見出し画像

「『いま、まさに生きている』感覚とつながっていきたい」

こんにちは!ワカゾーの霍野(つるの)です。多くのご支援、本当にありがとうございます。

さて、『死生観光トランプ』を企画した発端は、私たちワカゾーが「DeathCafe」をおこなうなかで、死について考える場がもっと広まれば良いなと思ったことでした。そこで、ワカゾーのメンバーに、「DeathCafe」を実施するようになった背景や、実際にやってみて気づいたこと、いま感じていることなどについて、ざっくばらんに聞きました。

今回は、東京を中心に様々な場面でDeathCafeを開催している藤田圭子さんに聞きます。聞き手はわたくし、霍野です。

霍野:DeathCafeをやろう!ってなったときにどう感じたのか振り返ってほしいです。

藤田:大学院を修了してちょっと経ってから、まだ京都にいるメンバーでなにかしようよ!ってなってなったときだったから、とにもかくにも、みんなエネルギー全開だったよね(笑)。ワクワク、ドキドキというか。そのときに、先ずはチーム名を決めようってなって。誰が言ったのか覚えてないけど、若い僧侶たちだから「ワカゾー(若僧)」って言って、それいいねって、満場一致で。もう、この名前からして、そのときの勢いが表れてるよね(笑)。

霍野:ダサいよね(笑)。このダサさが良かったのかな。

藤田:「少年よ、大志を抱け」みたいに「若僧よ、大志を抱け!」的な発言があって、みんなで笑ったね。

霍野:大学サークルみたいなノリだったな(笑)。

藤田:若気の至りといいますか、すっごい楽しかったよね(笑)。それで「若い僧侶たちだからこそ出来ることってなんだろう」って話し出したけど、夢が膨らむばかりで、なかなか決まらなかったよね。

MT風景(いつか使えるときがくる…はず)_1993

霍野:なんかそんな感じだったかも。よく覚えてるね(笑)。

藤田:いま必死に思い出してるからね(笑)。そうやって色々語っていくなかで、「結局僧侶って何のプロなんだろう?僧侶の活動の原点ってなんだろう?」って話題になったときに、「いのち!」って突然大きな声で、なんだか漠然としたことを言ったのが、何を隠そう、あなた(霍野)です(笑)。

霍野:そうでした(笑)。

藤田:「いのち」って抽象的だし、どの視点で捉えてるのか全然分からなかったけど、私も僧侶として、「確かにいのちに向き合い続けるプロだ、そこから逸れちゃったらだめかもしれない」って、漠然と、でも、はっきりと感じたのが、今でも印象的。

霍野:いのちってなんなんだろう…?

藤田:え、言い出しっぺなのに、私に聞く?(笑)。いのちって何だと思う?って考えてみると、「いのちを捧げる」とか「いのちを燃やす」とか、活き活きと前に向かっている姿、それこそ「一生懸命」なイメージをもつことがこの社会では多いような気がする。だけど私は、生まれるとか生きるという視点だけじゃなく、老いて病んで死んでいくという営みを全てひっくるめたものを「いのち」と捉えたい。そんな想いにみんなも共感してくれて、「いのち」っていうワカゾーの軸が決まっていった気がするね。

MT風景(いつか使えるときがくる…はず)_8627

霍野:そのタイミングでDeathCafeの事例を紹介してくれて、「それだ!」ってなったんだ。

藤田:そうそう。それでいこう!って。でも、どんな方々が参加してくれるのか想像できなかったし、そもそも、どういう形でつくりあげていったらいいかもわからなかったし…。

霍野:やってみると新聞やテレビでも取りあげてくれたけど、当初はそんなこと想像もできなかったね。実際にやってみてどんな感想をもった?

藤田:皆んな初対面なのに、すごく深いところまで喋ってくれることに驚いたよね。私も多くの人も、日常生活のなかでは、いっぱい鎧を着込んで、色んなバリアを張って生活しているじゃない。DeathCafeでは、その鎧やらバリアが無かった気がした。有ったとしても、すごく薄かった気がしたな。最初は、なんとも言えない、不思議な感覚だった。

霍野:本音で語りあえている印象があったんだね。

藤田:「死んだらおしまい」と発言する人がいたんだけど、「たしかに」って受け止めつつ、「私はこんな死後の世界があると思ってて」と語るコミュニケーションが、色んなところで起きていたのね。言ってしまえば、真逆じゃん。でも、この場なら安心して語れるって思ってもらえたのかなと。私はお互いの死を受け入れる対話のあり方を「デス・コミュニケーション」って盛んに言ってたんだけど、浸透してないよね…。なんで?(笑)

画像6

霍野:僕たちの理解が追いつけてなかったんだと思う、今からくるよ(笑)。DeathCafeにはどんな方々が参加してくれている印象がある?

藤田:DeathCafeは仕事終わりの方がふらっとでも来ることができるように、平日の夜に開催することが多いよね。そんな疲れているときに、わざわざ来てくれる方々は、やっぱり、普段から死について悩んだり、考えているけれどどこで言葉にしていいかわからないって感じたりしている方々が足を運んでくれる人が多いと思う。これまでに私が出会った方は、医療現場で死を間近でみている人とか、身近な人を亡くした人、ご自身が大きな病気になった方でした。

霍野:僕も、仕事で死と接する機会が多い方々が参加してくれている印象があるな。医療関係の方々や、葬儀の方々とか。

藤田:私の理想としては、例えば、金髪のお兄ちゃん、お姉ちゃんにも参加してもらえる場になれたら良いなと思ってる。もちろん、見かけで判断するのはナンセンスだけど、死とは縁遠そうな生きる活力に溢れた人たちも参加したくなるような企画や見せ方をしていきたいよね。

霍野:死を全面に掲げているから参加するまでのハードルは高いけど、実際に参加してみると気軽に語らう内容にはできていると思っているんだけどな。

藤田:パステルクレヨンを使ったワークショップも良いよね。自分が思い描く死を想像してもらって、そのイメージをパステルクレヨンをつかって表現する。具体的なイラストでも良いし、抽象画でも良いし、メッセージでも良い。好きに表現することを促すこのワークは、DeathCafeの場が考えていることや思いついたことを自由に表現してOKだよって伝える入り口的存在になっているように思うんだよね。

画像4

霍野:パステルクレヨンのワークショップは導入としては取り入れやすいね。

藤田:前にね、仲の良い友達と二人で参加してくれた方がいたんだけど、お互いの絵を見て「えぇー、そんなこと考えてるの!?」って、驚いてた。どんなに仲が良くてもやっぱり普段は死については語り合わないし、そうしたことを表現する場になり得ているんだなって、改めて気づかせてもらったよ。

霍野:絵心のない僕でも安心して参加できています(笑)。

藤田:あとは、弔事のワークも好き。ひと目につくこともなく地道に影で頑張っていること、わざわざ人に自慢するようなことでもないようなことって、誰しもが何かしら持っている気がする。そんなことをポロッと出しても、しっかり受け止めてもらえるワークの内容だから、いままでの私を認めてもらえたっていう感覚が生じると思んだよね。

霍野:素朴だけど、あたたかみのある時間になるね。

藤田:私がお葬儀のときに読んでもらう弔事も、あれこれを成し遂げたとかの功績や、なになにの肩書ではなくて、日常の些細な言動であったり、私らしさを語ってもらえたら嬉しいなって、このワークを経験するなかで思うようになった。自分が読んでもらう弔事にまで口を出すって傲慢だけど(笑)。その時はよろしくね、弔事(笑)。

霍野:生前に弔事を指名されるって…光栄です(笑)。

藤田:弔事のワークって、相互インタビューを通して自分がこれまでやってきたことを振り返り、言葉にして伝えるから、これまでの人生を自分自身で総括することにもつながる。これまでの人生であれこれとやってきたけど、私が本当に大切にしてきたのはこれなんだって振り返る、見つめ直す意義もある。そして最後に弔事を朗読してもらえるから、私の人生を認めてもらえたって感覚が残る。これまでの人生を自分で総括して、他者にその人生を認めてもらえる。これってとっても大切なことだと思う。

画像5

霍野:日常でそんな場面は絶対にない。

藤田:日常のなかで「わたし、いま、まさに生きてる!」感覚って、あんまり無いなって思うんだ。私自身、仕事に追われたり、疲れ果てたり、気づいたら1日終わっていたり…(苦笑)。だけど死に思いをはせることが、「わたし、いま、まさに生きている」感覚とつながっている。参加してくれた方々に感想を聞いたり、笑顔で帰っていく様子をお見送りするときに、そんなことも感じるんだよね。「非日常」も、きっと大事。

画像6

藤田 圭子(ふじた けいこ)
浄土真宗本願寺派僧侶・布教使。神奈川県在住(寳光寺)。
人生の先輩方からいただいた「仏教」のバトンを、今度は同世代や次の世代へと繋いでいきたいと模索中。
ルピシアお茶マイスター/チェアヨガ研修修了/日本思春期学会性教育認定講師/MOS(パワポ)

ただいま『死生観光トランプ』クラウドファンディングの真っ只中です。多くの方に死について考える機会をもってほしい。日常に「死」がじんわりと溶けこみ、遊ぶように死について考えることができるようになればと夢見ています。応援よろしくお願いいたします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?