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やさしいニッポンの腐ったフェミニズム

この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたよりもっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地にキリスト教という苗を植えてしまった

上は遠藤周作の小説「沈黙」からの引用である。イエズス会の司祭フェレイラは布教のため幕府の目を盗んで密かに来日するが奉行所によって拷問にかけられ遂には棄教に至る。フェレイラは語る。日本にはどのような舶来思想も根付かない。沼のように全てを腐らせ、オリジナルとは違うなにかに変質させてしまうのだ、と。

筆者がこの台詞を強く連想したのは、日本フェミニズム史を整理するため資料にあたっていた先日のことだ。フェミニズムという濁流を整頓することは容易ではないが、曲がりなりにもいくつかの類型らしきものを見出すことは不可能ではない。そうして整理していくと、日本フェミニズムの特異性に改めて気付かされるのだ。

日本という沼地は、キリスト教も、仏教も、儒教も、そしてフェミニズムも根底から腐らせてしまったらしい。

本稿で「やさしいニッポンの腐ったフェミニズム」と題し、日本という国の特殊性と、それがフェミニズムという舶来思想をいかに腐らせ変質させていったのかについて綴っていく。


「女を男にする」英米フェミニズム

「フェミニズムとは男女平等思想である」としばしば言われる。必ずしも間違っているわけではないが、正確性に欠けた主張でもある。

「男女平等」と言われると一部の男性は「男性もまた男性的な性役割から解放されるのだろうか?」と期待してしまいがちだが、英米の主流派フェミニズムの「男女平等」はそのようなニュアンスを一切含まない。

主流派フェミニズムにおける男女平等、それは「女が男になること」である。

女も男のように参政権がほしい。
女も男のように自由に恋愛したい。
女も男のように外に出て働きたい。
女も男のように政治家や大企業重役になりたい。

こうした「女も男のように〇〇したい」という願望を叶えるための思想的ツールがフェミニズムであり、そのために第一波においては市民権の平等が、第二派においては性規範ジェンダーの平等が主張された。あくまで「女が男になる」形での男女平等を目指すのが英米フェミニズムだ。

つまり言い換えれば、「男が女になる」形の男女平等は主流派フェミニズムの中では一切認められていない。

男も女のように専業主婦になりたい
男も女のように戦争に行きたくない
男も女のように子供の親権がほしい
男も女のようにケアの対象にしてほしい

そうした願望を持つ男性は無数にいるが、彼らがフェミニストから受容されることは絶無である。「男女平等思想」ではなく「女性の男性化思想」と捉えた方が英米の主流派フェミニズムについてはより本質を捉えられるだろう。

だからこそ、英米フェミニストが理想とする夫婦関係は「夫と妻」ではなく「夫と夫」の二馬力パワーカップルになる。男女が共に外に出て働き、家事育児は基本外注して最低限のものを夫婦で分担する。それが英米フェミニズム的に「正しい」夫婦関係なのだ。

引用:男女共同参画白書 令和2年版

現に生活時間の国際比較を見ると、ジェンダーギャップが小さい欧米諸国は男女で有償労働と無償労働の比率がほぼ変わらないことが見てとれる。もちろん極端なハードワークや危険な現場仕事が男性にばかり割り振られることは本邦と変わらないが、有償労働の男女比率に極端な差が出る日本や韓国よりはだいぶマシである。

「女を男にする」英米フェミニズム思想は様々な問題点を孕みつつも、「男女で負担を分かち合う社会」をある程度実現させたと言うことはできるだろう。


日本フェミニズムの特殊性

一方、「沼」たる日本ではフェミニズムはどのように受容されてきたのか。

読者諸兄も薄々お気付きかもしれないが、「女を男にする」形のフェミニズムは日本ではほぼ根付かなかった。それではどのようなフェミニズムが根付いたのかというと、日本においてフェミニズムは

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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