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熊野古道を歩く(1日目)

土地が人を作る。風土の影響というのはそこに住む人々の考え方・宗教観にとても影響を与えるようです。
先日、あらゆるものを受け入れ同一化する土地、そこ懐の深さが際立つ熊野の地に行って参りました。

訪れるのは初めてだったので、行きたいところは沢山あれど、今回は熊野三山(熊野本宮大社[くまのほんぐうたいしゃ]、熊野速玉大社[くまのはやたまたいしゃ]、熊野那智大社[くまのなちたいしゃ])に行くことと、中辺路(なかへち)という本宮大社に行く道を2、3時間歩くということを主に計画を立て実行しました。ちなみに辺路(へち)とは、海岸部に沿って歩くことを指していたようです。

南紀白浜空港からJR白浜駅まで空港から出ているバスに乗るのですが、朝の9時から結構な乗客数でした。乗車してすぐは車内で立っていました。まあ20分くらいで着くからいいか、と思っていたわけです。乗客の皆さんも熊野に行くのだろうか、なんてことを考えていたら、空港を出たバスはすぐにある場所へと入って行きました。そこはパンダで有名なアドベンチャーワールドでした。バスに乗っていたほとんどの人々がそこに到着するやいなや降りて行きました。もちろん流石に乗客全員が熊野に行くとは思っていませんでしたが、まさかほぼバスに誰もいない状態になるとは思わなかったので、アドベンチャーワールドのその人気ぶりに驚きました。
白浜駅からは紀伊本線を走る特急くろしおに乗りました。新宮にある速玉大社を訪れるためです。海に沿って南から東へと抜けるルートです。
先程書きました熊野古道の中辺路は、白浜駅から北東に抜けたあたりの滝尻王子というところから始まっています。王子とは参拝ポイントで熊野権現の子どもという意味もあるそうです。その滝尻王子から山道を歩いて熊野本宮大社に参拝するという方法がありますが、距離にしておよそ40キロありまして1泊2日ほどかかるそうです。
今回は2日目に中辺路の途中にある発心門王子[ほっしんもんおうじ]までバスで行き、そこから西に向かい船玉神社[ふなたまじんじゃ]を参拝してから東へと来た道を戻り、猪鼻王子[いのはなおうじ]→発心門王子→水呑王子[みずのみおうじ]→伏拝王子[ふしおがみおうじ]→祓戸王子[はらいどのおうじ]→熊野本宮大社というルートで行くことにしました。
くろしおで新宮へ向かう途中、串本駅という日本で最南端の駅を通りましたが、そこから見える海と橋杭岩[はしくいいわ]が印象的でした。和歌山県は以前に1度だけ10年以上前に演奏のお仕事で訪れて以来でしたが、そのときは和歌山駅に1泊しただけでしたので、今回のようなケースで訪れたのは初めてです。とても広い県だと思いました。
熊野、という括りで考えたら伊勢路[いせじ]がある三重県の辺りも含めて元々1つだったわけですから、かなりの広いエリアだったわけですね。伊勢神宮には以前参拝しましたが、伊勢路の他、大峯奥駈道[おおみねおくがけみち]、紀伊路[きいじ]、大辺路[おおへち]や小辺路[こへち]など、沢山のルートがあることを考えると、全て行くのはいつのことになるのやら……、というところですが。
熊野古道は実際のところ参詣道という意味では大阪の八軒屋から始まっているそうです。例えば、後鳥羽上皇たちのように京都から熊野に向かう場合、船で八軒屋まで行き、そこから歩いたそうです。
およそ1時間20分電車に揺られ新宮に着いたのが正午前です。

新宮駅前から商店街を歩きました。平日の昼間ということだからなのか、それほど人通りはありませんでしたが、バンから四、五人の外国の方々が降りて、お店に入っていくのが見えました。お店の入り口には満席という札がかかっていましたが、ちらりと見えた店内は席が空いているように見えたので予約の方々だったのでしょう。この後も外国の方を見かけました。
昼食はめはり寿司と串カツの定食。めはり寿司は初めてでしたが、とても美味しくいただきました。円形の建物とバリアフリーが印象的なお店でした。
そこから近かったのが熊野速玉大社だったので、食後早速向かいました。
道路の反対側から見えた橋や鳥居は自分が想像していたものよりは派手に見えて意外でしたが、中に入ると木々の緑が作る空気が心地よく、樹齢推定千年の梛の木が出迎えてくれました。梛の木自体もともと熊野権現の御神木と言われていたそうです。

入った当初は人があまりいませんでしたが、しばらくすると年配の方々のツアーがいらして、境内はやや混み合いました。お参りをしてお守りを売っているところを見ると、ある場所に列ができていました。御朱印帳を希望する方々の列でした。どうやら、ここでは、速玉大社の御朱印の他に、すぐ近くの神倉神社の御朱印もお願いできるそうです。
神倉神社は、現在は速玉大社の摂社ですが、速玉大社よりも歴史が古く、熊野権現が降り立ったと言われる神社だそうです。神倉神社に行けばそれはそれで御朱印をもらえるのだろうか、という疑問が湧きましたが、しかし、特にそのあたりの説明はなさそうでした。

その後、神社を出て神倉神社へ向かうべく南へと歩を進めました。速玉大社から約15分ほどの距離です。神倉神社に着いて中へと入りますと凄く急な階段がどこまでも続いているのが目に入りました。前情報では知っていましたが、実際に見ると、その角度の凄まじさに驚きました。降りるときの方が、もしかしたら更に大変かもしれない、と思いました。スタート地点には杖がいくつか置いてありました。今月5月の初旬にある山を登ったのですが、そこも階段や山道が急で、終わりの見えないような、なかなか大変な場所でした。結果的に今回の旅の良い予行演習だったのかもしれないですが、とは言っても、翌日には本宮大社に行くまでの熊野古道を2時間ほどかけて歩く予定です。あまり無理はできないので、違うルートで行くことにしました。パッと見てわかりにくいのですが、実は迂回路があるのです。
ただ、登って見るとその迂回路もなかなか大変でした。スタート地点にあった杖を使わなかったら、なかなか大変だったと思います。しかし、階段で登ったら登ったで、翌日の筋肉痛がひどくなっていたかもしれない、と思うので、迂回路で良かったと思います。
しばらくしてようやく頂上にたどり着くと、そこで待っていたのは、街並みや海を一望できる景色と、更に高台に鎮座しているゴトビキ岩でした。

まず普通に参拝をしてから、ゴトビキ岩にも参拝します。支えている岩と岩の間に入るように礼をすると、吹き込んだ風で穢れを取ってくれるらしい、という話を、ちょうどそこで参拝していた年配の男性が教えてくれたので、その通りにしました。しかし、なかなかダイナミックな場所です。これは写真で見るだけではわからない、と思いました。
この後、来た道を戻って下に降りると社務所が見えたので行ってみると人は誰もいなくて、「御朱印は速玉大社で承ります」というような内容の文面が記されている紙が貼ってありました。神倉神社の御朱印をご所望の方は速玉大社でお願いいたします。

神社を出て普通の道を歩いていると、雨が降ってきました。だんだん勢いを増してきたので、ちょうどあった無人の待合所で雨宿りさせてもらいました。元気な小学生の何人かが、雨に打たれながら大声をあげて自転車を漕いでいました。しばらくすると雨が止み、今度は晴れてきました。山々と海が川で結ばれているこの辺りの天候はとても変わりやすいそうで、地元の人の会話から察するに天気予報はあまりあてにならないそうです。

兎にも角にも無事参拝することができました。バスの時間が限られているので、移動することにしました。翌日はいよいよ熊野古道を歩くことになります。
(明日に続く)

今回は熊野古道などで録った音を使って何か作品を作れたらと思っています。
『熊野古道を歩く』の最後の回でアップできたらと思っています。

[引用・参考文献]
『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』内田樹×釈徹宗(東京書籍)


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