EP1. 【堅木大輔#1】
成長期真っ只中の20歳
2人の兄を追って飛び込んだ独立リーグの世界。
和歌山ファイティングバーズ(前・チーム名)に入団が決まったのは高校三年生の秋だった。
高校卒業後すぐに迎えた独立リーグ一年目のシーズンでは、お世辞にも目を引くような結果は出せず終了。
残した安打はわずかに2本。
この年チーム内トップの深谷(54本)との差は歴然。
打席数で言ってもわずか22。
チーム内トップの藤原(224打席)と比べると十分の一にも満たない数字だ。
親元を離れた18歳が経験した苦すぎるシーズン。
それでも決して努力を怠らない姿勢は、今思えばこの頃から何も変わっていない。
「まじで、一生素振りしてました」
言葉どおり、夜遅くまで寮の屋上には空を切る音が鳴り響いていた。
試合帰り、練習終わり、バイト帰り。
関係ない。
やることといえばひたすら素振り。
短ダッシュをしていた日もあると言う。
自分に課したメニューをこなさないと気が済まない性分だからだ。
高校の頃には言われたメニューをこなすだけだったと振り返るものの、この頃にはもう努力することをきっと楽しんでいただろう。
さらには自分の足りない要素を自分で調べるようになったと言い、トレーニングするにしても、筋肥大・最大筋力・瞬発力などをわけて考えるようになってきた。
もちろんウエイトの意識が変われば食事への意識が変わるのは想像に難くない。
1日で摂取するたんぱく質量にはこだわり、体重×2gを達成させるために朝からゆで卵3個はマストで摂っていた。
特にお気に入りだったメニューは、
“オムレツon納豆”。
頭の良い読者、というか普通の読者なら気づくだろうが、これでは納豆の上にオムレツを乗せていることになる。
少々英語が弱いことは、黙っておこう。
だが体が強くなってきたことは間違いない。
一年目からMAX8キロ増加した体重は、一際キレが増してきた。
不動のレギュラーだった松本(現・和歌山ウェイブス野手コーチ)が引退したこともあり、レギュラー争いに食い込んできたニ年目。
森(悠)とサードのポジションを奪い合いながら闘ったシーズン成績は、131打席(109打数)24安打。打率も.220まで引き上げることができた。
大きな成果と経験値だ。
もちろん満足している様子もないが、一年目より遥かに充実したシーズンを送ったことだろう。
ただこの成績。
本人1人じゃ到底成し遂げられなかったに違いない。
これだけ目を見張る成長の裏には、欠かせない人の存在が大きかった。
恩を返したい2人の存在
2024シーズンから背番号を“1”に変更した。
和歌山ファンの方にはすごくわかりやすい番号だが、前年まで所属していた深谷(現・くふうハヤテベンチャーズ静岡)がつけていた背番号だ。
一年目のオフシーズンから練習を共に過ごし、トレーニングやオフの日の自主練にもとにかくついていった。
個にフォーカスする独立リーグにおいて、ここまで熱心に指導を仰げる先輩は本当に貴重だ。
まして関西独立リーグとはいえ、四年連続3割を記録している打者となれば尚のこと。
良くないことも中には教えに入っていたかもしれないが、齢19歳にとっては全てが財産となった。
そしてもう1人。
生島(現・淡路島ウォリアーズ監督兼コーチ)という大きすぎる存在。
元々リーグの合同トライアウトを受けにきた堅木は、この生島に見込まれて指名された。
それほど未来に可能性を感じさせたのだ。
18の年の差などあってないようなものと言わんばかりに、2人で練習することもあったと言う。
高校の卒業式翌日、車を持っていなかった堅木を迎えに行き、そのままグランドへ向かった。
送迎付きの2人のコソ練は一度だけでは終わらなかった。
特に口酸っぱく教わったのは“体の軸”について。
体の内側から力を伝えようと意識する生島のプレースタイルを、そのまま伝授されているかのようだ。
力むことでボールを飛ばそうとする今までのスタイルと、真逆に近い教えはすぐにはさって理解し難いものだった。
それでも黙々と数をこなしていくうちに、ある時突然降りてくるのが、“あっ、この感覚!”だ。
後からになって気づくことの多い生島の教えは、今なお思い出すこともあるらしい。
それほど堅木の中の“生島”という存在が大きかったのだろう。
そんな2人に返せる恩はただ一つ。“結果”だけ。
特に生島は同じリーグということもあり、同じグランドで成長した姿を届けることができる。
NPBに行き、“生さんのおかげで今の僕がある”と言いたい。
普通のゴロを捌いただだけで「スーパープレーや!」と言っていた生島を見返してやりたい。
その一心で、今もなおバットを振り続けている。
3年間変わらない生徒手帳
写真を使い回しているわけではない。
学校が仕事をしていないわけでもない。
3年間全く容姿に変化がなかっただけだ。
これを見て笑わない人がいたならば僕はその人を称えたい。
初々しさとあどけなさが残る中学一年生のまま3年間過ごしきった。
思えば入団当初から年上メンバーに囲まれて過ごしてきたこともあり、皆の弟的存在だった。
皆からイジられ、からかわれ、時にはいじめられ…?
そんな堅木がもう20歳。
チームを引っ張り鼓舞しようとして必死に走り回っている。
和歌山三年目となる今年こそ、チームの主役となり勝利へのブースターになれるか。
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