「四度目の夏」21
2046年7月26日 9:08
「それでよくにいやんの友だちって言えるな!」
「よっくん、いいよ、ありがとね」
ぼくは怒鳴るよっくんを制した。
マサキの顔を見る。ロウソクが揺らめくだけでその表情は読めない。
「ぼくらはまだ友達じゃないよね、ごめん。だって去年虹池で出会っただけの関係だもの。なんだろうね、今年も会えるって、勝手にぼくが一人で楽しみにしていたんだ」
ぼくは続けた。
「去年父さんと新しい奥さんと三人で白雲岳に来たんだ。それがふたりの新婚旅行みたいなものだったんだ。でも新しい奥さんはそれじゃ不満だったから、彼女は忙しい父さんを説き伏せてキプロス旅行が叶ったんだ。二人にとってこれはハネムーンみたいなものなんだ。それでぼくは今年ひとりで白雲岳に来たんだ」
「ハネムーン……? 君を一人置いて?」
マサキがつぶやくように言った。
父さんと新しい若い奥さんにとって、ぼくが一体どういう存在なのか、考えたことがなかったといえば、うそだ。
母さんがいなくなって、ぼくと父さんの関係がこれまで以上にぎくしゃくしたのは確かだ。
「ぼくは自分で望んで、一人でここに来たんだよ。ここの景色が好きだし、空気が好きだし、おばあちゃんはぼくを歓迎してくれてる」
のどがカラカラに渇いて言葉に詰まりそうになる。白雲岳に今年も行きたいと思ったのは本当だ。でも今年もきっと、これまでの三年のように、父さんも一緒だと思っていた。この夏で、母さんがいなくなったぼくと父さんの溝を埋められれればと、そんな甘い考えもあった。でも父さんはあっさり新しい妻を優先した。
「君を置いて人生を思い切り楽しむ二人が生きていてくれたら、嬉しいって思うの?」
マサキがぼくに問いかけている。ぼくは彼の長い前髪が邪魔をして、いま彼が目を開けているのか閉じているのかすら見えない。
「いやなんか、おまえなんかの言い方むかつくわ」
よっくんが言った。
生まれたときから、父さんはぼくの世界に君臨していて、父さんの存在しない世界を味わったことがなかったぼくは、もしかしてこの存在が損なわれようとしているぼくの世界をどうにかここにとどめようとしている。
それは父さんが好きだから? 好きってなんだ?
「正直に言うよ」
父さんは父さんだ。
「ぼくは父さんが嫌いだった。好きだなんて思ったことは、一度もない。ぼくも、父さんから大事にされてるなんて、思ったことがなかった。ただ、一度だけ、初めてここに、白雲岳に連れてきてもらった時に、父さんが生まれたここを、ぼくに見せたかった景色があるって、思うことが、ぼくにはうれしかった。その思い出だけで、ぼくは父さんの息子だった、って思ってもいい」
うまく言えないけど、とぼくは付け加えて、マサキから目をそらした。
ぼくは――
父さんが死ねばよかったのに、と思ったことはなかった?
母さんが死んだときに、死んだのがなんで母さんで、なんで父さんじゃなかったのかって、父さんを呪ったことはなかった?
リビングやバスルームで香水の匂いを感じるたびに、どす黒い渦みたいなものが胸の奥に沸いた。
「朝ごはんはちゃんと食べたよ」
ぼくはマサキに言った。
「不思議だけど、ぼくはこんなときでも生きようとしているんだ。へんだけど、いつも以上にさ」
バチっと音が鳴るとともに、リビングの中央にモニターが広がって暗い部屋を照らした。ゆうに100インチを超えるモニターがホログラムで現れる。
ホログラムは空撮で街の様子が見える。海があって山もある。小さな白い建物が群集している。静かな朝みたいだ。スピーカーがオフになっているのかと思った。モニターのひだりからじわじわ黒い巨大な影が寄っている。あ、と思うと同時に部屋のスピーカーから爆撃音のようなものが響いた。それは音というより振動だった。部屋はこれっぽちも揺れていないのに、ぼくの心臓を激しくゆさぶった。
さっきまで平和な白い町並みはあっというまに漆黒に支配された。
まるで邪悪な悪魔に滅ぼされる国を違う場所から覗き見てるみたいだった。
「これがキプロスのレフコシア。バーバルの衛星から見たレフコシア。それからこれがギリシャ政府が持っている映像」
今度は対岸のトルコから映されたもので、キプロス共和国の北西部を中心に地中海を含むひろい海岸線に大きな黒い物体が衝突する瞬間を捉えたものだった。画像は激しく揺れてノイズが入る。
「こっちはキプロス……」
次の映像はキプロス共和国からの動画で、街が一瞬で夜になる、そんな映像だった。音声に悲鳴が聞こえた気がしたけど、実際には対岸から音声がとらえられるはずもなく、街が崩れるときにそんな音がするのだと感じただけなのかもしれなかった。
「バーバルの衛星から……」
さらに次の映像は再び衛星からキプロス島を映したもので、突然上空から現れる巨大な物体が落下する様子が見える。黒い噴煙が上がり、そこで映像は早送りされた。そして次に映し出されたのはごっそりえぐれた穴だった。その穴を目掛けて地中海の海水がなだれ込み、津波が島を覆った。
「なんじゃあこりゃ……」
よっくんが床にへたり込んだ。
ぼくの膝にも力が入らない。
「せ、せんそうか? どっかからミサイルが撃ち込まれたんか!」
よっくんがマサキに訊いた。
「戦争が始まった。ただし国家間じゃない。人間同士ですらない」
「それってどういう……」
意味かと聞こうとして言葉が続かなかった。言葉といっしょにうまく息が吐けなかった。
マサキは静かに言葉を放った。
「バーバルがホワイトハウスに提供した情報によると、あの巨大な物体は大気圏に入るまでレーダーに映らなかった。バーバルの衛星でそれだから国防総省でもNASAでもロシアでも、いかなる衛星にも映っていないはずだ。だからトルコ軍やトルコ政府が気づいた時にはもう間に合わなかった。どこの軌道を通って街に激突したのかもまだ不明だし、高度解像度を誇るレーダーシステムをどうやってかいくぐっていたかも不明だが、考えられることは一つだけだ」
「かいくぐれるだけのハッカーがいたってこと」
ぼくは言った。
「だよね?」
「はっかーってなんよ!」
よっくんが叫んだ。
「そんなことが可能なの?」
ぼくはマサキに訊いた。
「不可能だ」
マサキは即答した。
「ほんならなんでこんなおっとろしいことが起きんのよ!」
よっくんが怒鳴った。
「ここまで痕跡残さずハッキングして……なおかつ予測もつかない完璧な攻撃を仕掛けることは不可能だ。人間の知能ではありえない」
人間の知能でないとするなら――
ひとりでにアルファベットの二文字が、ぼくの口をついて出た。
その言葉によっくんが驚いた声を上げた。ぼくはそのまま動かずにマサキを見つめた。マサキもみじろがなかった。
部屋の中央でいまもさっきのの暗黒の世界がリピート再生されている。
映像の反射がマサキの白い顔に模様を作る。その目がどこを見つめているのか、ぼくにははかりしれなかった。
「そしてそれはバーバル製のAIだ」
マサキが言った。
最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。