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20240325

職場に行ったら、ロッカーにネギが入っていた。
私のロッカーではなく共有のロッカーなので、誰かのネギ。
でも私が来た時にいた人は1人で、その人は私が帰る時にまだ仕事をしていた。でも、ネギは帰るときにはなかった。
誰のネギだったんだろうかと思った。

職場に行くと、帰る家が変わったことをひしひしと感じる。
働き始めた時には、恋人と住んでいた家から行っていたからだと思う。同じ駅から電車に乗るのに、別の方向の電車にのる。悲しくなる。

復縁の方法や、復縁までの話しの記事を片っぱしから読んでいる。
同じように、忘れ方や前の向き方を片っぱしから読んでいる。
それで、考える時間は確かに減ってきているけれど、仕事中だけなぜか考えてしまう。
なんでなんだろう。
デスクワークだからかな。
仕事の考えなくちゃいけないことはたくさんあるのに、よくないなと思う。

読んで、自分を分析して、原因がなんとなく分かってきたり、そのために改善しようと、ひとつずつ(これもその一つ)考え方や自分が行うことを考えてみたり、決めてみたり、やめたみたりしている。

何をしていくか、これから時間をどのように使うのか。
自分を自分で認めるために、前と同じ悪い考え方になった時にそうじゃないよと自分に言えるようになるために立ち止まったり、自分の軸で動くために、やりたいと思ったらやってみたりしている。

昨日は久しぶりに文章を長く書いて、それを載せてみた。
今日は載せたいと思った写真をinstagramに載せてみた。
誰にみられるとか、考えずにしてみた。

日記を書きながら、ずっと長い間聞けなかった、聞いても何も感じられなかった音楽を聴いている。歌詞の意味を辿っている。

この感覚が戻ってきていることの嬉しさの縁に、今の状態のまま彼とともにいたかったという叶わない気持ちが浮かび、でも私はまだ全然、大丈夫になっているわけではないんだよと客観視している自分が言う。

まだまだだよ。
こんなすぐに大丈夫になるわけない。

それは彼のことだけじゃないから。
彼のことで今撹乱していて、放って置けているそれ以前の彼とのことにも影響した、亡くなった父のことや、自分自身の思考回路はそう簡単には消えるはずがないし、一生消えないだろうから、それとどう折り合いをつけていくかを考えるのには、まだ時間が足りない。

それから、人に対して自分がどうゆう人間でありたいのか考える。
本当に、心の底からどうゆうでありたいのか、想像する。

それは、この数ヶ月彼に対して、向けていたわたしでは絶対にないはずだ。

私は運が良かった。
私は彼をたくさん責めた。
どうしようもないエネルギーを彼にぶつけ続けた。
それは止められなかったなんて言い訳で、
私は冷静に言葉で話す、を選ぶべきだった。
でもそれができなかった私を、彼は傷つけようとしなかったし、受け止めようとしてくれた。

別れる時、父のことによって、別れるまでの数ヶ月ずっと辛かったことを、最近の精神状態の話しをたくさんした。
そもそも、冷静にもっと早く言葉で伝えるべきことだった。でも言えなかった。私自身もわかっていなかったし、彼がいてくれることでなんとなくずっと大丈夫な気がしていたからだ。
その話に嘘はなかった。
でも私は、言わないこともできた。
言わずにただ、別れを受け入れて、今までありがとうと言うこともできた。
でも私は彼に伝えた。
最後まで甘えていたんだと思う。
これが今の私になっている原因のひとつだと、だからそのとをやっと伝えられた今、考え直してくれないかと、言いたかったんだと思う。
そんなのは無意味だったと今ならわかる。
彼はもう私を好きじゃない。
もう支えられないんだと言った。それが真実だ。

私たちは支え合えていた。
いつからか、私が支えてもらう側になった。
2人で長くいるとき、そうやってバランスが変わることも長い人生の中にはあると思う。
でも、私たちは今のバランスはうまくいかなかった。
そのバランスを崩したのは、私だ。
父の死のことで不安定だったが故に、彼に甘えたいと言う気持ちがどんどん加速した。別々に寝たいと言ってたのに、毎日一緒に寝たかった。それは自分の孤独と向き合うことが怖かったからである。
さらに、私には仕事が変わり世界が広がっていくように見えた彼に対する劣等感があった。
そこに、父の死によって「人が死ぬが怖い」という気持ちから、他者からのSOSを無視できなかったり、いろんな人の返信に過剰に反応したり、自分の発言や発信が加害になることを恐れるようになった。したいけどできない、したくないけどやめられないことが増えていった。全部他人軸だったから、彼が家事のことでやっていないことに腹が立ったんじゃなくて、家の事を自分軸で動けていることを羨ましく思い、それが苛々へと変化していた。

彼は別れた後、何度もなく私に価値観や相性が合わなかったでしょうと言ったけれど、私はそこに納得がいっていなかった。
それは、さっき書いたみたいな自分自身の問題で彼を責めていたことをどこかでわかっていたからだと思う。
私もやりたくないからやらないって、できていたら何か変わっていただろうかと考える。できなかったのだけど。
でもそれを彼は価値観の違いだと認識した。

相性の話は私はわからなかった。ああl、そうなんだと思った。
そんなふうに思ってたんだって思った。
彼と私がよく見るものが違うことや、触れてきたものが違うことの相性合わないと言うことは、問題じゃないと思っていた。
私は彼がみている知らなかったものを見るのを楽しく感じていた。もちろん興味が持てないものもあったけれど、だいたい面白かったし、彼が好きなものを楽しそうにみているのも好きだった。
ここで声出して笑うんだとか、こうゆうのが好きなんだと思うと、それがしれただけで嬉しかった。
だから、そんな相性なんて問題じゃないから3年半も一緒にいられたと思っていた。
でも、よく思い返せば私がみていたものや好きなもので彼が面白いと思うものは少なかったように思う。
だから彼は私よりも価値観の違いや相性の違いを感じていたのかもしれない。

この3年半、私にとってはとても大事で濃密な時間だった。
元々の価値観の違いとか相性とかじゃなく、認識のすれ違いじゃなかったのかなと思っていた。最近上手く言いたいことが伝わっていないと感じていたからだ。
それを彼は価値観や相性と言った。
確かに私たちは確かに、最初からばっちりぴったりじゃなかったかもしれない。
でも、じりじりとゆっくり2人で進んできた。
カタツムリだった。カタツムリのように歩み寄った記憶がある。
だから思いやれていたから一緒にいれていたのならば、やはりすれ違いじゃないかと思うのだ。
でも、相性の話が出た時、2人の関係性がすごく遠いもののようにも思えた。相性って、なんなんだろう。

でもそう思うとやっぱり、カタツムリを先に辞めたのは私だ。
私がカタツムリをやめて、ガサツに彼に牙を向けるようになったのだった。

彼はそんな私を否定しなかった。
私はそんな人と3年半も一緒にいられた。一緒に暮らした。
運が良かったんだと思う。
そんな人に好きになってもらえて、私はいろんなことを知れた。
幸せだった。
それは確かに、幸せなことだった。

そのことを、素直にありがとうと思えるまで、後少しのところまで来ている気がする。

おやすみ。

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