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雷の午後  129

お昼過ぎごろから空が暗くなりだして
久々に激しい雨風と大きな雷が通り過ぎていった。

昼間だけど、雷の紫や黄色っぽい白の光がしっかり見えたし、
昼食後「まじまじと縁側から雷を眺められるこの幸せよ…」
と噛みしめながら見ていた空には、珍しく光が横に走るのが見られたり
それと同じように音も横に移動しながら聞こえるんだな…と発見したり、
やっぱりこういう現象を眺めるのは本当に興味深かった。


その光と音の動きが、時間の差があれども同じように移動するのを見ながら、
最近の自分の中の違和感を思った。


最近、自分の中が静かになってきた感覚があった。

それは、「体」と「考えること」がシンクロしていないもの、
自分から湧き出たであろう感情や考えに対して
「…て、それ「今」のじゃないよね」「これ、わたしのじゃないよね」
が浮き上がってくるようになったのだ。


わたしのじゃない感情をわたしが感じるってなんだよ…ってとこかもだけど
わたしにとっては「さもありなん」もしくは「なるほど」と思えた。


乖離ですか?ってことではなく、自分の中で見分けがつきだした、もしくは
整理が始まりだしているのではないか?ということなのだ。


自分が「自分の今の思い」に

過去あったことや、人から聞いた話、
はたまた見たことある映画の中のストーリー、
刷り込みのように教えられたお話…

そんなものを「自分の今の思い」に勝手にくっつけて大きくするところを
「それ、今回のものに関係ないよね」と仕分けが入るようになった感じ。

「あ、確かに」とその仕分けを受け入れると、本当に頭の中が静かなのだ。


今までのパターンの堂々巡りも早く止まるようになったし、
なんならちょっと静かな時間が長くて
「…大丈夫?ほんま何も考えないけど。これスタンダードなん?」
なんておそるおそる自分に聞いてみる感じ。

この仕分けを体が行ってることなのか、頭がやり出したことなのか
今の所はっきりわからないけれど、仕分けを受け入れているのは
「頭」だろうな、と思っている。


そして、この状態に慣れてきて思うことは

「本当は瞬間瞬間はバラバラで、何のつながりも因果もないっていうけど
 わたしもバラバラの集合体ってことの体感はこれなのか?」

ということ。


体は頭の思いの0.5秒前に動き始めているっていう話はよく耳にするけど
それでいけば「光が体」で「音が感情」ってこと?

確かに音や感情の方がボリュームありそう…
なんて勝手に思ったりしているけれど、今のところただの思いつきのままである。



雷からこんなことをつらつら思ったりしているけれど、
ずいぶん長い間「感情の整理がつく」ってことは、納得や解決、
薄らぐ、なくなる、みたいなことだと思っていたのだけど、
こんな仕分けや一旦ストップをかけながら、手放したり、
フリーズドライかけて時差式にしてみたりと、
いやはやいろんな再会方法があるもんだなと楽しくなってきた。


思考や感情をぐるぐる巡らせながら頭をパンパンにしていた自分に
「フリーズドライで一旦置いといたら?」って言いに行きたいもんだ…。




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