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20190623「マーサ」

昼ごはんを食べに出かけたついでに、両親と郊外のショッピングモールに車で出かけた。
道中、実家の最寄りのイオンの話をしていた。そのイオンはマーサ21という愛称で呼ばれている。イオンがマーサを閉めたがってるとか、マーサは借地なので、土地の所有者はどこまで土地を持っているかとか、ものすごいローカルな話をしていた。

最寄りのマーサは、自分が幼稚園の頃くらいにできた。当時はジャスコだった。マーサは正木(まさき)という地名にあるのでマーサと呼んでいるっぽい。幼心に何か意味があるんだろうと思っていたが、その後の関市の孫六(まごろく)と呼ばれる地域に、マーゴという名前のジャスコができたときに、いろいろ察した。

当時は近くには大きなショッピングセンターもなく、スーパーはあったが商店街的なものはなかったので、それは大いに繁盛していた。週末になると、駐車場に入るための渋滞ができたりしていた。
大きく増床し、トイザらスが入って大きなゲームセンターとボウリング場もできた。当時のマーサには、物も体験も求めるものはほとんどあった。
娯楽の少ない田舎では、ちょうどいい感じのところだった。

ショッピングモールが各地で建ち、そのころにはイオンに変わっていたマーサは、スペック的に厳しくなりそうなのは明らかだった。そうこうしているとマーサは周囲の土地を大きく土地を整備し始めた。

「どうやらマーサに映画館ができるらしい」
そんな噂がまことしやかに流れた。確かに複数スクリーンの映画館が一般的になりそうな時代でもあったし、整備している土地も、とにかく広かった。
「わざわざ街中まで行かなくても、歩いて映画を観に行ける!」と、とても嬉しく思っていたが、整備が終わる前に高校を卒業して岐阜を出てしまった。

その後整備が完了した土地には、ニトリと巨大な駐車場、そして小さなスタバが建った。

ニトリができ、その後のマーサのリニューアルもあって、今でも週末は駐車場がいっぱいになるほど人は集まっている。けれども特に専門店の売り上げがなかなか厳しいという噂だ。食料品は多分めっちゃ売れてる。

「あの時映画館ができたらね〜」とか「ユニクロが入ってたらね〜(ユニクロは近くに路面店がある)」とか、マーサのたらればを、親といろいろ話した。

けれど映画業界は言わずもがな、ユニクロもなかなか厳しいそうだ。目的のショッピングモール到着した後にユニクロに寄ったが、そんな感じはした。

何が功を奏すかわからない。それでもマーサは潰れずにある。あの辺りのランドスケープは改装と共に変わっていったが、マーサがあった。
そのマーサも変わりゆくランドスケープに飲み込まれていくのかもしれない。

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