【徒然なるままに】#117 クラウトロック
クラウトロックという言葉を知ったのは、いつ頃だったか。
大学院を出てから音楽出版社でアルバイトを始めたころはまだ知らなかったと思う。
社員の人がいろいろとCDを貸してくれた中にクラフトワークの最初の数枚があった。テクノ・ポップのアルバム『人間解体』の印象が自分の中で強かったので、その現代音楽的なサウンドは新鮮だった。
大学院の頃は自分にしては現代音楽的な作品を書いていた時期だったが、その頃は授業を受けていた湯浅譲二先生の作品を始め、邦人作曲家の作品や他には、アンサンブル・モデルンが続けてCDを出していた頃でナンカロウとかを知ってよく聴いていた。そのアンサンブル・モデルンがライヒやザッパの作品を日本で演奏したときも行った。しかし、大学の頃に聴いていてもおかしくなかったはずのクラフトワークのファーストを24歳で聴いたのは、その後知らないよりはもちろんいいが、もっと早く聴けばよかった、とその当時思ったのだった。
クラフトワークがテクノ・ポップをやったときには、当然そのジャンルの呼び名がなかった。そのCDを貸してくれた音楽出版社の社員さんは、NEU!(クラフトワークと同様、ドイツのバンド)も含めて全てプログレとして聴いている、というのが未だに忘れられない。そんなわけでその辺りの音楽を自分はプログレとして認識していた、という話なのだが、今回増補版で発売された「クラウトロック大全」には、その頃聴いていたクラスター&イーノなどにももちろん触れられているのだが、クラスターのメンバーのレデリウスのソロ作品も結構紹介されていて(クラスター&イーノと、その同じメンバーでのアルバムは持っているが、他のは聴いたことがなかった)、今はそれらをこの本で調べて探すのを楽しんでいるところだ(レデリウスは80代だが、まだ現役というのがすごい)
そして、コンラッド・シュニッツラー(故人)が、自分のスタジオでずっと作品を作り続けていたというエピソードを知り、(彼に関して自分は詳しいとは言えないのだが、クラウトロックを語る上で欠かせない人物)作品を作る者として勝手にシンパシーを感じているのであった。
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