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「四度目の夏」23(あとがきあり)

2046年7月27日 7:33


 目を開けると、木目の天井が目に入った。木目の中には黒点もあって、怪物の目みたいに見える。そんなこと、いままで思ったことがなかったのに。

「にぃやん、だいじょうぶか?」

 よっくんが心配そうにぼくをのぞき込む。
 鳥のさえずり。障子からそそぐ淡い朝の光。
「朝……?」
 ぼくは起きた。頭がぼうっとする。
「ごめん。なんか、夢、みてた。……お勤めは?」
「父さんが今日はええって。ゆっくり休んで、朝ごはん食べれそうやったら、食堂にって母さんが言うとった」
Tシャツが汗でぐっしょりと濡れている。胸の辺りも。
「おばちゃんの夢、みとったん?」
「え?」
 ぼくは聞いた。
「さっき、母さんって」
「言ってた?」
「うん。言うとった」

 朝の新鮮な光のなかに母さんの残像を見る。長い髪を一つに結んだその輪郭から、うすらいでいって、そして消えてしまった。
「夢、そうだったのかも。でもよく覚えてないよ。不思議だよね。ギリシャにいるはずの父さんのことばっか考えてるのに、母さんの夢をみるなんて」
「でも、なんか、わかる気がする」
「え?」
 意外だったから、訊き返してしまった。 
「あのブレンダとかゆうマシンが作ったチョコチップスコーンを食べたら、おれもおばちゃんを思い出したもん」
 ああ、そういうことか。
 あれからブレンダがリビングルームにやって来てぼくらに紅茶を淹れたんだった。トレーのポットの横にはバスケットに入った焼き立てのスコーンがあった。チョコレートの甘い香りがしたのは記憶にある。

「よっくんは母さんが白雲岳に来てここのキッチンでつくるまで、スコーンを食べたことがなかったんだもんね」
「パンなら知っとるけど、スコーンてなんよ?と思った」
 都会に出ればチョコチップスコーンなんていくらでも手に入るよ、と言いかけてやめた。
 ますますよっくんは寺を継がずにいつか白雲岳を出て行って、ぼくの父さんみたいに、都会で一山当ててやるってなるかもしれない。

 よっくんと父さんはすこし似ている。
 よっくんは大人しいぼくなんかよりもずっと野心的だ。まだ小学生なのに年上に向かって意思をちゃんと相手に伝えようとするところは父さんぽいかも。そうしておじいちゃんと衝突したし、社会に出れば敵も多かったけど味方も増えた、というのは母さんから聞いた。考えてみれば父さんはよっくんの叔父なわけで、血がつながっているんだ。
 てことは、きっとよっくんはぼくと違って女子にモテるだろう。たぶんだけど。

 父さんの子供の頃は、よっくんみたいだったんだろうか。
 よっくんのような正義感で、毎日のお勤めを果たし、白雲岳を登って修行をし、その上でここは自分の居場所じゃないと、じいちゃんの反対を押し切ってここを降りたんだろうか。

「ぼくさ」
 よっくんに言った。
「父さんのこと、きらいだったんだよね」
「昨日マサキんちでそう言うとったな」
 よっくんは意外なほど静かにぼくの言葉を受け止めた。
「だけど母さんのことは好きだったんだ。だから、死んだのがなんで母さんで、なんで父さんじゃないんだろう、って思ってた」
「……おう」
 よっくんはなにか言いたそうにして、なにも言わず、ただ一言うなづいただけだった。よっくんのいいところはこういうところだな、とぼくは思った。
 意志を伝えるし、言葉を呑み込むこともできる。そんな小学生って、なかなかいないかもしれない。

「だからさ、マサキによく朝飯食えたね、みたいなことを言われたのも、まぁたしかにそうだよね、って思うところがあるんだ。母さんが死んだ時は、なにも食べられなかったもんね。何日も食べられなかった。家のアナスタシアが作ってくれた食事がなにも食べられなかったんだ。ましてやあの女が作ったものなんか」
 よっくんはなにも答えなかった。
「だから、ぼくはほんとうは父さんがいなくなったことを、死んじゃったかもしれないことを、悲しんでいないんだと思う」
「ほうけ……?」
 よっくんが首をかしげた。
 よっくんは『とても不思議だ』いうふうな顔をしてぼくを見つめた。
「どっからどう見ても、にいやんは悲しんでるように見えるけどな」

 昨日のマサキの家で、ぼくはキプロス市街が壊滅的な状態であることを知った。
 それを目の当たりにして、タブレットのネットニュースを開くと、市街地から離れた日本領事館は無事だったけれど邦人の安否はまだ確認されていないとのことだった。
 その後わかったことは、ぼくの父さんとその奥さんはギリシャを出国した記録はなく、まだキプロスに滞在しているはずだった。レフコシアの街を中心に半径20キロ以上が深さ500メートルまでえぐり取られて燃えている。放射線量が高く気温が70度を超え、ギリシャ軍も近づくことができない。
「生きてない……」
 ホログラムの映像が模様のように顔に浮かばせて、マサキが言った。平坦で、感情の見えない声だった。
「勝手に決めんな!」
 よっくんが声を上げた。
 マサキは怒鳴るよっくんじゃなく、ぼくを見つめた。その黒い瞳の中がロウソクでゆらゆら光る。
 ぼくはマサキと視線を合わせたまま頷いた。自然と、頷いてしまった。
キプロスのあの光景を見て、納得したのだ。父さんは生きていない。父さんが妻にしたあの女も、きっと、死んだ。
「にぃやん、さっきこいつが言ったAIって、どういうことよ? お前さっきバーバルのAIって言ったよな!」
 よっくんが言った。
「ASI……」
 マサキが答える。
「えーエスあい?」
 よっくんが顔を歪ませて聞き返した。
 マサキはよっくんを見ないで、ぼくだけを見つめて、いや、マサキはぼくさえも見ていない。ただ宙を一点見つめている――ブレンダはなにも答えない。聖観音菩薩をもとにデザインされたマスクからはなにも読み取ることはできない。
 ソファのうえで足を組んだまま、しばらく動かなかったマサキは、電池が切れたのかと思うくらいながく沈黙した。

「Artifical SUPER Intelligenceてやつ? 超人工知能?」
 ぼくはたまらなくなってマサキに問う。

「ASIって、ただのAIじゃないってことなんか? AIよりももっとすごいやつなんか?」
 よっくんが早口で問う。

「AIは自分たちで学習し、進化した……もはや人間の手に負えないところまで進化したんだ。本当のところ、シンギュラリティはとっくに超えていた……もう人類に打つ手はない」
「そんなことは想像できていたはずだろ? 人工知能の実現は、科学者も宗教家もずっと警笛を鳴らしてた。でもその問題をクリアできたからバーバル社はAIをバージョンアップせてきたんだ。それがあの『フレンドリーな、よりフレンドリーな』だろう?」
 ぼくは言った。
「フレンドリーソフトウェアの開発に成功したからこそ、ここまでAI技術は市場に出回ることができたんだろう?」
「ちょん待ってぇな! フレンドリーソフトウェアってなに!」
 よっくんが叫ぶ。
「ぜったいに人間を傷つけない、ぜったいにだ。どれだけ高度な知識をつけてもAIはそう組み込まれている。フレンドリーソフトウェアはAIの母体マトリックスにも、そしてそこから派生するすべてのAIに搭載されているはずだ。ぼくらがシンギュラリティを恐れる理由は、雇用とか、週末医療をAIに完全に任せっちゃっていいのか、ってだけで、こんな、こんな、殺されることじゃなかったはずだ!」
 ぼくの息が荒くなる。
「フレンドリーAIがなんで攻撃してくるんだよ!」
 
 ぼくが大きく息を吐いたから、大理石のテーブルの上のキャンドルが大きく揺れていくつか消えた。部屋の中はさらに暗くなった。

「ロボットが攻撃してくんの? おれらを? 人間を?」
 よっくんの声が最後のほうか細くなって部屋に吸い込まれる。
「なんで……? 仲良くしてるんじじゃねぇの?」



【あとがき:今回も『四度目の夏』を読んでくださった皆さま、ありがとうございます。今日は2020年4月4日です。皆さまがお住まいの地域では今般の新型コロナウイルスの感染状況はいかがでしょうか。わたしが暮らす街でも感染が確認されました。ずいぶん前から他人事ではありませんでしたが、まったくもって深刻と言わざるを得ません。このようなタイミングでディストピアめいたものを書き続けることに少々怖気づいています。フィクションはフィクションだからこそ面白いのであって、現実には起こりえない悲劇だからこそ、そのフィクションは日常に彩りをもたらす。現在のこの状態ではどうなんでしょう。。。疑問と不安は尽きませんが、この状況が、人間は、わたしたちが思う以上に強いのだということを教えてくれることを祈ります。わたしたちが思う以上に強く、しなやかで、知恵を持ち、愛する人を守ることができる、それが人間なのだと。
愛する人たちをわたしたちで守りましょう。きっとそれが自身をも守ることになるから。STAY STRONG 日本】





最後まで読んでくださってありがとうございます! 書くことが好きで、ずっと好きで、きっとこれからも好きです。 あなたはわたしの大切な「読んでくれるひと」です。 これからもどうぞよろしくお願いします。