EP24.【小川佐和#24】
悲願の思いは無情にも届かず
2023年10月26日。
地元と球団関係者たちの期待を一身に背負い、指名を待ち望んだドラフト会議。
しかし“小川佐和”の名前が呼ばれることはなくその会議は幕を閉じた。
「終わった瞬間は、“もう来年や、来年頑張ります。”みたいに思いました。逆に火つきましたね。」
高校卒業後、4年間のブランクを空けて和歌山ウェイブスへと入団。
はじめのうちこそ感覚のズレを感じていたものの、持ち前の野生味と培ってきた経験に物を言わせ、開幕前には形を仕上げた。
「野球をするためだけに入ったわけじゃなくて、NPBに行きたくて入ったから気合い入れようって思いました。シーズンにどう間に合わせるか、今年どうやってプロに行くかばっかり考えてました。」
“脚の速さ”という明確な武器。
この武器とこの環境でどう目立てるかを考えた結果、当時小川が選んだ道は一つだった。
「盗塁の数を増やしたいから、まずは出塁しないといけない。(盗塁の)タイムでスピードがわかるし、数をやったら(スカウトに)見にきてもらうのには手っ取り早いかなって。濱中さんとか監督にも言われてたからやろうって感じでした。」
昨シーズン残した盗塁58は当時のリーグ記録を樹立。
出塁率も.414と好成績を残した。
しかし無念の指名漏れ。
ここでもやはり小川の中ではやるべきことが見えていた。
「もっと力強いバッティングもしなきゃダメだなって思いました。去年は出塁率ばっかり気にしてたんで、引っ張って欲しい場面でも流してとか。じゃなくて、引っ張れる自分を見せないと。」
高校では通算20本以上の本塁打を放っていた小川。
昨シーズンはバッティングスタイルを変えてまでも、武器を目立たせることに努めていたが、浮き彫りとなった課題は過去の自分を蘇らせた。
「ウエイトとかも去年全くやってなかったけど今年取り入れて、去年67キロくらいだった体重も今は72キロとかまで増えました。それもただ増やしただけじゃなく、大きい筋肉をイメージしてやってるから、スピードも速くなってる気がします。」
力強さを増したプレー。
スピードだけにとどまらず、パワーでも他を凌駕する勢いで今シーズンを駆け回った。
感謝を忘れずただひたすらに結果を求める
「現場でどう目立つか、というのを西村監督に言われました。」
数字だけ見ると去年より劣る部分もあるかもしれない。
それでも今年はどの要素でもインパクトを残し、そのための全体的な底上げを掲げていた。
「数字とか気にしだしたら多分結果とか出てこないから、現場とかスカウトにどう目立つか、一番目立つにはどうしなきゃいけないか、とかを重視しています。(NPBとの交流戦でも)相手チームの誰かより目立つ、みたいな。」
いつでも行動には自信と根拠が漲っている。
そんな気持ちが威勢の良いプレーに直結する。
“自分のやってきたことは間違っていない。”
それを証明するのは10月24日に控えるドラフト会議での結果のみ。
「プロに行かないと正解じゃないし。それを続けてきたから意味があるよっていう人もいますけど、自分の中でそれを目指してやってきたんだったら、全然意味ないし。そこにこだわらないと。」
それほどまでに果たしたいプロへの道。
何がそこまで彼の原動力となっているのか。
「レベルの一番高いところでやりたいですよね。簡単にいけるとことじゃないし。プロに行くこだわりはいっぱいあると思うんですよ。高校の同級生も何人かは行ってますし。」
水谷瞬(北海道日本ハムファイターズ)らと同じグランドで汗を流した高校時代。
かつての戦友が憧れの地で戦う姿は、負けず嫌いな本能を奮い立たせる。
「悔しいというか刺激になります。今でも連絡はとったりしていますね。待っとけよぐらいの感じで話してます。」
地元で戦う恩恵は大きい。
古い仲の人たちからも刺激ある言葉をもらっている。
「人のことを応援するって、しかも自分が諦めたことってなかなか(応援)できないんですよ。多分、悔しくて。それでも地元っていうのもあって結構言ってくれる人もいる。こんだけ応援してくれる人もいたら、まじ(NPBに)行かないと申し訳ないなっていうのは思います。」
一番近くで誰よりも支えてくれる存在も忘れてはならない。
「野球やろうって決めた1週間後に(嫁と)籍を入れる予定だったんですよ。それで相談した時も、“誰かに止められてやめるくらいならやめときな”って言われて。
僕は好きなことはやらさせてもらってるだけ。普段も朝と夜しか会わないし、めっちゃ我慢してもらっていると思います。それでも朝起きたら弁当置いてあったりとか。」
感謝の先が増えれば増えるだけ小川の心は動かされる。
“プロ一択”
終始目指す先は気高き日本の頂点のみ。
突き抜ける行動力でさらなる高みへと走り抜ける。
趣味のレベルを通り越して
高校卒業後、野球から離れた生活を送っていた小川。
父親の影響もあってかサーフィンにのめり込み始めていた。
「やるならこの辺で一番上手くなってやろうとか思って(笑)。でも海行ったらめちゃくちゃ難しいし。波ある時ない時関係なく、趣味とかのレベルじゃないくらい毎日海に通ってました。」
今となっては当時付き合いのあったサーフィン仲間からも、激励の言葉をもらったりもすると言う。
なんでも一番になりたがる性分。負けず嫌いな証拠だろう。
本気度が伝わる彼の言動は、関わる人の心を動かす。
一年越しのリベンジの場まで残された時間は約1ヶ月。
地元に夢と希望を与えるべく、最後まで全力で走り切る。
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