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統一運動《5/12 今日は何があった?》

1964年 蕩減基金に関する式
1974年統一教会在日韓国人の会集会、御言 👇
1974年御言「中心点と我々」(本部教会)
1976年 ニューヨーク、マンハッタン、ニューヨーカー・ホテル(世界宣教本部)購入
1984年 「ユニバーサル・バレー団」創団 👇
1986年真のお母様、「光の子園」ご訪問
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1990年 モスクワ大会勝利帰国真の父母様歓迎大会 馬山、総合運動場野球場
1992年 韓国、「世界平和女性連合」全国市・道大会 春川、室内体育館
1999年 世界真の家庭世界化前進大会 ニカラグア、マナグア、カミーノ・レアル・ホテル
2000年 南米・ヨーロッパ巡回講演 アルゼンチン、ブエノスアイレス、ヒルトン・ホテル
2003年十字架を下ろす運動を行った米国牧師団(132人)が米国を出発し、バチカンを経由して、15日にイスラエルを訪問(~20、第1次イスラエル巡礼ツアー)
2003年真の御父様が日本の青年伝道隊に対して「天世家庭祝福団」の名称をくださる 👇

《1974年統一教会在日韓国人の会集会、御言》
日本統一運動史(光言社)p351

 「国を離れ、異国の世界においてあなたたちは、いろいろな環境に恵まれない状況で生まれ、 あるいは環境の許されない苦しい立場で今まで戦ってきたということを、先生はよくよく知っております。 学生時代に日本で勉強したんだから。
 国なき、 国の主権を持たないそういう時の悲しみというのは、まあここにおる者たちにはわからないのかもしれない。・・・解放以前におっ君たちの父母の状況は、自分なりの思いを立たせることのできない辛い立場におかれ、その環境においても主体的その理想を持ちながら主張性を得られない不運な立場でいろいろ苦労の道を通過してきたということは、あなたたちは知らないでしょう。

 しかし、 先生は良く知っております。 帝政時代に日本国家に反対し、あるいは地下運動もした経歴があるんですけれど、国を愛せない者は神も愛せないというのが歴史的伝統である。 国を忘れた者に神の国を受け継がせても、それを忘れてしまうというのが、 先生が学生時代から持っていた思想だったんです。
 韓国民族の血統を受け継いだ者たちではあるんだけれども、この日本の地において、それはもう貧しい苦しい生活をやってきた一面から見た場合には、本国の韓国人とちょっと違う。 ・・・日本人に勝って信頼する者になり得るや。 ...
 韓国人が集まった場合にはグズグズが......。 これは韓国人の弱少民族の弱点である。 10人集まったら、 建設的な話をする者は一人もいないね。 グズグズ言う者が多いんだね。 … 韓国人の弊害は10人集まればグズグズが多い。 ···そういうような不平を言う前に、先に高い山を越えていけ。 先に働いて、 皆が崇めるようなことをやれ。 ・・・死の境地を乗り越えても余りある神の信頼すべき青年を訓練させる」 (抜粋)

《1984年 「ユニバーサル・バレー団」創団》
真の父母経p1074

「ユニバーサル・バレエ団」の創団

 真の父母様は、文化芸術を通した理想的平和世界である心情文化世界の具現という趣旨 で、一九八四年五月十二日、「ユニバーサル・バレエ団」を創団された。「芸天美地、天上の芸術によって世の中を美しく」をビションとして創団された「ユニ バーサル・バレエ団」は、韓国で最初の民間によるプロのバレエ団である。

 第一回公演の「シンデレラ」を筆頭に、韓国内、そして、世界十七ヵ国で千八百回以上の公演を披露し、アジアの代表的なバレエ団に成長した。

1 バレエは西洋舞踊ですが、西洋はキリスト教文化圏です。キリスト教文化圏は新婦文化です。主を新郎として、家庭と国に定着することを願ってきたのです。

 新婦が願うのは新郎ですが、新郎と新婦が出会って歴史的な恨、神様の恨を解き、解放された踊りを踊ることによって、天地を振動させようという、決意に満ちた皆さんになることを願うものです。ですから、名前も「ユニバーサル」としました。

《1986年真のお母様、「光の子園」ご訪問》
日本統一運動史(光言社)p415

 真の御母様は、鄭大和女史らとともに東京都世田谷区の「光の子園」 (園長、 林三男氏) を訪問され、 祝福二世たちと会われました。館内に貼り出された園児の絵を見られた御母様は「上手ですね」とほめられ、また園児が韓国語で 「オンマーヤ」 「東の勇士」など7曲を披露すると「とても発音がいいですね」と喜ばれました。
 園児たちは真の御母様に握手を求めて、 なごやかな交わりの時間をもちました。
 真の御母様の御言
「教育をするときには、 愛と献身的な心情で子供に教育するようにしなければなりません。 ... 愛の心を持ってすれば、自らの道が開かれてくると思います。 愛はすべてを解かします。 だから、 愛をもって教育していけば、秩序とかいうようなことを考えなくても、 自然に自らそういう方向に行くのです。」

《2003年十字架を下ろす運動を行った米国牧師団(132人)が米国を出発し、バチカンを経由して、15日にイスラエルを訪問》
日本統一運動史2(光言社)p253

 2003年5月12日から20日まで、 第1次 「エルサレム巡礼ツアー」が開催され、アメリカで十字架を取り外す式典を行った牧師たち一行、計132人が参加しました。
 真の父母様は、 すでに1965年10月3日の御言 「天宙に立つイエス様」の中で、 「キリスト教(の始まり) は十字架を通してではなく、復活を通してである。 十字架は悲しい条件である。 もし復活がなければ、キリスト教の始まりは果たし得ない。だから、先生が世界を一周したときに見た十字架があるところでは、我が使命はその十字架を切ってしまわなければならない。 我が弟子のため、 我々の弟子を通してでも切ってしまう。キリスト教は十字架の道理ではなく、復活の道理である」と語られているように、草創期から、十字架を外す運動の必要性を訴えておられました。
 この牧師たちのツアーには、大きく二つの使命がありました。一つは降ろした十字架をイスラエルの地に埋葬すること、二つ目はユダヤ教指導者やイスラーム指導者たちと和合の会議を開き、 「エルサレム宣言」という和解のための宣言式を行うことです。
 一行は、バチカンを経由し、5月15日、イスラエルに到着。 17日までの3日間、 オリブ山やゲッセマネの園など、 イエス様のゆかりの場所を中心に、イスラエルを観光しました。
 5月18日 (日) に十字架の埋葬と、 ユダヤ教指導者とのシンポジウムが行われました。 真の御父様は、イエス様が十字架にかけられたゴルゴタの丘に十字架を埋葬することを願われましたが、そこは現在、聖墳墓教会が建っているためにできません。 そこで聖墳墓教会の入り口で、 小さな十字架を置いて、 それを世界平和統一家庭連合の旗で覆って象徴的に行い、 実際の十字架は、 イスカリオテのユダがイエス様を売って得たお金で、 ユダヤ教の祭司たちが外国人墓地として買った「血の畑」 で行いました。
 十字架が埋葬されるとき、ユダヤ人の教会員の女性は、クリスチャンに対する恨みが完全に解かれたことを実感し、感涙にむせんでいました。
 その後、ホテルでシンポジウムが開かれました。 ユダヤ人の代表と米国キリスト教の代表が意見を述べ、 その後、参加者がそれに基づて討論を行うかたちで行われました。 シンポジウムの最後に「エルサレム宣言」の署名が行われました。これは、ユダヤ人がイエス様を十字架にかけた罪を認め、悔い改めるという内容が含まれていました。 これに対してユダヤ教指導者のラビは猛烈に反対し、一時は宣言に署名することは不可能とさえ思われました。
 しかし、スターリングス大司教が熱弁を振るい、 「私たち (キリスト教徒) こそユダヤ人を迫害した張本人です。 その罪を悔い改め、 あなたたちユダヤ人に許しを請います。 どうか許してください」 と真心から謝罪しました。 すると最高ラビが「イスラームの代表と一緒ならサインをしてもよい」 と受け入れたのです。
 スターリングス大司教とユダヤ教、 イスラームの代表者が抱き合って宣言文にサインすると、会場から大きな拍手が起こり、 その後、参加者らが次々とサインしました。
 この歴史的な宣言をした牧師団一行は、20日に帰国し、 一行の代表から報告を聞かれた真の御父様は大変喜ばれ、 「エルサレム宣言」に署名され、その下に韓国語で「イスラエル勝利」 と書かれました。
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