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「四度目の夏」18

2046年7月25日20時35分 前夜

「にいやん、さっきはなにをしゃべろうとしたん?」

 先に布団に入ったよっくんが訊いた。ぼくはお風呂から上がったばかりで、頭をごしごし拭いて、障子を開け放した縁側に座っていたところだった。
「さっきって?」
「夕飯の時よ、おばちゃんが、なんて? 父さんになんか言っとったやろ。えっと、ケンタッキー? ちがうわ、ケンタ……」

 献体

 母さんの体はラボから戻ってくることはなかった。母さんが携わっていた研究の、最終的な実験に、母さんの体が必要だったし、母さんは生きている間に、そのことにサインもしていた。
「さっきは、ごめんね」
 ぼくはよっくんに言った。
「へ?」
「さっき、みんなの楽しいはずの食卓で、ぼくは父さんのことを侮辱したし、それに新しい奥さんのことも。それにかっこ悪いとこ見せて恥ずかしいよ」
「にいやんが泣き虫ってとこ?」
 ぼくは頭に掛けていた湿ったタオルで顔を隠した。
「うん。それ」
「はずかしくねぇさぁ。みっちゃんのほうが大声で泣きよった」
「だってみっちゃんはまだ子どもだもの」
 よっくんのフォローがありがたくもあり、ますます恥ずかしくもなった。ぼくは本堂の虫の音の聴こえるほうに向いて、タオルケットからそっと縁側からの星空を見上げた。
「虫、入ってくっぞ」
 よっくんが部屋の電気を豆電球に切り替えた。それで星がもっと近くなった。
「なんかぼく、ここに来て、目が良くなったみたい。今朝のお勤めのあとの白雲岳から見える景色とかさ、この星空がすごくきれいで、なんか感動してしまうんだ」
「だから涙もろくなっとんやな」
 よっくんが言った。
「うん。そうかも」
 ぼくは素直にうなづいた。
「きっとそうだ」
 立ち上がって網戸を締めながらぼくはよっくんを振り返った。
「今日、マサキの家に行ったらさ、彼、元気そうだったよ。あ、元気そうっていうか、相変わらず変わってたっていうか。あんまり言葉が通じないっていうか。久しぶりのぼくの姿をみて驚いていたっていうか、ぼく、そんな一年で変わらないと思うんだけど……行く途中に木の根っこにひっかけて転んじゃったんだけど心配してくれたしね。ブレンダも」
「けがしたん?」
「え? ううん、ケガしたと思ったらしてなかった。それは大丈夫。そのぼくが転んだ姿をね、彼は衛星をつかって見てたらしいんだよ。バーバルの衛星だよ。すごくない?」
「なんがすごいんか、わからんけど」
「衛星に自由にアクセスできるなんて。なんでも見放題じゃん。益司さんが毎朝毎夕鐘を鳴らしてるのだって空から見てるかもってことだよ」
「ふうん」
 よっくんにはぜんぜん興味のない話らしかった。
「なぁ東京にはブレンダみたいなやつ、いっぱいおるんやろ?」
 よっくんが小さな声で言った。
「うん、病院でも学校でも会社にも、老人ホームにも、ビルの清掃にも、銀行の警備にも、個人の家にも、よくいるよ。ぼくんちにもいるし。今はバーバル社のアナスタシアが市場を独占してる」
「シジョウをどくせんって?」
「ヒューマノイドタイプのフレンドリーマシンはバーバル社っていう会社だけが作ってる。ほかの企業が真似できないようにそのシステムの世界独占特許を取得してるから。アナスタシアはバーバル社だけが持てるブランドなんだ」
「バーバルだけが持ってるシステムってなんなん?」
 ぼくは自分の布団に座った。よっくんが寝入るまでの間の、大人が子供に絵本を読んで聞かせるみたいな気分になった。ぼくには弟も妹もいないから、こんな経験だって初めてだ。母さんが昔ぼくにしてくれたように、ささやくようによっくんに話す。
「あのさ、ナスタシアのシステムには『アルチメイトブロック』というシステムが採用されていて、それによってアナスタシアの所有者の個人情報が守られてるんだ。これはバーバル社独自に開発した世紀の大発明と言われているんだ。大発明ってわかる?」
「発明って、そんくらいわかるわ。ばかにせんで」
 よっくんが口をとがらせて言った。
「それよりかほかの言葉がようわからんわ。アルチメイトブロックってなんよ?」
「簡単に言っちゃうとね、ヒューマノイドマシンのアナスタシアはビッグデータにつながってどんなことにも幅広く対応もできるよう人工知能が常に学習できるようになっている。常にオンラインなんだ。益司さんのパソコンでオンラインゲームはしたことある?」
「ない。うちはゲーム禁止。父さんも母さんもゲームがキライらしいわい」
「そっか」
 ぼくは四つん這いで床の間に行き、月の光を頼りにデイパックからタブレットを取り出した。
「うお、まぶし!」
 触ると明るくなるけど、画面の明るさはオートモードだからすぐに部屋の照明に合わせて暗くなる。
「これさ、インターネットにつながってるだろ? 音声検索すれば知らない人の声でなんでも答えてくれる。これが人工知能なんだ。これはさ、ネットに繋がって訊ねたことを検索してぼくの質問に合う答えを人工知能がわかり易い言葉で回答してくれるんだ」
「そんぐらい知ってるよ。おれはスマホ持ってないけど、父さんと母さんは持ってるし、母さんはよく話しかけとる。明日の天気がどうかとか、レシピがどうとか。それに、ここの修験場への申込みだってネット予約だよ。当たり前じゃん」
 あ、また言葉づかいが東京ぽい。
「うんうん、でもさ、このネットていうのは、けっこう危ういんだ。だからぼくたちの情報が暗号化されて守られてる。たとえば修験場への申込みができる、キャンセルもできる、それを申し込む当事者や益司さん以外の第三者がやっちゃうことだってできるかもしれないんだ。暗号ってのは解読されちゃうと、暗号そのものが鍵みたいなものだから、他人が勝手にドアを開けてよっくんちの修験者名簿や、銀行口座が流出する危険もあるんだ」
「りゅうしゅつ?」
「よっくんちの情報がほかに流れて出ちゃうってこと」
「おれんちの?」
 よっくんの声が大きくなった。
「これは例え話だよ。大丈夫、そんなことは滅多にないよ。でも世間には重大なことがいろいろと起きてるんだ。仮想通貨の流出とかさ、国家機密の流出とかさ」
「ようわからんけど……」
「それにいつ天変地異みたいなのが起きてネットそのものがシャットダウンするかわかんないでしょ?」
「てんぺんちいは、わかる。父さんから聞いたことある」
 益司さん、なんの話題でよっくんに天変地異を話したの? 興味わく。ぼくはすこし愉快な気分になって、よっくんに話し続けた
「ところがさ、バーバル社が開発したアルチメイトブロックというソフトウェアはそれらの心配を確実になくしたんだ。もうこれ、ほんとに今世紀の大発明なんだよ。アナスタシアのAIが関わるすべてのこと、見るもの、聞くもの、すべてがこのアルチメイトブロックで絶対に開けられない鍵をかけたってことなんだ。地球がシャットダウンしたって守られる」
「だれがそんなすごいもん作ったん? アナスタシアを作ったバーバル社のえらい人?」

 月夜の風が縁側から入る。佳奈江さんが夜はうるさいだろうからと風鈴を外してくれたけれど、この静かな風に風鈴の音はきっと似合う。
 ぼくは風鈴の音色と、そしてマサキの顔を思い出した。暗い部屋の、ほの暗い揺れるともしびのなかで浮かぶ血管も透けない白い顔。

「アルチメイトブロックを発明したのは、バーバル社じゃないんだ、謎の人物で、その人は正体をかくしたまま消えたんだ。そしてアルチメイトブロックのソフトウェアはノーベル科学賞を受賞した。賞を受け取ったのは謎の人物の代わりにバーバル社のCEOだよ」
 ぼくもネットニュースで見たことがある。
 バーバル社のCEOジョン・ルーカスが満面の笑顔で声明を発表した。

――この日を、我々は待ち望んでいた。人類の揚々たる未来への一助となれたことが我々の誇りだ。ホクトマサキは我々とともに存在しているが、そして同時に不在でもある。ミスターホクトに我々は尽きることのない賛辞と感謝を送る。ホクトマサキ、ぜひ我々に連絡をくれ。この喜びを世界とともに分かち合おう。

「そいつ、ホクトマサキっていうん?」
「そう」
 よっくんがうつぶせてた布団から上半身を起こした。
「え? マサキって、今日にぃやんが会いに行ったあの変人のマサキと同じ名前? え? そいつってまさか」
 よっくんの鼻息がぼくの頬まで届いた。
「いやまさか、って思うよね。ぼくもそんなはずないって思ったんだけど、なんとなく符合するものがあるっていうか、思い当たることがあったりするんだ。たとえば、オリジナルアナスタシアのブレンダとかさ、あれって発売前のアナスタシアじゃないかと思うんだよ。都市伝説なんだけどさ、アナスタシアVer0.0を持っているのはホクトマサキだけだって言われてるんだよね。
 最初に彼と接触したアボット・ガイティがホクトマサキに試作品をプレゼントしたっていう噂があるんだ。マサキはブレンダを持つ理由を彼の父親がバーバルの社員だからっていうけど、そうとう高い地位にないとありえないし」
「うお! こんな山のなかにそんな有名なやつがおったんかいな!」
 よっくんの声が興奮している。
 あ、でも、とぼくは声をすぼめて言った。
「これはだれにも内緒だよ。益司さんにも佳奈恵さんにもだよ。マサキと秘密にするって約束したんだ」と言いながら、あっさりよっくんにしゃべってしまうぼく。だってあまりに非現実的で、だけどけっこうリアルで。よっくんに話して頭の中を整理したくなった。なにせぼくは今日いろんなことに混乱している。 
「マサキが自分で、おれはアルチメイトなんちゃらをつくったホクトマサキだって白状したんか?」
「いや、そこまでは……はっきりそう言ったわけじゃないけど」
「ふぇ? そう言ったわけじゃないん?」
「まぁそう言ったわけじゃないんだけど」
 なんよおー! とよっくんが叫んでそのまま倒れこんだ。
「そんな世界てきなゆーめいじんがおるんならサインもらったろうと思ったのによぅ!」
「でも否定はしなかったんだよね」
「にぃやんはマサキがホクトマサキと思っとるんやな?」
「そうだったら、すごい面白いなぁって」
「それが知りとうて、それ目的でこの夏ここに来たんかー! なんや、おれらと楽しい夏を白雲岳で過ごしたくて来たんとちがうんか!」
「い、いや、もちろんそれが一番の目的だよ!おばあちゃんに会いたかったし、よっくんとも遊びたかったしさ。虹池で今年も水遊びしたいって思ってたしさ」
「冗談じゃ!」
 よっくんがぷぷっと笑った。
 よっくん……去年に比べてほんとに成長したんだね……。

 夜の風が入ってきた。去年といろんなことが違う。母さんが生きていたおととしとはもっと違う。
 明日になったら、朝のお勤めをして、あの朝日を再び浴びて、それからもう一度マサキの家に行こう。彼が本当にアルチメイトブロックを作った「ホクトマサキ」なのか、どうすればわかるだろう? 逆に言えば、どうだったら「ホクトマサキ」でないことが証明されるんだろう。

 キャンドルだけの部屋。暗くてよく見えないなかで飲む夏のあたたかい紅茶。バニラエッセンス入りだ。シリコンの冷たい手を持つブレンダ。ぼくは興味をもたずにいられなかった。マサキに、ブレンダに。
なぜかわからないけど、たった今も無性に会いたくなる。

 夜の鳥が遠くで鳴いた。白雲岳の崖の切れ目にいくつか木が伸びて茂っているところがあるから、あそこが鳥の寝床なのかな、とぼくは今朝の朝日にに照らされた白雲岳を思い出した。

 右から寝息が聞こえてきた。ぼくは起きてそっとよっくんにタオルケットを掛けた。窓を締めれば暑いし、開け放していれば風が心地よくて、でも軟弱なぼくにはすこし肌寒い。音を立てないように窓を半分だけ閉じた。窓を開けたまま安心して眠れることも、エアコンを必要としないことも、東京では考えられないことだ。
 鍵は必要だ。安全を維持するために。
 そして秘密を守るためにも。

 アルチメイトブロックの鍵を誰も持っていない。
 バーバル社も、アナスタシアの所有者たちも。逆に言えばだからこそ、安心してアナスタシアに秘密を預けることができた。銀行の金庫のなかの大金も、どこにでも送金可能な莫大な仮想通貨も、大統領のスキャンダルも、永遠守られる――でも、それがAI自体をも完全に守ることにあまり注意を払っていなかった

 どんな脅威からも完全にブロックされていたからこそ、AIは革新的に成長していった。どこかの科学者がAIは指数関数的な成長をとげるだろうと2010年代に予言していたと聞いたことがあるけど、アルチメイトブロック以前と以後では、AIの自律学習力は指数関数的どころじゃなく、爆発的だ。

 AIからすれば、もう人間の英知なんて。

 パンドラの箱は開かれた。もう不便な時代を生きる力なんてないくらい、人類はAIに飼いならされた——そう言って嘆く一部の科学者も民間ベンチャーのトップもいたけど、だれも耳を貸さなかった。すでにバーバル社のアナスタシアは世界に浸透していたし、確かにアナスタシアの同列のAIはすでにインフラ化して、ぼくら人類にとってなくては生きていけないものにさえなっていた。
 ぼくは思う。パンドラの箱をふたたび閉じることはできるだろうか?
 箱からあふれ出るフレンドリーなAIは永遠にフレンドリーなはずだ。だってそうやってプログラムされて誕生したんだもの。だからすでに開いてしまったパンドラの箱を閉じるなんて考える必要はないし、閉じようとしたって、そのときにはAIのほうが人間よりもはるかに賢いのだから、たちうちできっこない。

 怖いことは考えない。

 考えたところでぼくひとりではどうすることもできないんだし。
 ただぼくは空想を楽しめばいいんだ。たとえば、世紀の天才ホクトマサキが意外と身近な人物で――そんな面白い話を。たとえば、あの真っ黒い焼木のとんがり屋根にブレンダと一緒に暮らしているのがあのアルチメイトブロックを発明したホクトマサキ。
 ぼくはその晩なかなか眠りに落ちることができなかった。
 いつまでもゆらゆらと闇のなかでタオルケットにくるまれて、いつまでもあれこれと考えていた。


最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。