旅はその土地を知ると面白くなる!?
吐く息はすでに白く、身をさすような寒さが上着を着ていても襲ってくる。
ポケットに手を突っ込み、目的もなく街を歩く。
白に染まる空を見ながら考える。
僕は、福井が好きだ。
祖父母や親戚が住んでいるのもあるし、何より「千歳くんはラムネ瓶のなか」という本が福井を舞台にしているのも大きい。
「千歳くんはラムネ瓶のなか」とは、第13回小学館ライトノベル大賞の優秀賞受賞作であり、「このライトノベルがすごい!」でアニメ化せずに殿堂入りを果たすという、凄まじい人気を誇るライトノベルである。作者は福井県出身。
チラムネの人気は凄まじく、公式で聖地巡礼イベントがあり、界隈は盛り上がりを見せた。
その時、僕は地域創生に興味を持ったように思う。
そしてBEAUを知り、わかさはっくつゼミに出会う。
福井が好きと述べたが、正直言って、今までに行ったことがあるのは嶺北だけであり、嶺南に行ったことも、ましてや嶺南という単語自体知らないという無知っぷりであった。
それでも参加を決めたのは、寺井CODさんがいたからだと思う。
すごいたくさん活動をしていて尊敬していた、寺井CODさんが「福井県若者情報発信局」を紹介してくださったおかげで僕はBEAUを知ることができた。
はじまった、わかさはっくつゼミ第一回。
Zoom越しではあるが、寺井CODさんと対面できて、ニヤケが止まらなくなりかけた。
寺井さんはとても優しかった。
徐々にゼミは進行していき、ゼミの紹介などがあった中、衝撃の告知がされた。
それは、わかさはっくつゼミの記事を作るということだった。
自分は福井との関係性が希薄だったこともあり、少しパニックになったが、これから学んだことを記事にすればいいか、とも思った。
講義は続く。
印象に残ったのは、「嶺南には発掘されていない魅力がまだまだあることから、横串を刺し、交流を広げ、さらには嶺北、北陸すらもつなげることを目標としている」ということ。#わかさはっくつプロジェクトが、とてもすごいことを成し遂げようとしているのが伝わった。
そして、小林嶺南振興局長さんも、寺井さんも嶺南愛が凄まじかった。
中でも僕が気に入ったのは、「#わかさはっくつプロジェクトは、ゴールのない未開の地を征く冒険の旅のようでもあり、嶺南は、その旅の過程に意味があると気付かされるとても素晴らしい土地である」と、熱弁されていたことだ。
即決行の旅だからこそストレスなく行くことができ、明確なゴールがないからこそ己の納得感で全てが決まる。
寺井さんたち曰く、嶺南にはまだまだ様々な素材が眠っている。
素材の共通点を見つけストーリーを作り、紡いでいくのが大事らしい。
今まで嶺北しか行ったことがなく、福井=嶺北、というイメージが染み付いていたので、嶺南と嶺北の違いに驚いた。
続いての2回目。
ゲストは敦賀からFUJIONE代表の後藤さんがいらっしゃった。
フリーランスから地域活性化まちづくり会社を起業したという。
飲食店を継ぐために、「時の扉」という飲食店も経営されていて、とてもパワフルな印象だった。
元々独立する気はなかったが、一緒にいたい仲間がいないのは辛く、仲間と安定を天秤に乗せたとき、仲間に比重が傾いたので起業したという話を聞いて、僕は決断力がすごいなぁ、と思った。
後藤さんからは、「根拠のない自信が必要であり、自信のなさは人生に必要がない」ということを学んだ。
自分を追い込み、それを成功させようと努力をするとスキルも上がる。
なにごとも、できると思って取り組み、どうやればできるかを考え、AがダメだったらB、BがダメだったらC…..と続けることで成功することを教わり、自分はいつも後ろ向きに考えて生きているので、少しでも、前向きに考えてみようと思った。
3回目は城主さんこと渡邊敢太さんがゲストとして来てくださった。
城主。令和という時代にそんな肩書きがつく人がいるとは思ってもいなかった。
敢太さんはもともと福井に住んではおらず、大学の農業サークルでできた縁で福井に来た結果、就職するなら福井がいいと定住しているという。
福井に来ていたときに顔見知りを増やし、色々な有益な情報を得ていく中で、地域おこし協力隊に入隊したそうだ。
半年アパートに住んでいたそうだが、ふと、「自分がいなくなったら、次にここに住む人が決まる」「地域のために何かをしようと協力隊になったのに、他の人が住むためのアパートに住むのは町のためと言えるのか?」と思い、空き家を探すようになったそう。
そして、根気よく調べたところ、いい家があった。それが今住んでいるお城(名田庄城)だったらしい。
あまりに鮮やかすぎて、これが運命か……と思った。
さらに敢太さんには、自分のことを色んな人に知ってほしいという願いが根底にあったそう。
みんながお城に来てくれればいいが、お城とはいえ、他人の家には入りづらい。
そこで、お城にバーがあれば、お客さんとしてお城にくるきっかけができると考え、バーを始めたそうだ。
嶺北から人が来る時も、地域の人とのコミュニケーションが生まれる。
素敵なことだと思った。
迎えた最終回。
早かった。
一人ずつ、
・学び、深めたこと。
・これからどうしたいか。
・個人で頑張ること。
を話した。
僕以外は、みんな考えていた。
それに比べて僕はどうだっただろうか。胸を張れていたのだろうか。
前向きに考えると、第2回で誓った。
きっと、大丈夫だろう。
そして、記事に触れる。
僕は、福井と接点が少ない。
僕以外の受講生は、福井在住、わかさはっくつツアー参加者と、福井との縁が深かった。
僕は、チラムネを導入して、嶺南に少し触れて大丈夫だよ、と寺井さんに言われた。
僕は思った。
「あれ?僕だけ内容うすくならない?」と。
ならどうするか??
そう、嶺南に行くのだ。
つきました!敦賀です!!!!!!
思っていた以上に、駅前周辺は栄えていて、新幹線開業の2024年にそなえているのかなぁ。とか思ったり。
立派な銅像があった。
福井に行く前に雪がすごいと聞いていたが、行ってみたら、嶺北も嶺南も降っていなかった。
快晴に恵まれたことに感謝しながら散策を続ける。
駅前にある道をまっすぐ進むと、銀河鉄道のモニュメントがあった。
これ以降も進んでいくと、たくさんあるのが見受けられた。
なぜあるのだろうか?作者の先生は敦賀出身ではなかったはずだ。
調べながら、自分が少なからず嶺南を発掘しているようで、嬉しかった。
どうやら、敦賀は全国有数の鉄道と港の街であり、日本海側で初めて蒸気機関車が走り始めたらしい。
そして1999年に、敦賀港は開港100周年を迎え、その記念にモニュメントが作られたそうだ。すごい。
駅の近くに氣比神宮があるらしいので、さっそく行ってみることに。
朝方ということもあってか、人が少なく、するするとすすめた。
ちょうど茅の輪が出ていたので、穢れを祓い、参拝する。
引いたおみくじ。
恋愛についてが充実していて、細かく書かれていて驚いた。
学問については全くもってその通りなので、英語を頑張らねば!
猿田彦神社にも寄り、氣比神宮を後にする。
街を彷徨っている最中、誰もいない公園を見た。
この日(12/28)はクリスマスやお正月が近いので誰もいなかったのだろうか。
僕が住んでいる場所ではこういった広い公園があまりなかったので羨ましいが、あったらあったで行かないものなのだろうか…….。
すこし後ろ髪をひかれながら公園を後にする。
ちょうどお昼時だったので、ヨーロッパ軒に向かうことにした。
2、3番目で入ることができ、すぐに注文できて、すぐ出してもらえた。
頼んだのは、寺井さんにお勧めしてもらったミックス丼。
すごいボリュームがある。
米の底までソースが染み込んでいて美味しかった。
3種類のお肉を食べ進む。
おいしい。
いささか僕には量が多かったようだが、
たくあんと一緒に食べながら味変してみたり、お茶でさっぱりしてから食べ進み、米粒一つ残さず完食!!!
おいしかったし、歩き疲れた体にはちょうどいいしょっぱさ、ボリュームだった。
店を出てからは、駅からの途中で気になっていた、大きいショッピングモール「アル・プラザ」に行ってみることに。
敦賀に着いてからすぐに寄ったのだが、その時はまだ開店しておらず、開店待ちのお婆さんに「まだ開いていない」と言われ恥ずかしかったことを思い出す。
未だ閉店中ということはなく、今度は無事入ることができた。
今住んでいる土地にあるショッピングモールと大差ない店が多いが、やはりいささか人が少ないように感じる。
若者も決して多いとは言えない。
とりあえず店を一通り回ろうと考え、店内をふらついていると、正月も近いので福袋を売っていた。
何が入ってるんだろう、そう考え、入っているもの一覧を見る。
そこには、石油ストーブがあった。
嶺南に住んでいる祖父母の家にも石油ストーブがある。
確かにあったかいが、福袋に入っているのは衝撃的だった。
確かに寒いもんなぁ……。
近くに無印があるらしいので行くと、圧倒的に広い!!!
すごい広い!!!!!品揃えいい!!!!!!
なのに人少ない!!!!なぜ!?!?!?!?!
デートスポットに最高の場所じゃん!!!
おしゃれじゃん!!!!!!!!!
なんで人いないの!?!?!?!
ツイッターで後日呟いたら、有識者の方から、知り合いに見られたくないから行かないのでは、という指摘を受けた。
確かにお年頃な子は行かなさそうだ。
少し休憩を取った後に、また街散策に向かう。
駅前の商店街にこんな札が提げられていた。
すわ!?こんな綺麗な状態で保存されているのか!?すげぇ!!!!と思ったのだが、歩いているうちに悟った。
これ、モノホンとは違うことに…….。
どうやら、北小?の子供たちが記念に書いたらしい。
自分で詠んでいる子もいてなかなかに面白かった。
僕の母校が合併なり廃校なりなったら、僕はどうするのだろうか。
そんなことを考えさせられた。
後ろ髪をひかれつつ、駅に戻る。
なんと、嶺南に行くと言ったら案内してくれる優しい人がいた。
同じわかさはっくつゼミの森野くんだ。
案内を受けて僕は知る。
午前中に見てきた敦賀は敦賀であって敦賀ではないと。
それほどまでに森野くんの解説は面白く、興味深いものがたくさんあった。
道中寄ったレコード屋では森野くんは常連さんらしく、顔馴染みで親しそうに話していた。
個人経営は仲良くなれたりするのでいいな、とも思うが金銭的なものが安定しないと大変そうでもある。
大型ショッピングモールの台頭であったり、CDへの移行などもある。
願わくば、お店が長く続くことを切に望む。
森野くんは細かい場所の解説なども入れたりしてくれた。
尊敬の意を込めてこう呼ぼう。「敦賀の伝道師」と。
一緒に赤レンガ倉庫の方に行ったりして複数人の旅もいいなぁ、と思った。
こうして僕の敦賀の旅は終わりを告げた。
自分が今回学んだことはなんだったのだろうか。
学んだ成果というものがなかなか実感できない。
それに、学んでも、実践できなければ意味がない。
これから、学んだことを活かせるように頑張っていきたい。
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