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「ただ転がれる」ことの中身とは…  442

今朝は台所じゃないところで朝ごはんを食べようと思いつき、朝ごはんセットを持って直接陽の当たらない窓際にやってきた。

朝晩の温度が急に下がるようになってきたけれど、やっぱり朝日が直接当たる所に行くと昼間の温度のことを想像するには十分な暑さがあったりする。


隣では猫が転がっていて、寝顔を見ていると
「こんな風にただ転がってていいんだよなー」
なんて当たり前のことを思い出す。

そういえば昨日のTwitterで、畳の部屋で正座して夏休みの宿題を頑張るも行き詰まったのか、頭を抱え、そのまま後ろの座布団の山に「ぐはーっ」と倒れ込む小学生の姿がコマ送りのような画像でアップされていて、夏の終わりの風景としてはサイコーだななんて思いながら眺めていた。


いつから自分は「ぐはーっ」と倒れ込んだり転がったりしなくなったんだろう…。

電池が切れて寝るために倒れ込むんじゃない。
若干の意識を保ちつつ、だらーっと半ば液体のように床に、布団に、ソファに、もしかしたら誰かの膝に倒れ込むのだ。
別に動きたいわけじゃないし、動き方が決まっているわけじゃないけれど、そのままでたらめに無駄な動きをする時だってあったりする。

何かを発散して、何かを「納得」していたんだろうなぁ…なんてぼんやり思う。

そう考えると「倒れこめていた」期間なんて小学生あたりまでだったんじゃないかなんて気がしてくる。

あとは、強制終了、電池切れでただ寝る、みたいな感じだったような…。


そういえば、よく原始反射が残っていると緊張が強いなんて聞くけれど、とある整体師さん曰く「脳幹の防御(モロー)反射が残っていると常に力みが生じる。体験が加わるとさらに反射が強くなる」らしく、後ろに倒れたり、預けたりする動作は反射を取ることになるらしい。


わたしは時々、相当強い思いで「背中を預けられる場所」を欲する時がある。
なかなか見つからない頭までしっかり預けられるハイバックのソファを探し続けるのもそのためだったりするのだけれど。

疑うことなく背中を預けることができるということは「自分や人を信頼できているかどうかだ」みたいなことを聞くと、猫のパッタンを思い出す。
ちっちゃい子の突然座る、突然抱きつくなんかも同じだよね。

道で、床で、畳で外で、特にきっかけや考えていたことなどなさそうな時に突然パタンっと横っ腹から倒れ込むアレである。

何も考えてないからできるとか、手放しで信頼してるとかいろんなことを言うけれど、彼らを見ていて「信頼しているから」できているね、なんて考えに正直及んだことがなかった。


都度、快適な体勢、快適な場所を探して転がり続ける猫を見ていると、信頼とか納得とかの前に、ただやってみたいなーと思う。

モロー反射って練習で取れると聞いたので、ガイドの通り後ろに倒れ込む練習をしてみようかなーなんて思ったり。
背中にクッションや布団を置いて安全を確保した上で、両手を広げて後ろに倒れ込む、ただそれだけ。

反射が取れても取れなくても「背中を預けたい」欲は満たされそうな気もする…。
っていうか、ただ楽しい…みたいにクセになったりしてw

それって結構すごいことじゃない?なんて思いながら、ネコ先輩のようになれる日を妄想している。




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