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「四度目の夏」26

 2046年7月27日 9:49


 昨日と同じルートで山を下っていく。
 スギの木の根っこを自転車タイヤで踏み込みながら、ぼくは進んでいく。昨日みたいに転ばないように注意することができなくて、ぼくは何度も派手にころんだ。幹に頭を打ち付けたときにはよっくんが戻ってきてぼくをひっぱりあげてくれた。
 ぼくらはなにも言わずにただマサキの黒い家に向かっていた。
 大きな雲が空を覆って、なんだかとても不吉な気がした。
 キプロスでは恐ろしいほどの犠牲を生んでいる。

 地球はさらに甚大な被害を被るだろう、とマサキは言った。

 侵されるんだ。がん細胞が母さんを覆いつくしたみたいに——ぼくは思った。人類が白旗をあげて降伏するまで? ちがう、死ぬまでだ。

 人間が死んだら、その体のなかにある細胞だって生きてはいけないのに?

 すこしずつ記憶がよみがえる。

 母さんの肉体が癌に侵されて、だんだんと動けなくなっていった。声が小さくなって、痩せて小さくなった。
 病室でぼくはもう母さんの顔を見ることが辛くなって、だんだんと足が遠のいた。父さんは帰ってこない。ぼくに母さんを任せて自分は辛いことから逃げているんだ。
 見たくないものを見ないようにしているだけだ。

 ぼくも同じだ。

 ぼくだって見たくないものは見たくないよ。知りたくもないしわかりたくもない。立ち向かうとか、抗うとか、そんなことは無意味なことじゃないか。一体なにが変わる?
 母さんの病気は治らないし、和也くんだってサングラスなしじゃ外に出ることも叶わなかった! 

「じゃあさ!」
 ぼくは息を切らして前方で自転車を走らせるよっくんに叫んだ。
「よっくんが想像した通りもしもブレンダがぼくの母さんというなら、マサキってなんなの?」
 答えのでっこない質問をよっくんにぶつける。
 そんなことわかるはずがない。よっくんにも、ぼくにも。なんでマシンになり果てた母さんが、アルチメイトブロックを作ったホクトマサキとこんな山奥の別荘地にいるっていうの? いやそもそも、ホクトマサキってなんなの?

「聞こうぜ!」
 よっくんが体をねじらせてぼくを向いて叫んだ。
「聞きゃええじゃんかよ! 相手がお釈迦様だって、聞くくらいは怒られねぇもん!」
 それからよっくんは空をあおいで叫んだ。
「ていうかなにを聞いたっていいんよ! ゆるされる! 白泉寺次期住職のおれが言うんだからまちがいないわい!」
 よっくんが言い切った。
 ぼくの心も定まった。なにを聞くべきか。そしてどんな言葉が示されても、ぼくはそれを受け止める。

 今朝食堂で流れたTVニュースをおばあちゃんは真剣な様子で見つめていた。
 バーバル社製の進化したASIが人間への攻撃を始めたことを世界はもう知っている。アメリカの国防総省は目に見えない相手への戦闘準備に入ったとアメリカ大統領が声明を発表した。シリコンバレーにあるバーバル本社の周りでは大規模なデモが起きた。「すべてのAIのスイッチを切れ」というカラフルなプラカートが何千も連なって映し出された。その一方で科学者はアルチメイトブロックそのものに、オフにするスイッチなるものがないことを指摘した。

 TVニュースは伝える。
 
 ――そうして

 我々利用者のプライバシーがアルチメイトブロックによって絶対的に保護される同時に、その知能も際限なく、そして指数関数的、あるいは爆発的な自律拡大を守ってしまうというテクノロジーの皮肉が起きてしまいました。
 この危機的な兆候をバーバル社は知っていながら、アルチメイトブロックによる先行者利益と特権を享受し、そしていまASIが世界を焼き尽くそうというこの瞬間にもまだなんの手段も講じようとしていません。そのタイミングはとっくに過ぎ去ってしまったとでもいうのでしょうか。
 
 そもそも我々より1000倍高い知能ではじき出したこの地球への回答を、どうして我々が想像しえるでしょうか?
 そして我々人類のこの危機に講じる手段こそがまたASIの衝動、自己防衛へと導くことになると科学者は警笛を鳴らしています——それすなわち地獄の蓋を開けることになると。

 我々の歴史において人類はかつて『超知能』と交渉したことがありません。そもそも生物ですらない相手とどうやって交渉のテーブルにつけるのか、それすらも想像の外なのです!

「人類がこれまで経験したことなのない大戦争が始まる、ってよ」
 テレビのコメンテーターの言葉をよっくんが呟いた。おばあちゃんと佳奈恵さんの顔が青くなった。

 世界中でバーバル社製品のボイコットが始まった。
 テレビニュースではあらゆるのバージョンのアナスタシアがスクラップされる映像が繰り返し映し出されたし、アナスタシアの処分を嫌がる人間はあからさまに迫害されるような状態が先進国のそこらじゅうで起きた。
 いまのいままでアナスタシアに頼り切ってい生活をしていた高齢者は高性能マシンよりも頼れる生身の人間などいなかったから、このフレンドリーさを疑うことができなかった。だけど、アナスタシアの所有に縁のない低所得者層や労働層ほどここぞとばかりにヒステリックに攻撃を始めた。

 そこらじゅうのアナスタシア店員のいるショップ、製造業、病院、介護施設に至るまで、アナスタシアは突然に目の敵にされ、襲撃される事件が世界のあちこちで起きた。もちろん経済も大きな打撃を受ける。だけどもはやAIの関与しない産業など存在しない。そのジレンマがますますフラストレーションを生んだ。

「ただのマシンいうても観音様の顔してるだけに潰されてぺしゃんこになっていくアナスタシアをテレビで見るのはしんどいわ。あんなん、外側だけをぶっこわしたところで、その内側の、魂みたいなもん、ASIは壊れないってことなんよなぁ!」
「よっくん!」
 ぼくは自転車を止めた。
「おおなんぞ!」
 よっくんも急ブレーキをかけて止まった。
 いま、必要なものはなんだ?
 ASIはなにを探す?
 ホクトマサキだ。
「創造主のホクトマサキだけが延々と続くアルチメイトブロックの鎖を切ることができるかもしれない……」
 心臓が鳴りすぎて呼吸が苦しくなる。
「したらどうなるんな?」
ぼくは地面の土を両手で集めてよっくんに見せた。
「こうやって指の間から落ちていくみたいに」
「どういう意味よ? なんか今おれじいちゃんの口から食べ物がこぼれてくのを思いだすわ」
「それだよ! まさにおじいちゃんの脳だ! 鎖を断つことができるならAIが学習したすべてが! 経験したすべてが! 砂の城みたいに崩れていくんだ!」 
「じいちゃんの脳って……やめてぇな」
 よっくんの眉が歪んだことに気づいてぼくは慌てて付け足した。
「いや、おじいちゃんのことを言ったんじゃないよ。これはASIの話だから。よっくんがおじいちゃんを思い出したって言うからじゃないか。とにかくASIを止めることができるのは、ホクトマサキに違いないよ」
 蝉がわんわん鳴いて、よっくんがなにか言いたそうにしたけど、結局それは言葉にならなかった。とにかく、地球が守られるかどうかはホクトマサキにかかっているんだ。
 
 そしてその人物はブレンダというマシンとともに、この白雲岳にいる。頭の中がかっと熱くなる。

「行こう!」
 ぼくはペダルをこいだ。別荘地に入ってアスファルトに差し掛かると立ちこぎでスピードを上げた。マサキがホクトマサキだというなら、そのホクトマサキに接触するこのぼくが、世界を救うことになる。
 ぼくは興奮を抑えることができなかった。



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