走りは止まらず、すでに何十メートルかのラインをスプールから引き出していた。

沖合でそいつが身をよじると、そこが波立った。それだけで魚体の大きさが知れた。もしかしたら80センチくらいあるのかもしれない。

私は大物用のネットなど持参してはいなかった。とても引き抜けるサイズではない。ともかく、相手が疲れ切るまでファイトするしかなかった。

やがて少し霧が晴れ、対岸のキャンプ場で起き出してきた家族が何か会話をしているのが聞こえてきた。私が反対側の北岸で大魚とファイトしていることなど知っているわけもない。

そのうちにまた魚は走り、またラインが華奢なスピニングリールから引き出された。少なくとも全部で数十メートルは出て行っているはずである。しばらくすると、出て行ったラインに結び目があることが分かり、私は青くなった。ブラッドノットで結ばれているようだから、そこで切れる可能性は少ないとはいえ、結び目が空中にあるのは心臓に良くない。

なんとか、結び目のところまで巻き取ってしまいたかった。そして私は無理をしてしまった。強引に巻き取ろうとしたところ、急にルアーが軽くなったのだ。ラパラのジョイントは力なく私の足元に近寄ってきた。

逃してしまった。やられた。ばらしてしまったのだ。

私はしばし呆然としてその場に佇んでいた。巻き取ったルアーを見ると、とレブルフックの1本が伸びかかっていた。

そしてラパラの背中には歯型があった。あとで人に見せたら、これはバスの歯型じゃないですよ、と言われた。もちろん、コイやソウギョにも歯はない。

その日はもうそれ以上釣りを続ける気力が起きず、車を止めたところに戻ろうとして歩いているとき、少し沖合の表層近くを紡錘形の大きさ40センチくらいの魚が泳いでいるのが見えた。ニジマス=レインボートラウトだった。

聞いたところによると、田貫湖ではもちろんレインボーが自然繁殖することはないのだが、釣り大会のようなイベントで近くの養鱒場から入れたものがしばらく生き残ることがあるのだと聞いた。私が釣り逃がしたのは、そういう中の一尾だった可能性が高い。

20分あまりのファイトですっかり気分的にやられてしまった私は、車での帰り道、いつもコピーライティングの仕事をもらう広告制作会社の事務所に立ち寄り、仕事仲間にことの顛末を説明しようとした。

すると、私が口を開く前に仕事仲間の友人はこう言った。
「どうしたの? どこかで何かと戦ってきたような顔をしているよ」と。

そんなことを言われたのは、後にも先にも一回こっきりだった。

そういうわけで、現在もこのラパラのジョイントは私の手元にある。当時のトレブルフックはもうどこかに消えてしまったが、背中にはレインボーのものと思われる歯型が今でも残っている。

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