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「仮説―検証」の結果を嘲笑していないだろうか?

James F. ガメ・オベールさんはXに投稿したもの。
https://x.com/gamayauber01/status/1732520535144509770

国の政治家が、自分の利権を得られるように動いたために、議論すべきことが議論されず、対策がされてこなかったように感じる。特効薬がすぐに見つかる訳はないのだから、多くの「仮説―検証」が必要だったのにもかかわらず、「民間活力導入」という名で富者をさらに富ませる環境を整えていた。

日本の今の問題は、一人の人間同士だと「パイの取り合い」という単純な思考になっていること。
(老齢者の医療費負担割合、児童手当、給付金の収入制限、正社員という立場など)
問題は当該のその人ではないのに、その人から剥ぎ取ることでひとまずの達成感を得ている。

社会は、「みんなで知恵を出し合う」「『仮説―検証』を山のようにやる」しかない。
「直接民主主義じゃないから議員がいる」という話もあるが、議員はこれをできているか?
議員が話し合って決めればいいのではなく、何かの代表であるならば、国民の一人一人はどこかで関われるはず。
多くの人の知恵を集めるのも、議員の仕事。

決断と実行のスピードが必要だという議論もあるだろう。

であれば、前段階できちんと「任せるよ」ー「責任をもってやる」という関係ができていれば、すべてを常に報告する必要はない。(ステップごとに検証と報告は必要だが)

そのための記録をきちんとつけておく。お金の収支もつけておく。が大事。
小学生に言っているような気になってくるが、国レベルでこれができていない。
(その代わり、自分たち以外の人に書かせる報告書の様式は細かい指示が出てくる。とても手間がかかり、本来の業務に影響が出ることもあるくらい。お金は本体にしか払わない印象が強いし。つまり、記録をとったり、報告書を作ったりは無償の感覚。記録の簡易化、自動化はしていても、大変だと思うよ。
「仮説―検証」だから、おそらく記録や報告のフォーマットは毎回違ってくる。)

いつのころからか、誰から始まったのかわからないが、
「落としどころ」から仕事をはじめる人が多い。
おおよその結果を推測するのはいいが、大事にする結果は今試行していること。
これは、後追い実験という単なる『検証』をしているだけ。

これも、「失敗したら責める」文化だから。

日本のあらゆることが「エコシステム(生態系)」のように影響し合っている。一つが良い方向に代わっても、元の状態に戻る圧力が働きやすい。

影響し合っているものの主要なものを挙げて、その「関係」をいじれることは考えないといけないなあ。

「国民一人一人が海外にわたり合って生きていけ」というメッセージもない「なにもしない」選択をしてきたようだ。

そうだ。
みんな一人一人、同世代の人は何をやっているか見てみよう。
目立って活動している人はそのまま頑張ってもらおう。
今も言うのかな「フリーライダー」って、何もしないけれど、成果だけおこぼれにあずかる人を批判する言葉があったけれど、
そう言う人はここまでの意味で、「フリーライダー」じゃないか考えてみた方がいい。
行動できない理由はいろいろあるだろうけれど、その人ができることもまたいろいろある。
自分の世代の人たちは、今の状況を変えるために、何をしているか、そもそも自分は何をしてきたか、考えてほしい。

他人の行動を「そんなの効果ない」と嘲笑する暇があったら、
自分が「効果ある行動」をしたらいいだけ。
何をしたか、教えてもらいたいなあ。
私も真似したい。

※Facebookに共有した時のコメントを以下に追加。
もしかすると、日本人全員が海外に出稼ぎに行けるように、その国の言葉を使いこなせるようにならないといけないのかも、と思うことがある。
これは極端にしても、その方向が現実的な気がする。
だとしたら、どの程度できるのが最低限のレベルなのだろうか?

そうなったときの国役割が、北朝鮮のようでは困る。
日本は、出稼ぎではなく、片道切符の送り出しの事例がいくつもある。

「観光で眺めるにはいい国だが、住む気になれない」
これは、観光でも評価されているのだろうか?

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