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「四度目の夏」24(あとがきあり)

 チョコチップスコーン


 ブレンダがテーブルにあるガラスの容器からマッチを取り出して、消えたキャンドルに火を灯した。しゅぼっという音とともにマッチが炎で光ったとき、ぼくはブレンダの顔を見た。

 このバーバル社製のAIマシンも、ぼくらを敵に見ているということなんじゃないか?
 こうやって人間たちに奉仕しながら、いつ人間たちを支配してやろうかと虎視眈々とそのタイミングを探してるんじゃないか。?

 人間の赤ん坊をシッターするアナスタシア。
 役所や、銀行や、デパートでコンシェルジュするアナスタシア。
 学校で進路相談にのるアナスタシア。
 老人たちの介護をするアナスタシア。
 給食をつくるアナスタシア。
 薬局で必要な薬を処方するアナスタシア。
 無人の運転手のAIも、すべてはアナスタシアのビッグデータマトリックスとつながっている。
 いつ反旗を振るか、いまも、こうしているたった今もその機会をうかがっているんだろうか――

「なんのために?」
 ぼくは言った。
「爆撃されたキプロス島にだってアナスタシアはかなりの数いたはずだよ。人間だけじゃない。アナスタシアだって犠牲になっているだろう」
「進化系AIであるASIは、人間で言うところの肉体――ボディや個体の消失を問題としていない。彼らは何体、何万体と分化していようと、すべてインターネットでつながっているから、ひとつだ」
「じゃ、こいつもそうじゃんかよ!」
 よっくんがブレンダを指さした。
 よっくんの人差し指の先にあるブレンダはよっくんを静かに見つめている。
 マサキが言った。
「特別なマシンなんだよね。きみ仕様の」
 ぼくが言った。
「オフラインだから、攻撃を仕掛けたASIとブレンダはつながっていない。そういうことなんだよね」
 マサキは頷いた。
「じゃ、この紅茶には毒は入ってないんだな……。ほいじゃ解決すんのはかんたんじゃんかよ。そのASIのマトリックスとやらをぶっ壊すか、コンセントを抜きゃえんじゃねぇの?」
 よっくんの質問にだれも答えようとしない。しかたなくぼくが代弁した。
「よっくん、そもそもASIに物体はないんだ。やつらはオンライン上に姿を隠している。もはや人間たちのインフラを維持する限り彼らの動きを止めることはできない。人間の人間らしい生活と共に消滅させることは、もしかしたらできるかもしれない。つまり原始時代に戻る覚悟があるなら、だけどね。いったんテクノロジーがなかったことにしたところで、再度復旧させればそこにはびこったウイルスのように再び現れて浸食を開始する。実質不可能だ。それに実行したところで、人類はあっという間に半分くらいは消えちゃうかもしれない。つまり、インフラの後退に対応できる生命体じゃないんだよ、人間て。それにネットがどこかでつながる限り、見えない形でASIは生きている。ビッグデータマトリックスの破壊も、コンセントを抜く、も無意味だ。てことだよね?」
 マサキの沈黙は肯定の意味だと勝手に想像する。
「無意味って。やつらのやってることは似たようなことじゃんかよ。街をまるごとズドンだろ。ほんじゃおれたちはやられるだけってことじゃんかよ。逃げるヒマもないくらいある日突然なんだろ? いつ日本がそんな目にあうかわかんないってことだろ? 勝ち目ないじゃん!」
 よっくんが叫んだ。
「どうして……」
 ぼくは言った。マサキとよっくんがぼくを見た。ブレンダは紅茶をよっくんのティーカップに注いだ。ポットからこぽこぽと音がした。

「なんで最初の標的がキプロスだったんだろう?」

 暗い部屋の空気が動いた気がした。
 それからいっそうの静寂に包まれた。
「そ、そうだよ、なんでよりにもよってにいやんの父さんがいるとこが……ひどいじゃんかよ。はねむーんだったんだぞ! いや、ロボット、おれら今のんきにスコーンなんか食ってる場合じゃ……」

 よっくんがブレンダからチョコチップスコーンを受け取っていた。そしてブレンダはぼくにもチョコチップスコーンを差し出した。


*  


「あれ……」
 よっくんが天井を見上げて言った。
「おれたちあのロボットが作ったチョコチップスコーン食った……よなぁ?」
「え?」
 ぼくは昨日のことを思い出そうとした。たった一晩しか経っていないのに、マサキの家のあの暗いリビングルームで、あの悲惨な映像を見たのが何日も前みたいだ。

 額に手を当ててぼくはあの暗い部屋を思い出した。重々しいカーテン、焼き立てのスコーンと紅茶の香り、ソファの上で座禅を組む姿勢で動かないマサキ、ぼくらの背後にたたずんでいるブレンダ。
 そのブレンダが音もたてずにぼくらのそばを通って、テーブルにトレーを置いた。バスケッのなかにはチョコチップスコーン。

「どうだっけ。どうして?」
 ぼくは訊いた。
「うん? いや、わかんね。紅茶が入ったカップは柄まで覚えとるんやけど……」
「紅茶こそ飲んだっけ?」
「それは飲んだんよ。だってあのおっかないホログラムってのを見て、おれのどがカラカラに渇いたもん」
「ぼくはなんかそれどころじゃなかったっていうか、紅茶もスコーンも食べてないよ」
「ン? いや、思い出した。食ったよ。にいやん、スコーン、食っとったよ」
「え?」
「あの衝撃の映像を見てにいやんは腰抜かしてしゃがみこんだやろ? ほんでロボットが紅茶のカップをにいやんに手渡して……そこにスコーンってのも、あの低いテーブルにの、にいやんのそばに置いたんよ」
 ソファの目の前の、猫脚のテーブル。
「にいやんとロボットが目を合わせたよなぁ。にいやんは声も出んくって、ただロボットと顔を見合わせてなにも言えんみたく口をパクパクさせよって……ほいだら、あのロボット、にいやんにスコーンを一個、渡しよった」
「それで?」
 ぼくは訊いた。
「パクっと」
 よっくんが指でなにかを口にいれるジェスチャーをした。
「チョコチップスコーンを?」
「ほうよ。覚えとらん?」
「記憶にない……」
 あのキプロスのショッキングな映像のせいでぼくの記憶がおかしなことになっている。でもそういわれてみれば鼻に抜けるバターとチョコレートの香りがよみがえってきた。
「おお、そうじゃ。おれも食った!」
 突然よっくんが大きな声で叫んだ。

「あれよぅ、おばちゃんが作ったスコーンとおんなじ味じゃったよなぁ!」

 よっくんがなにを言っているのかわからなくて、ぼくたたぶんかなり間の抜けた顔でよっくんを見つめていたと思う。
「おれ、わかったかもしれん」
 よっくんがドヤ顔で言う。
「な、なにを?」
「あの虹池でマサキとロボットに初めて会った時、どっかで感じた、あの感じ。あれよぅ、なんやろうってずっと、ずーっと思ってて、でも思い出せんかって、けど今やっと思い出した!」
「なに? なんなの?」
 ぼくの胸がわけもわからずざわざわした。

ブレンダって、にいやんの母さんだと思う

 よっくんが真顔で言った。
「おー! ようよう思い出した、そうじゃ、ずっとなんかそんなふうに思うとったんじゃ!」
「なにをいうかと思ったら」
 ぼくは息を吐いた。
「よっくんさ、わけのわからないこと言わないでよ。母さんは死んで——」
 母さんは一年半前この世からいなくなって――いや、というかなんでマシンが母さんって――いやそもそも。

「ン? うん、だな。おれもようわからんわ」



【あとがき:「四度目の夏24」を読んでくださってありがとうございます!ふと思い出したこと。あれは今年の一月の末頃だったと思うのですが、人生史に残る恐ろしい夢をみて目が覚めました。現実じゃなかった、これは夢だったと理解してもまだ膝が震えていて、ものすごい恐怖が体のなかにはびこる感覚でした。その頃中国の武漢での様子が連日報道されていて、なにかとてもいやな予感に苛んだのを覚えています。
で、また夢をみました。翡翠のような薄い緑色の輪っかを指にはめると、ウイルスを予防できるという画期的な防疫が開発された!という夢でした。どうやらまだ試作段階で、でもわたしはそれを左手の人差し指にはめさせてもらえて、ああ、もうこれでみんな救われる!よかった!という感じる夢でした。これも先の恐怖の夢同様、目が覚めても「ああなんだ夢か」とはならず、夢の延長で勇気が湧いてくる感覚がありました。もちろん万全の予防は必要ですが、やたらと恐れることをやめよう、と思いました。「恐れ」というのは、なかなかこれ精神を蝕んでくれます。
確かに今般の出来事はじわじわと恐怖が湧きだちます。でもわたしは信じます。わたしたちは打ち勝てるし、どんなときでも優しくあれる。
いまもあの翡翠っぽい指輪の感覚を思い出して、「わるいけどこわくなんかないからね!」と見えない敵に向かってつぶやいています。】

最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。