コロナウィルスがもたらす、素晴らしき新世界
10年以上前、「希望は戦争」と書いたフリーターがいた。
持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。
(引用:「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争)
極限まで格差社会が進み、富める者がさらに富み、貧しい者がさらに搾取される新自由主義社会において、現状維持を唱える平和思想は、持たざる者への搾取に他ならないのではないか。格差に反対しつつ「平和」を唱える左派こそが、現状の格差社会を密かに支えているのではないか。
だからもう、残された希望は「戦争」だけなのだ。
そのような主張が大いに注目されたときが、一時期あった。
2007年。赤木智弘による「希望は、戦争」論考だ。
当時、この論考は左派アカデミズムから集中砲火とも言えるほどの熱烈な批判を浴びた。
曰く、
「戦争によって自分が死ぬということを考えていない」
ー佐高信 (評論家、東北公益文科大学客員教授)
「日本で真っ先にターゲットにされるのはフリーター」
ー福島みずほ(政治家。社会民主党党首)
「安易な書き飛ばし」
ー森達也(ドキュメンタリーディレクター)
「クビが飛んでも動いてみせる、それがフリーターに与えられた自由」
ー鎌田慧(ルポライター)
「弱肉強食の社会で弱者が負うリスクを過小評価している」
ー内田樹(神戸女学院大学名誉教授)
というものばかりで、要は
「戦争になって一番困るのは君たち弱者なんだから、戦争など望まず大人しく格差社会に擦り潰されていなさい」
ということだ。
これら左派アカデミズムの反応を、赤木智弘は「結局、自己責任ですか」と総括した。
それ以降、赤木は、「希望は戦争」の主張をどこかに置いてきてしまったように見えた。自説が受け入れられる可能性が無いことを、左派アカデミズムの頑迷な無理解から感じ取ったのだろう。
その後、長い間「希望は戦争」論は忘れ去られていたが、ひょんならことから再び日の目を見ることになる。
トマス・ピケティによる著作「21世紀の資本」が2014年に発表され、欧米を中心に大きな反響を巻き起こしたのだ。
「21世紀の資本」の内容を簡単に要約すると、以下のような感じになる。
「資本収益率(r)と経済成長率(g)では、資本収益率の方が大きい。つまり実業家より投資家の方が儲かるのだから、何か特殊な事情が生じない限り、格差は延々と拡大し続ける。」
「特殊な事情とは、近年で言えば世界戦争や世界恐慌である。戦争により資本家の生産手段が破壊される、戦費獲得のため累進課税が強化される、そのような事情から戦時においては格差が是正される」
「戦争や恐慌に頼らず格差を是正するには、全世界的な富裕層に対する課税強化が必要だが、このような制度の実現は難しい」
つまり「希望は戦争」と絶叫した赤木の直感は、正しかったのだ。
平和こそが、格差の源である。
「反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる持つ者の傲慢である」との赤木の論考は、格差是正という観点からすれば、100%正しかったわけだ。
さて、
話は変わるが、現在、コロナウィルスが全世界で猛威を奮っている。
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