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EP15.【岡村雄斗#30】

グランドに戻ってきた愛媛の抜け忍
果てなく続く挑戦の道

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自信を生んだ継続の日々

初めてバットを握ったのは3歳。
この頃からすでに“左打ち”の構えをしていたらしい。

お世辞にも強いチームで育ってきたとは言えない岡村。
小学校3年生の時に入団したチームには、当時9名の団員しかおらず、入団してすぐ次の週にはサードのポジションで試合に出場していたという。

「周りがサッカーを始める子が多くて、みんなと一緒が嫌だった。初打席はサードへの内野安打だったな。」

今の姿とは裏腹に、天邪鬼な一面も持っていた幼少期。
サード・ショート・ピッチャーと色んなポジションを任されてはきたものの、大きな結果も残せないまま中学校へと進学した。

「(伊勢市の)リーグ戦で10チーム集まる大会があって。0勝9敗の10位とか、そんな中学だったな。」

もちろん野球を始めた頃より抱いていたプロ野球選手への夢
中学でも目立った成績を残せなかった岡村は、進学を願っていた高校からのスカウトも来ず、両親が通った“皇學館高校”への進学を決意した。

入部したての新一年生は約25人。
三重県内では中堅クラスだった。
熾烈な争いが目に浮かぶこの状況で、監督から耳が痛い言葉を浴びせられる。

お前無理やから外野行けー。

4月初めのシートノック。
弱小ではあったものの、ずっと守ってきたショートのポジションで勝負に挑もうと思っていた矢先、わずかシートノック一球にして実力を見切られた。

「最初は“まじか”と思ったけど、守備は上手な人もおったし。試合出るにはしょうがないか、打てばいいんでしょくらいの感じやったね。」

バッティングでは誰にも負けたくない
譲れない想いを生み出した背景には、大きく頷ける野球人生を歩んでいた。

「新聞紙や広告を丸めて家で父親と打っていた。野球を始めた時からずっと。小学校5年生の時には365日やっていたと思う。やりたくないからやらん、っていうのはなかったな。」

アスリートたるものモチベーションに左右されない。
知ってか知らずか、幼き頃よりプロマインドを育て上げていた。

寮には入らず実家から高校へと通っていた岡村。
この習慣を続けるべく、全体練習が終わってからは、誰よりも早く家に帰宅していたと言う。

「結果が残っていたのはなんでだろうって振り返った時に、やっぱりこのティーバッティングがあったからだと思う。最後の夏も2回戦負けだったけど、8打数6安打だった。」

監督からもバッティングはお墨付き。
形に残った結果がさらなる自信を膨らませ、大学への挑戦に向かっていく。

初めての優勝、そしてプロの世界へ

“お前ショート無理やー。サード行けー。”

ん?デジャブ?
いや違う。

大学入学前の3月から練習に参加していた岡村。
初めて受けたシートノックの3周目には、またしてもショートクビ宣告を通達された。

その後4年間はずっとサード。
しかし1年の春からレギュラーで出場するほど彼のバッティングは本物だった。

「(皇學館は)三重県でも1位を取ったことがなくて。最高でも2位、毎年4位とか5位のチームだったな。ゆるゆるだった。」

そんな大学で迎えた2年生。
当時の主将の思いにより、チーム内での意識改革がもたらされた。

そしてその年の春には三重リーグで優勝。
3年の春にもリーグ優勝を果たし、進んだ東海大会でも優勝した皇学館大学は、初めての全国大会へと駒を進めた。

相手は全国大会最多出場の福井工業大学。
なんと1−0で勝利したその日の試合で、チーム初ヒットを放った岡村は、皇学館大学野球の歴史に名を刻んだ。

「まさか学校側も勝つとは思ってなかったから、ホテルを予約していなかったんだよね。宿が決まるまでバスで1時間半待機してたわ(笑)。」

期待以上の活躍を見せた全国大会では、その後惜しくも2回戦で敗退することとなった。

教員を目指す学生も多かった皇學館大学野球部。
ほとんどの部員が4年春で引退を決めていた中、岡村は唯一4年秋のリーグ戦にも出場していた。

「俺だけ野球を続けるから、4年生で1人だけ試合に出ていた。大卒でプロに行きたかったけど、調査書ももらっていなかったから厳しいなとも思っていたけど。」

今では最大13歳離れたメンバーとも野球をしている岡村。
この頃より年下メンバーとの野球には慣れていたのだろう。

そして最後のリーグ戦を戦っている最中、相手チームの監督が岡村の進路を気にかけてくれたのだという。

「そのチームの投手コーチに愛媛マンダリンパイレーツ出身の方がいて。その人に愛媛を紹介してもらって練習に参加した。」

その場で合格とはならなかったものの、秋に控える合同トライアウト次第では指名する可能性も示唆された。

「シート打撃で誰も打っていない中、得意のレフト前で結果を残した。正直指名は(どこかしら)もらえるだろうと確信していた。」

その日の帰りに鳴った電話。
のちに雑草魂を燃え上がらせることとなる、愛媛球団からの指名宣告だった。

それでも思う、バッティングへの自信

サードには前年度首位打者の元NPB外国人。
ショートには打率3割越えのアメリカ帰り選手。
セカンドには同じく打率3割越えの守備職人。

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