ステレオタイプをやめること 449
「ちょっと今日の暑さは違うよねぇ…」なんて朝から言っていた。
朝の早い段階で室温33度を超えていたから数字としても「暑い」のだけど、なんだかちょっと今までの暑さと違う感覚が気になっていたら…
猫は正直なもので、いつも午前中は2階にいることが多いのに今日は朝からずっと庭に面した廊下でへそ天で過ごしていた。
なんかおかしな暑さだった一日。
暦は白露を迎えたけれど、立秋を超えたあたりからなぜか積乱雲がやたら増えてきた印象があって、昨日の関西からの帰り道はどれだけ見たかわからないほどの数だった。
これだけズレたタイミングの積乱雲を見続けると、理科に明るくないわたしだって考えてしまう。
「雲の素って水蒸気でしょ?こんだけ生まれるってことは…その真下、もしくは近くに水蒸気をもたらす温度差や水の元があるってこと?」なんて。
理科素人の笑い話にもならない妄想だけれど、案外こういうのが後々効いてくることをわたしは知っている…なんて思いながら一人ニヤついている。
さておき、今日は夕食後にテレビから聞こえてきた言葉が印象的だった。
その言葉は、↓この記事にも詳しく書かれているけれど「クローズアップ現代」という番組で「SHOGUNー将軍ー」に出演していたアンナ・サワイさんのインタビューからだった。
このドラマがたくさんの賞を受けたことはさておき。
わたしはこのインタビューの中でアンナさんが話していたことにドキッとした。
この「違うと思っているのに(従って)やっていたら」という言動…
散々やってきた自覚がある。
海外での文化の違いだけじゃない、考え方の違い、慣習のおかしさ、後進へも続くであろう悪習…あげればキリがない。
狙ってやっていたわけじゃない、でも「本当のところは伝わらないかも(伝えきれないかも、相手が理解できないかも)」「どうせ一時的な場だし」「本当を伝えてごちゃごちゃすると面倒」なんてことは普通に頭に浮かんでいた。
そして、それを「違う」と思っていない人はわたしのその言動のせいで、まさに「『違う』ことが存在している」ということを知るチャンスを逃していたことになる。
アンナさんのいう「ステレオタイプのものを演じてしまうと、その情報が広まってしまうので。」というのは今ならよくわかる。
わたしがこの振る舞いをすることで、相手の思い込みにアンダーラインを引くことになる、強化してしまうということは簡単に想像できることなのだけど…。
自分が海外にいた時には、日本よりも「多様性」が日常になっている海外の国ならばそれがたとえ間違っている情報だったとしても、それが違っていたということを知る日は何度となく来るんだろうし、いつか何かのきっかけで書き換えられるんだろう…くらいの「他人事」だった。
彼女はこのインタビューの中で
「慎重に、違うことは違うって伝えたり、そういう役を選ばないっていうのは心掛けています。」
と話していた。
これって、そう「行動している」ってこと。
そう、わたしにはこれが大いに欠けているということに気づかされたのだ。
物事を眺める視点の置き所が違うということもあるのだろうけれど、その問題を認識した時に「で、自分はどうする?」「どう振る舞っていくことにする?」ということを意識にあげて自分会議をほぼしていない。
していないどころか、最大公約数=ステレオタイプをさっと認識し、当たり障りないことを地味にやり過ごす…
って、書いててゲッソリだけど仕方ない、ホントのことだもん…。
インタビューの中にもあるように、この行動に移す方法だってきっとたくさんあって、できそうなこともあるんだろうと思うと、本当にただ「自分はどうするか」を決めて→やる…だけだなと今更ながら思うし、そう思って眺めていると、今回の記事の中に出てきた真田広之さんの在り方は貢献そのものってことなんだなーなんて気づいたりする。
自分と同じ時代でステキな姿を見せてくれている人がたくさんいるってラッキーなこと。
あやかる前に見習いたい…で終わらずにjust do itですね、ということをしみじみ感じた夜だった。
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