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つまるところ、認められたいのだなと。

ざつだん

今朝は30分くらい歩いて、お気に入りのスタバに。

このスタバはのお気に入りなところは、
雰囲気がいいこと、広々していること、自然の光が入ってくること、店員さんが心地よくフレンドリーなこと、公園近くだからか森の近くのような自然を、何故か感じること、、、あげだしたらきりがない。
なんだか、好きな場所なんです。

そんな、ふと行ってみたらすごい気に入って、気がついたら通っている場所、皆さんにはありますか?
私は常々「行きつけのお店がほしい」と思っているのですが、思い返してみたらそうゆう「お気に入りの場所」はたくさんあって、行きつけのお店と言ってしまってもいいのかもしれないと思いました。

気づかないうちに大好きに。
実は周りにありふれて、あるのかもしれない。

そんなスタバで、今日私はコーヒーを思いっきりこぼしてしまったのだけれど、店員さんの対応が優しすぎて有難くて、幸せすぎてnote書いてます。
すごいなぁ。

最近とっても、オフィスワークじゃない、お客さんと対面で接する仕事への興味が高まっています。
色んなお店に行って、そこの店員さんに感動すると、毎回とても心惹かれる。尊敬するし、素敵だなと思う。
だからといって、何というわけでもないのだけれど。


ほんだい

タイトルに書いた通り今日のテーマは
「つまるところ、認められたいのだな」
ということ。

私はこのnoteの自己紹介にも「器の大きな女性になる」と目標のようなものを書いているし、よく友人や同僚や上司とか、周りに居てくれる人たちに「寛容だよね」と言っていただきます。
とても有難いし、私自身も寛容で余裕のある人に憧れて「寛容であろう」としているから、とても嬉しい。

それでふと、今日このnoteのプロフィール文を見返していて、「なんで私は寛容でありたいんだろう?」と思ったんです。

その時すぐに頭に浮かんだのが、
「寛容に接してほしい」「受け入れられたい」から
という理由だった。

ふと浮かんだものだけれど、多分これは真理で本心。
私は、つまるところ、認められたいのだなと。
私は、自分自身が受け入れられたいから、どんな人でも受け入れられる人になりたいんだなということに気づきました。

気づけてよかった〜〜〜〜〜

と思う反面、難しさを感じたのが、「受け入れられること」を見返りのように思ってしまっていたら変な方向に進んでしまいそうだなということ。

私自身が他人を受け入れることは、私の自由だし、
他人が私を受け入れるのも受け入れないのも、そのひとの自由。

その前提をしっかり持ちながら生きないと、
「なんで受け入れてくれないんだ!私は何だって受け入れるのに!」
というまっっっったく受け入れられない人間になってしまいそう。。笑

だなって、思ったんです。

「受け入れてもらえないこと」も含めて受け入れられるようになって初めて、本当に寛容な人になれるのかもしれない。

このことに、いま気づけてよかった。


そんな気付きの朝、でした。

皆さんにとって、今朝はどんな朝でしたか?
いい朝だったらいいな〜。


それでは、またね。

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