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EP12.【久保寺透哉#43】

甲子園の地で輝く同級生を追って
球速アップでさらなる高みへ


NPB選手との意外な関係

阪神タイガースの森下翔太
2022年にドラフト1位で入団した期待の若手は、中学校時代久保寺とともに同じグランドで汗を流していた。

1学年2~30人ほどで構成されていたかつてのボーイズチームは、久保寺が入団したその年に全国大会へ進出するほどの強豪チーム。
日本代表に選出される選手も所属するほどだった。

「入団した初期は先輩たちの強さに驚いていた。全国大会で大敗を喫したことで、上には上がいることを思い知らされた。」

高校で活躍することを見据えていた久保寺は、当時の期間を成長への糧と捉えることで向上心を密かに高めていた。

小学校の頃から主に内野を守ってきたが、時たま投手を任されることも。
この経験が変われ、中学でも監督の勧めにより投手で出場することもあったという。

「あんまりいい思い出もない。最後の夏では打たれたり、四球も多かったと思う。」

指導を仰いでいた監督の移籍が決まり、後を追う様に自らもチームを移転した久保寺は、元いたチームよりかは出場機会も増えたものの、最後までレギュラーの座を掴み取ることは叶わなかった。

神奈川に住む親元を離れ、その後は千葉の中堅校に進学。
それまでの経験に加え、任せられる選手が周りにいなかったこともあり、2年生の冬から本格的にピッチャーを始めた。

「2年の秋では125~128km/hほど。バッティングが好きなことに変わりはないが、速い球を投げたいとは思っていた。」

高校3年生の夏には背番号1を背負いマウンドへ。
しかし球速アップは叶わなかった。

元チームメイトが甲子園で活躍する姿をTVで眺めながら、不完全燃焼の中終わりを迎えた3年生の最後の夏。

ようやく投手1本にかけることを決意した未完のエースは、さらなる高みの地を目指していた。

クラブチームで過ごした転換期

球速を上げたい一心だった

従来のフリーウエイトとは異なるトレーニングを行うことで、体に新たな動きを獲得する手法を取り入れていた。
見慣れないマシンが備わったジムへと通い詰めていた矢先、縁ありそのマシンを保有する企業が創設したクラブチーム(Hogrel BC)への入団が決定した。

「高校の時はただ投げているだけだった。(Hogrel BCの)監督と出会い、考えて練習するのが楽しくなった。」

監督が元投手だったこともあり、考え方やトレーニングなど教わることは山ほどあった。

自分で考えて練習する平日。
その成果を試して試合に臨む土日。
試合で出た反省と、監督からの助言を持ち帰ってまた練習に励む平日。

気づけば球速もMAX135km/hまで引き上げていた。

「投手コーチからも色々教わるようになり、より野球が楽しくなってきた。監督・コーチに恵まれていた。」

好循環の中生み出された好サイクルは、その後の社会人野球をこの上なく充実させた。

しかし入団から4年目にして怪我の発症。
チームのために”と腕を振り続けた4年間で疲労も蓄積され、満身創痍の中投げ続けた体からは悲鳴の声が上がっていた。

これを機に久保寺は、大阪に本店を構える接骨院の神奈川店へと通い始める。

「(接骨院では)体全体を使う投げ方を一貫して教わる。そのうちに肘の痛みはなくなっていった。」

プロ野球選手にはずっとなりたかった。

その後の進路では“行くなら独立しかない”と腹を括り、通っていた接骨院が大阪にあることも加味し、トライアウトも関西へと照準を絞っていた。

そして無事入団が決まった和歌山。
初めての自炊生活に苦戦を強いられてはいたものの、接骨院の先生から受けるポジティブな影響に未来を明るく語った。

「教えられている使い方がまだできていないが、今年中に145km/h投げたい。上のレベルへと進むには必要な球速だと思う。」

来年地元リーグへの挑戦を見据えている久保寺。
叶わなかったら就職する道を探すというくらい、今年にかける思いは熱い。
奇しくも元投手が監督を務めるのは和歌山も同じこと。

身近な人が(NPBへ)行ったら自分も(NPBへ)行きたい気持ちが上がる

周りに動じず流されないスタイルは生粋な投手向きの気質と言えるだろう。
意向と指導のベクトルが同じ方向を向いた時、力の大きさが二乗三乗と大化けしていく。
そのポテンシャルが開花される瞬間を最後まで見届けたい。

バイト先で見つけた意外な趣味

Hogrel BCに所属していた4年目の年、ゴルフ施設でアルバイトを掛け持ちしていた久保寺は、試しに始めた打ちっぱなしで見事その魅力にハマっていった。

コースに出たことはないものの、時間があればまた打ちに行きたいと語っていた。
バッティングが好きだった気性もあるのだろう。

他にも地方の社会人野球、独立リーグへも足を運んでいたこともあったと言い、“観る野球”も好きな根っからの野球人だ。

底なしの探究心は立派な強み。
夢見た憧れの地への想いは誰にも負けない。
きっといつか実を結ぶことを信じて、久保寺の研究と思考の日々はこれから先も続いていく。

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