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一年雑感  367

はい、わたしの夏至は特に刺激的なこともなかったのだけど、世界は本日夏至を迎えた模様。
そう、切り替わりのターンですね。
ここからだんだん陽が短くなっていくなんて、夏を迎えることを知っている身としてはやっぱり毎回「ほんま?」なんて思ってしまうけれど。

この投稿のコジヤジコさん、最近知った方なのだけど、とにかくいい!
先日、朝日新聞の「折々の言葉」でも取り上げられていて「コジヤジコさんをチョイスする鷲田さんセンスいいっ!」なんて喜んだところだった。

個展の投稿で初めて見た作品の数々は、ただ「回文」という機能を果たしているだけじゃなくて、クスッとしたり、切なくなったり、そうかと思えば黒いほほえみをを感じたり…と、短い言葉の並びとは思えない情報量で、どストライクのセンスだった。
ホントに頭の中どうなってるんだろう?って毎回思ってしまうほど。
ただいま大注目の方なのです。


さておき。
昨年の今日がこのnoteを書き始めた日…ということで、今日から2周目のスタート!
緊張するのか?テンション上がるのか?と思いきや…ココロは昨日の続きのようでもあるよねーなんて、感動のタイミングを逃している。

たくさんの方がトライしている「毎日投稿!」も、その流れに乗りたいー!なんて気持ちより「…毎日書くことあるんやろか?」なんて、小学生の絵日記の宿題みたいなココロで始めたのを覚えている。
というか、一年経ってその思いが克服?出来たかといえば…
馴染みすぎて希釈されすぎて、もはや認知できなくなったっていう方がしっくりくるかもしれない。

そんなこのnoteも先月あたりには「1年で一旦ストップしよう」なんて思ったりしていた。

ライティング•ライフ•プロジェクトで「書く」ということがグンと身近になって、まさに始めた頃の目標「書くことの気軽化・習慣化」は出来てるなーとこのタイミングで改めて認識した。

ここまで来て改めて、当初「書くこと」と思っていたことは、当たり前だけれど「言語化」でもあったと思っていて。
この「言語化」することの筋肉を、このnoteでトレーニングしたんだな…と今、理解している。

途中「とはいえ言語化難しいこともあるよね…」なんて、自分で穴掘ってハマったりした時もあったのだけど…。
そんなタイミングには「次」のヒントがもたらされることで、矢印の向きが変わるのか?自分の足場が変わるのか?定かじゃないけれど、「言葉のやってくる場所」を変えていくことで文章が変わることを教わった。

それはとても大きな刺激、というか出会いでもあったのだけど、現在絶賛トライ中。
新しい感覚にただただ馴染もうとしている。


日記の続きか、壮大なボヤキか…これからの自分がなにを言語化していくかわからないけれど、螺旋のように見る場所、立つ場所、(自分を)使う場所を変えながら進んで行けたらと思っている。

そのうち「自我のない文章」「自我のない感覚」なんてものが書ける日が来るのか…その辺も、期待せず、でもあきらめもせず、眺めていきたい。

そんな2周目のスタート。





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