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男の子育ててみたキロクその2(小学校編)

引き続き、もうすぐ16歳になる息子についてのお話です。
小学校に入る前、3歳から保育園に行っておりました。厳密にいうと2歳の途中からですね。私自身はパートで働いており(元夫とはまだ一緒に生活をしておりました)、そのほとんどが保育費に消えちゃうという感じでしたが専業主婦→兼業主婦になって充実した日々は私にとってはとてもhappyな日々ではありました。

保育園時から一筋縄ではいかないタイプではありました。
一緒に絵を描きましょう!→絶対いや!だって上手に描けないもん!
一緒にお顔つけましょう!→絶対いや!だって自分のペースでしたい!

といいつつ、運動会や発表会では張り切って頑張ってました。
自宅では仮面ライダーの歴代のベルトを付け、変身し続けておりました。
私は敵役で夕食作成時いつも何かで切りつけられておりました、笑

そんなこんなで息子が1年生になってすぐくらいに私は夫と離婚しました。
1年生になってすぐくらいに学校から「石の投げ合いをしていた」と学校から連絡がありました。これが呼び出しあり(仕事終わりに着信開くのが怖すぎた)のスタートであります。

3年生になったある日警察から「近所の釣具屋でルアーを盗もうとした」と連絡がありました。耳を疑ったし、片親ながらひもじい思いはさせてはいけないと、釣り好きの息子にいろいろ買い与えていました。それなのになぜ???と思いながら釣具屋に向かったのを鮮明に覚えています。片親であるという子供たちへの後ろめたさは常にありました。

釣具屋に到着したとき、息子は一人泣いていました。一人でやろうとしたのか???と警察の方からいろいろ話を聞いて、本人も反省しているし初犯やしということでお店の方も許してあげてほしいと警察にお話ししてくださり、大事にはならずに済みましたが、私の気持ちの中では大事でした。
説教というよりも、なぜしたのか、またするかもしれないのかなど話あい、その後は万引きを繰り返す事はありませんでした。

その後お友達のお母さんに少年野球チームに入らないかとお声がかかり、周りの人にも何かさせたほうがいいと言われそのまま入団。
当時私は土日の関係ない仕事をしていたので保護者としていける日もあればいけない日もあったりでした。早朝のグランドまでの送迎などはしたし本人も渋々、私も疲労満載で6年生退団まで継続し続けました。
本人も渋々ながらも大きな体を利用してなかなかのいいバッターではあり、6年生になるころにはまんざらでもないような感じで参加していました。

お勉強のほうはと申しますと0点当たり前でした。
お姉ちゃんは小学校、中学校と進研ゼミをこつこつし、受験に挑んで中の上の成績だったので、息子にも同様進研ゼミを購読していたら、全く手つかずで終わっていました。
さすがにやばいなと感じちかくのくもんへ通わせてみたものの、終わりの時間になっても帰宅しないので迎えにいくと、ひとりぽつんと座っていました。「お友達がしているときはお友達を観察しているんです」と先生。。。
えええええ。観察。。。。

そして帰宅して毎度「勉強したくない」と言う始末。
小学校の間はまぁいっか、と私もそう思ってしまったその時の事をまぁまぁ後悔することになります。  つづく


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