高学歴、知識人という「憧れ」の終わりの始まり


2021年2月から11月という「3回目ブースター接種」が始まる前までの「期限を区切って」いる時点で、この統計が「何も証明していない」ものであることは明らかであるが、そもそも「統計学」という「数式」を『創作』して「死者を90%減らせた」という『数式を作ったよ!』というだけのものである。
しかも、その数式自体が数学者に言わせると「間違っている」らしいが、彼にとってそんなことはどうでもいいのである。
世間が「京大」という看板に影響されているうちは、創作であろうが間違いであろうが関係ない。
要望通りの答えを創作して出すことで「褒められる」のだから。


「人として・・・」

そんなものはどうでもいい。
何のために京大の教授にまでなったのか?

それを如実に示している。


これを見て学生たちは何を思うのだろうか・・・
まぁそれは彼ら次第である。

ダブルスタンダードなど当たり前の事。
それが社会というものだ。


先日、ウィルス学の宮沢准教授が京都大学の辞意を表明した。
コロナウィルスが「人工物」である論文を発表してのことである。

『真実を語ると辞めなければならない』
これを見て学生たちは何を思うのだろうか・・・


ダブルスタンダードな社会に殉じて生きるのか、真実を求めるのか・・・・
選択することだろう。

大学は明らかに「ダブルスタンダードに賢く生きろ」と教えている。
そういう人が尊ばれ、真実を求めると追放されてしまうという現実を目の当たりにして、どのような未来を選択するのだろうか。


だがしかし、これほどあからさまに「ダブルスタンダード」がいとも簡単に見抜かれてしまうほどに、稚拙であることに気付かずにそれを続けるものを見て、彼らは何を思うだろう。


詐欺の罪で告訴されてしまうために日本に帰ってこれない人物を、インフルエンサーとして使い続けているマスコミも、自分たちの稚拙さに気付かないまま「騙せている」と思っている。



金さえ稼げば「仕事」といい、何をしてもいいから大金を稼げば「実業家」というのが風潮の世界で、「スタンダード」とされているものは一体何なのか?

税金に群がり騙し取ることを事業と言い、褒めたたえる社会を目の当たりにして、何を選択するかは自由である。
大学も、実業界も、矜持を失い右脳を曇らせた左脳だけの左傾化した世界となっているが、その極端さが露呈しても突っ走り続けている。

左脳にとって「真実」など無意味である。
いかに理屈を合わせ、辻褄を合わせるかが左脳の役割。
そんなものばかりと「記憶領域」ばかりを訓練し続けた人間の成れの果ての姿がそこにある。

右脳を劣化させ矜持を殺した人間社会のスタンダードは、すでに「サイコパス社会」となっている。


矜持を失った人間は「騙す」ことを厭わない。
右脳の力を失った人間は「真実」に辿り着くことが出来ない。

左脳という「仮想空間」で、「記憶領域」から情報を引き出しながら、ただただ「理屈」をこねて理論で遊ぶ姿は、レゴブロックで遊ぶ幼児と何ら変わらない。
ただただ遊んでいるだけである。

そんな「レゴブロック」で組み立てただけのものを「ありがたい」とも思えないのだが、それを「ありがたく」思わせる情報操作というメディアの仕組み。
だがそれ自体もレゴ遊びに過ぎない。


そんなレゴ遊びの情報に振り回される人間の愚かさは、同じ領域に住む住人ということなのだろう。

マトリックスから出られない住人と、既に外に出ている人間。
完全に真っ二つに分かれてしまった。





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