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20240324

今日は近所のアトリエの陶芸体験に行った。
2時間くっきり、手捻りで器や小物を作った。
そのあと乾かして削ったり色をつけたりする作業はアトリエの方がやってくれるらしい。

私は陶芸の作業の中で削るところが一番好きなので、できないことを悲しく思った。しかも最初にその説明を受けた時に「あ、そうなんですね〜!(よろしくお願いします)」のテンションで返事がしたかったが、できなかったような気がして不安に思った。

アトリエでは、爆笑問題の日曜サンデーが流れていて、その中でガラス細工の赤を出すのは難しいという話が出てくると、アトリエの方は笑って、陶芸も同じだという話をしてくれた。
わたしは初対面の人と人と話すのが苦手だ。今まではそんなことなかったように思うけど、今は完全に苦手に思う。
特に、リアクションをとるのが下手くそになっている。
その理由は多分いろんなことへの興味が薄れているからだと思う。
その原因は確実に一つあって、それは父の死である。恋人との関係性の変化の要因の一つもそれだし、それに対して向き合うことが、自分と向き合うことにもつながる一つのことであり、今の私の課題だ。

人にも、他のことにも興味を持てなくなり、いろんなものを見ても、何をしてもどこかに「だからなんなのだ」という思いが付属されるようになった。それでもずっと、外へ出続け何かし続けた。だけど、やっぱり疲れてしまい、そんな自分にもがっかりしたところ、恋人への距離感が私だけ近くなっていったのである。
恋人と別れた理由はそれだけではない。
様々なことが混在した結果だ。
けれど原因のひとつではある。

だから、初対面の人に何か質問をしたい、コミュニケーションをうまく取りたいという気持ちがずっとある。でもできない。興味が湧かない。
それにずっと焦っていた。
興味がなくても表面的にでもそれができて、本当に興味があることには素直に質問できている恋人にずっと劣等感を覚えていた。
この劣等感も恋人との関係性が変化した原因のひとつだと2、3日前に気づいた。
だから最近は、ひとつだけでも、と質問を絞り出して、してみたりしている。

アトリエの方は優しい人だったので質問すれば答えてくれたり、話を振ってくれたりして居心地が良いところだったけど、目を合わせてみると、ばきばきだった。
失礼な言い方かもしれないけれど、穏やかなおじさんというより、夜になると活発に動く夜行性の動物が日中に起きてぼうっとしているような感じで、本当は鋭い人なのではないかと思った。

2時間の間にこうゆうのを作ろうとか、こうゆう形にしたいとか、はっきりとしたイメージはなく、漠然と手が動くのに従って作られた目の前の土の物体に倣って、徐々に終着点を探して作ったけれど、以前大学の授業で作った時とおんなじ感じの仕上がりになったような気がして、人の手つきのクセってあるんだなと実感した。

2時間集中するのは難しく、一番最初に作った自分のための湯呑みを1.5時間かけていて、時計を見てあと30分しかないと焦り始めたとたんに集中力を失い、それと同時にそれまで考えていなかった元恋人のことやこれからの自分のことが脳を支配し始めた。

よくよく考えると、1.5時間はそのことを考えなかったのでいい時間だったように思う。
色付けなどはやってくれて1ヶ月半後くらいにできるらしい。色付けもやりたかったけど、仕上がりがわからないのも楽しみだ。
あのお皿、あの方はどんな色にしてくれるのだろう。全然イメージと違うかもしれない。

恋人のことは考えたい、考えたくない、考えたいの繰り返しだ。昨日、バイト先の人にたくさん話をしたら、結構自分の考え方がまとまってきている感じがする。
まあいいか、というか大丈夫かもと思う時間も長くなった。

でも、まあいいかと思おうとしているだけで、納得できてるか?と言われると違う。
その理由を知りたい。
なんとなくわかる気もするが。
というかもうすぐかもしれないと思う。

でも、考えたらなにか納得できる時が来るのだろうか。


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