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「死との出会い方は人ぞれぞれ色々あるんじゃないかな。 死を考えるきっかけにしてほしい。」 イラストレーターエロガッパさんに聞く 『死生観光トランプ』を通して表現したかったこと

こんにちは!多くのご支援、本当にありがとうございます。残すところクラウドフェンディングも残り2日となりました。

さて、『死生観光トランプ』は、世界各国の死生観や弔いの作法をイラストとキャッチコピーで紹介したトランプです。全国各地のお坊さんや仏教を愛する方、総勢14名の方々にイラストを描いていただきました。そこで、『死生観光トランプ』イラストレーターの方々に、描いてみた感想や、イラストに込めた想いなどについてお聞きしました。

今回はエロガッパさんにお話を伺いました。聞き手はワカゾーの藤井一葉(ふじいかずは)、書き手も同じくワカゾーの藤井智子(ふじいさとこ)です。

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——この度はお時間、ありがとうございます。早速ですが、死生観光トランプの企画を聞いた時の第一印象を教えていただけませんか。

へぇ〜そんなこと考えてるんだ。って感じだったかな(笑)。僕はワカゾーのメンバーも、一緒に制作している陸奥さんもそれぞれを知っていたから「この人たちはどんな縁で繋がったんだろう」なんてことの方が気になってました(笑)。

——そうだったんですね!(笑)

イラストの依頼があった時は、自分にはどうやって遊ぶのかイメージが出来ないまま、とりあえず絵を描きますって言ったけど、これってどうやって遊ぶの?普通のトランプで、絵柄は、死にまつわる柄なんだよね…?

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エロガッパさんが描いてくださったイラスト


——そうですよね、どう遊ぶの?ってなりますよね(笑)制作段階でこのトランプは、ある意味「余白」みたいなところをわざと作ることで偶然思ってもみない遊びや面白さが色んな方の手元で生まれればいいなぁと思ってるところがあります。実際に手にとっていただいた方にその面白さを体感してもらえたらいいのですが。イラスト自体は実際に描かれてみて、いかがでしたか?

そうだな〜。僕の場合は、描いてたら怖くなってきたかな。

——怖くなってきたんですか。

そう。他のイラストレーターさんのインタビューの記事を見ていると「楽しい」っておっしゃってるけど、僕は怖かった。死の世界に引きずり込まれるような感覚なのかな。なんだろう、人ならざる存在、そんな存在に魅入られてしまう感覚があった。

——死の世界に引きずり込まれる⋯⋯!!その感覚についてもう少し教えてください。

遊びで使うトランプの絵柄だし、イラストは基本的にはコミカルなものだと思うのだけど、やっぱり何と言っても死者の絵を描いてるんだよね。なんだろうな…。最初の方はそんなこと思わなかったんだけど、2週間くらい時間をかけているうちに、自分の情念を込めすぎて描くと引きづり込まれる感覚があった。

昔、お寺に奉納する刺繍を制作している人に話を聞く機会があってね。あるお寺の刺繍の修復を請け負った業者さんの目が急に見えなくなった。それはその刺繍に「心(しん)」が入っているのを知らず、適切な対応をせずに扱ってしまったからだ、と言うわけ。「心」って一体、何なのかはよく分からないけど、制作者の情念みたいなもの、あるいはその情念に引き寄せられた何かだと思う。そして、そういうものを宿したものはぞんざいに扱ってはならない。

——なるほど。

例えば、仏像を制作する時にも、真宗以外の宗派では開眼法要を行ったりして、魂を入れる。それをやらないと仏像はただの仏教美術品で、厳密には信仰や礼拝の対象にはならない。それから仏像を修復するときに、魂抜きなんかをするのもあるよね。仏像の魂を鏡に映すような儀式をするところもあったり。

一定の情念ってものが残るというか、宿るというか、そういう感覚の方が仏教の世界でもポピュラーなんだよね。

勿論、今回僕が魅入られそうになったのは、そういうのとは違うと思うけれど、自分の描いた絵によって変な扉を開いちゃったっていうような感覚なのかもしれないな。超自然的な世界というか。死や、死者とかデリケートなことを軽く扱うと痛い目に合うとかそういう世界もあると思うんだよね。

——確かに、亡くなった方を軽く扱うなんてことはあってはならないと思うのですが、亡くなった方を私が仏縁にあうための「仏様」として聞いていく浄土真宗ではあまり普段ふれない世界観かもしれません。


そうだよね。大阪の融通念仏宗総本山大念仏寺に江戸時代頃の幽霊の絵がたくさんあるのは聞いたことある?

絵を持て余した信者さんなどから引き取ったものみたいなのだけど、一年に一度、幽霊の絵ばかりの展示会をするんだよね。テレビなんかの画面越しで見るとわからないけど、実際見ると確かに何か宿ってる感じがあったんだよね。

そういう経験をしてきたからなのかな、絵を描いて怖い感覚もあったんだよね。ワカゾーの「死をカジュアルに語る」ってことは大切なことだと思うけど、軽く扱うってことではないと思うんだよね。やっぱり死にはネガティブな面や怖い面あると思うから。


——おっしゃる通りですね。両方の感覚、感情、背景があると思います。

死との出会い方って色々あるんじゃないのかって。人によって違うんだよね。ある意味大往生で送り出したのは違うけど、尋常ならざる死とか、割り切れないものは向き合い方が違う気がするんだよね。急におとずれる「死」とかもね。


——確かに。生き方に全く同じものが一つもないのと一緒で「死」も同じものはないですもんね。

どの国でも、どの地域でも、生と死の境界線を司る役割を担っているのはおおむね宗教者だけど、それは現実の世界と異界の繋ぎ目をコーディネートするような役割なんじゃないかなと思うんだよね。変なことにならないように。

日本の場合は、その役割の大半は僧侶が担っていて、そのやり方やつなぎ方に関する作法や儀礼、技術、知恵などが受け継がれてきていると思う。ただ、それらは必ずしも仏教の教義と整合性があるわけではない。特に真宗の人なんかはその点に違和感を示す人が少なくないけど、「あんなの仏教じゃない!」とか否定するのではなく、そういうことが起こってきた背景や人の心情を見つめていくことも大切なことだと思うんだよね。


——本当ですね、感じている感覚は個人個人のものなので、全く同じように共有するということは不可能かもしれません。けれど、それを確かに「その人が感じたこと」として否定をせずに見つめるという視点の大切さを改めてエロガッパさんのお話で教えていただきました。

本当?こんな感じで大丈夫だったのかな……(笑)

——はい、背筋がピンとなる感覚がしました。「不安」や「恐怖」とか「後悔」の様なマイナスと言われる感情や今までに自分の中にはない世界観を否定するのではなく、共に安心できる筋道を探すために私たち僧侶ができることってなんだろうと改めて思いました。もしよければ、最後にこのトランプを手にとられる方々に一言いただけませんか。


そうだね、死を考えるきっかけにしてもらえたら嬉しいなぁっと思います。ただ、それだけでではなくて、実際に、遊んだあとに、お坊さんの知り合いに聞いてもいいんじゃないかと思うんだよね。

宗教のプロと話ができるというか、接触するきっかけになればいいんじゃないかと思ったりします。一般の方と宗教者をつなぐきっかけになれば嬉しいなぁっと思います。


——エロガッパさんらしい様々な視点からお話いただき今までない感覚を教えてもらった気がします。改めてありがとうございました!

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エロガッパさん
経歴未詳。趣味は東西本願寺ウォッチング。浄土真宗本願寺派中央仏教学院通信教育部学習課程修了。

聞き手:藤井一葉
書き手:藤井智子

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