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無色と有色

有色だと問題が起きる。ふとおもった。

では、無色がいいのか?というとそうでもない。

全てが無色ではつまならい。

有色ってなんだろう、と考えた時、個性というところに辿り着いた。

この個性を、好みだったり、偏見だったり、ただ感覚だったりとなぜか人は良い悪い、で判断したがる。この色が一番好き、この色が一番いい、この色がなんとなく一番。

そもそもなぜ順位をつけたがり、区別するのだろうか。

子供の頃、私はピンク、赤が嫌いだった。いつも黄色を選んだ。もしくは虹色が好きだった。ある日、担任の先生に言われたことがある。「あなたはなんで〜ちゃんみたいにピンクをきないの?なんでリボンをつけないの?なんで水玉をきないの?女の子なのに」その言葉に自分は「いやだから」というようなことを答えたきがする。そもそも不思議だったのは、なぜ女だからピンクで男だから青なのか。なぜ女だから水玉なのか。なぜ女だから髪の毛が長くてはいけないのか。全てが謎すぎて、理解できなかった。天邪鬼な部分がでたのか、反発心で黄色が好きだ、と無意識のうちにいっていたのかもしれない。

大人になってみて、この色が好き、この色はあんまり、というのはある。それは服だったら自分にフィットしているかしていないかだったり、家具だったら部屋にあうか、だったり。やっぱり自分にあうか合わないか、この青はあうけど、こっちの青はなんだかあわない。というようなかんじだ。

そう、有色という話に戻るけど、今回の人種差別についての暴動について。

そもそもなぜこういうことになったのか。

自分自身、たぶん、各国に友人が多い方だと思う。本当に気が合う人は、結局は性格や価値観だと思っている。そしてそのことについて今までそこまで考えたこともなかったし、彼は話があうなぁ、彼女は話があうなぁ、という感覚でいた。

なぜ世の中はこんなにも色にこだわるんだろうか。

歴史的に差別されてきた、というシチュエーションもあるし、歴史的に仲良くなかった、という場合もある。許されてはいけない過去、というのもある。ただ、今回の件はそれだけだったんだろうか。

アメリカ時代、いくつかデモに参加したことがある。平和なデモが多く、言いたいことを伝えるべく皆んなで叫んだ。日本人はあまりこういった目立った行動はしない人種だ。帰国直後に3時間の無言会議が耐えれず、意見をいったら、後から「新人はだまっていて」と上司によびだされたほど、自分の意見をいう、ということは一種のタブーとされてきた。

ベイエリアという土地柄もあり、いろんな経験ができたおかげで、日本に帰ってからも、なるべく意見はいおう、と思ったし、発しないと伝わらない、と思ってきたので、今回の件についてSNSなどでも、普段あまり発信しない人々が声をあげたり、コロナ以降少しずつ、自分自身の個性、を伝える人が増えてきた気がして素晴らしいことだと思う。

ただ、どこまでやることが正しいのだろうか。

友人のお母さんが「プロテストで声をあげることは大切だけど、もし今赤ちゃんが生まれる人がいて、FreeWayがcloseしているから病院にいけない、ということがあったらどうするんだ」と。今回の暴動で、店のものが盗まれたり、人が怪我したり、とやはり暴動にもリスクはある。

反対派もいるだろう。あるメディアでは、この件は捏造されたものだ、なんていう意見も上がっているようだ。ネットが主流になり、なんでも調べることができるようになったけど、「捏造」を言い出したらきりがない。結局は現場にいないと、自分で経験しないと、全ては「捏造」の可能性があるのではないだろうか。

個人的な意見を言うと、あの警察官は、もし彼が黒人ではなくても、同じことをしていたんじゃないだろうか。日本でも平日にドレッドルックの普段着で歩いている友人は毎度職質にあう。結局は権力を武器に、世の偏見で得た見た目だけで判断し、決めつけ、悪者にされる、という世の中に問題があるのではないだろうか。

個性を大切にする平和な世の中が早くきますよう。


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