【随筆】人生最大の傷付き事件簿~令和6年・夏~

 夫を愛しています。
 誰よりも長くそばにいたいです。
 子供たちのことを真剣に考えるところが好き。料理が上手なところも、器用なところも、物知りなところも、背が高いところも、大好き。
 子供たちとじゃれている姿を見ると、胸の奥が春めいてくるくらい幸せです。
 この人に出逢えたわたしの人生はなんて幸福に満ちているのだろうと思います。

 でもまあ、夫婦ですから。
 一緒にいればそれなりに問題は生まれるものです。
 ご存じでしょうか。
 愛は傷を防いではくれないのです。

 楽しい土曜日を終えようとしている車内でのことでした。
 高速道路で家に向かいながら、夫の就活時期がリーマンショック直後で大変だったよね、などと思い出話をしていたのです。
 わたしはふたつ学年が上で、その災禍を免れた世代でした。

 さて、ここで夫の口から人生最悪の失言が飛び出します。

「なんでリーマンショックもなかったあなたが大学を卒業してまで契約社員で小売業なんかしてたのかって、ずっと思ってた。就活まじめにしてなかったクチでしょ」

 最悪中の最悪です。
 今まで言われた暴言の中で最たるもの。
 一瞬にして心臓は破られ、血が噴き出しました。

 なぜなら、確かに周囲の友人ほど就職活動に身を入れてはいなかったけれど、わたしなりにやりたいことや自分の価値を高められることって何だろうと考え抜いて、選んだ仕事だったからです。
 わたしはわたしの選んだ仕事に誇りを持っていました。
 それなりに努力して務め上げたし、しっかりした研修制度のおかげでちゃらんぽらんな学生気分の若者だったわたしを責任ある社会人として成長させてくれた会社でもありました。
 接客業を通して商品の見せ方、話し方、顧客相手の会話の仕方などなど今の社会生活の基礎はここで培いました。
 社会人としての出発点です。

 その、わたしが選び、今のわたしを構成する重要なひとつの要素でもあるものを否定されたのです。
 自尊心はひどく傷付けられ、絶望します。
 夫がわたしの選んだ仕事を軽侮していたことと、社会人としての価値を認めてくれていなかったことを知ったからです。

 もちろん言い返しました。
 好きで選んだ仕事に対してその発言はひどいというようなことを。
 でも、ショックがでか過ぎると言いたいことってうまく言えなくなるでしょ?それです。

 その後の空気は正直言って、地獄です。
 地獄の番人はもちろんわたし。
 いつも好き勝手に喋り倒している長男でさえ家に着くまでの三十分間沈黙を貫いていたのですから、彼には地獄の門が見えていたかも知れません。
 おまえそんなに静かにできるなら普段からもうちょっと黙っとけよ。
 蛇足ですが次男は眠っていたのでこの小さな騒動の一切を知りません。

 さて、自尊心を大いに傷付けられたわたしの負のループが始まります。

 親が死んで以来の落ち込みようです。
 悔しくて悲しくて何度も泣きました。
 普段いやなことがあっても一晩寝たら忘れてしまう脳天気なわたしですが、今回ばかりはそうはいきませんでした。
 本当なら気持ちを当事者である夫にぶつけたいところですが、感情が昂ぶっているときに会話を試みてもうまく行くことはありません。
 それに家にはいつだって子供がいます。
 うるさい小学生の子供を持つ夫婦には、タイマンを張る時間的余裕はそれほどないのです。

 言われたことへの悔しさにひとしきり泣くと、今度は夫に理解してもらえないだろうという悲しみが襲ってきます。

 夫の発言はわたしにとってあまりに酷いものでしたが、彼の価値観からすれば、的外れとも言えません。
 夫の父親は夫が中学生の時に亡くなり、母親が受験を控えた息子達を女手ひとつで懸命に育ててきました。
 夫の兄は大学に進学するのをやめ、専門学校に進んで医療従事者の資格を取りました。
 大学に入るからには、それなりのところに就職しなければ意味がないという考えは、理解できます。

 一方、わたしは就職のために大学に進学したのではありませんでした。
 わたしの父はバブリーな時代に高学歴新卒入社した会社で数十年勤続し、管理職でもあり、そこそこ稼いでいたので、その娘であるわたしは今考えると甘やかされて育った世間知らずのふざけた大学生でした。

 夫にしてみれば新卒が給料や雇用形態を重視せずに就職先を決めるという発想がなかったのかもしれません。
 事実、彼は「そんなふうに望んで就いた仕事だと思わなかった」と後に発言しています。やっぱり失礼だな。
 ここがわたしと夫の大きな価値観の差です。

 夫婦間に価値観が大きく違うことがあるというのは、悪いことではありません。
 何事も多角的な捉え方が重要です。

 しかし今回に至っては、やはり夫にはわたしの感情――どうしてこれほど傷付いているのか、なぜ否定されたと感じているのか、を心から理解してはもらえないだろうと思いました。

 わたしは柔軟で器用な夫に、どうしようもなく頑なで独善的な性質があることを知っているからです。
 そういうところも含めて、愛する夫なのです。

 でもわたしには今回のことを到底許せる自信がありません。
 人生で一番ひどく傷付けられたのです。
 一番好きな人に大切にしてきたものを否定される悲しみを、比較的共感性に欠ける夫が心底理解することはないでしょう。

 それだけではありません。
 わたしはこの会社のあと、旅行業へ転職する予定でした。
 内定も得て間もなく入社と言うときに、妊娠が分かりました。
 内定は辞退し、結婚しました。
 この選択を後悔したことはありません。人生が変わった瞬間だったけれど、疑いようもなく良い変化でした。

 でも、人間だから。
 比べてしまうでしょう。
 例えば外資系企業に就職した大学の友人は、ばりばり働いて管理職。かっこいい。憧れます。
 落ち込みながら気付きました。
 わたしまだどこかで「キャリアを捨てた」と思って、負い目を感じているんだな。

 わたしは劣等感も思い知らされました。

 きっと今後、思い出すたびにこのことだけは許せんと夫に思うことでしょう。
 生涯愛していても、このことだけは一生恨みます。本気です。許さん。
 しかし、これだけの感情をわたしが抱えても、夫が心からの理解を示すことはありません。
 虚しいではないですか。

 ですが、わたしも立派な大人です。
 落としどころを自分で見つけるべきです。

 金です。

 金は裏切りません。

 わたしは五万で許そうと思いました。
 三万では少な過ぎ、十万ではさすがに家計に響きます。五万がまあ妥当かなと考えました。

 結局金かよと思う人もいるでしょう。
 ですが思い出すたびに「アイツ許さない」で終わるより
 「アイツ許さない。でも五万くれたしな」と思える方が建設的だと考えます。
 精神衛生的にも良いです。自分も相手からむしり取るものがあるのですから。

 夫に「五万寄越せ」と申し出ました。
 夫は「それはいい。けど俺の失言と五万がどう繋がってくるのかがわからない」と言いました。
 説明しようとしましたが、言葉に詰まります。
 この時の夫の「わかった、わかった」という相槌は、何もわかっていなければ面倒くさがっているということをアピールしているに過ぎません。
 とても真摯に受け止めているとは思えません。
 わたしはその時、会話を諦めました。

 しかし、諦めたらそこで試合終了です。
 夫が面倒くさがっていようが知ったこっちゃありません。大切な人だからこそきちんと落とし前を付けるのが筋なのです。
 延長戦に突入です。

 夫が何も理解しないまま差し出してくる五万と、心底理解することはなくてもわたしの感情を知った上で差し出してくる五万では価値が違います。
 前者では意味がないのです。

 決戦は子供たちの寝たあとに行われました。

 わたしがどういう気持ちで誇りを持って仕事をしてきたか、それに対する夫の発言がどれほど自尊心を傷付けたかということを説明し、わたしのすべてを理解してくれなくていいが、他ならぬあなたに否定されて酷く傷付いたし今も傷付いている。ついでにあのワカッタワカッタの態度もわたしを激しく傷付けていると言うことを懇切丁寧に説明しました。

 時間を空けて正解でした。初戦よりは筋道を立てて話せます。
 夫はそれほど傷付くとは思わなかったと言っていました。会話の流れでつい口にしたとも。

 軽い気持ちで言ったにせよ、敬意がなく、本当に不愉快だったし、相手の人生を否定する発言だった。
 子供たちもあなたを尊敬しているからあなたの発言をよく見ている。そういう心理が伝わってしまう。
 どんな価値観があるにせよ、言葉には気を付けてほしい。
 というようなことを、多分伝えられたと思うのだけど、泣いてしまってうまく言えたかはわかりません。

 そして、五万は、わたしがこのことを思い出すたびに行き場をなくすであろう感情の着地点だとも伝えました。

 夫は悪かったと思っている、だから五万出すことにしたと言ってくれました。
 「お金はもらって、これで手打ち」と、わたしは会話を終えました。

 今後また思い出して悔し泣きをすることもあるでしょうが、夫に対して今回のことをほじくり返すことはありません。
 でも完全に封印するまえに、人生最大の傷付き事件簿を記録しておこうと思いました。
 自分でも知らなかった自分の地雷を知ることができた貴重な経験です。

 本当に最悪でした。
 でも五万くれたしな。

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