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男性に食事を奢らせるのはセクシャルハラスメントである

なぜこんな当たり前のことがわからない人間がいるのかつくづく不思議なのだが、改めてしっかり言語化しておこう。男性に食事を奢らせるのはセクシャルハラスメントである。仮に女性から直接的に強要したわけでなくとも、たとえば婚活における仲人などが男性側に「男性なら女性に食事を奢れ」などと(非明示的なものも含め)指示したならそれは立派なセクハラとなる。

そもそもセクハラとは何か。改めて定義を確認しておこう。公務員の人事や懲戒を司る人事院の定義によれば、セクハラとは

① 他の者を不快にさせる職場における性的な言動
② 職員が他の職員を不快にさせる職場外における性的な言動

引用:人事院HP「セクシャル・ハラスメント」

である。ざっくり「性的な言動で他人を不快にさせること」と捉えておけばいい。

それでは「性的な言動」とは何を指すのか。人事院の定義では

➀性的な関心や欲求に基づくものをいい、
②性別により役割を分担すべきとする意識に基づく言動、
③性的指向や性自認に関する偏見に基づく言動も含まれます。

引用:人事院HP「セクシャル・ハラスメント」

とされている。引用元が人事院なので文面に「職場」とあるが、これは学校や趣味のサークルや地域活動などの場でも変わらない普遍的な定義とみなしてよいだろう。

①の「性的な関心や欲求に基づく」性的な言動はイメージしやすい。

「新卒ちゃんオッパイ大きいねw 彼氏いるの?w」

「あの派遣のババア、ブスのくせに態度デカすぎだろ」

「システム部門の新人くん、マジでチー牛っぽい顔してるよねw Vtuberとか好きそうw」

など、「性的な関心」に基づき容姿や年齢や身体的特徴などにまつわる不快な言動を行うことを指す。いわゆる「セクハラ」と言われて真っ先に連想するのがこのタイプのセクシャルハラスメントだろう。20代以下の若い世代にとってはもはや歴史上の出来事かもしれないが、こうした従来型のセクハラもかつて日本社会において広く見られたらしい。

本稿において重要なのは②で定義されている性的な言動。すなわち

性別により役割を分担すべきとする意識に基づく性的な言動

である。つまり「女が管理職なんて生意気だろ」という言動がセクハラに他ならないのと同様に、「男なら食事くらい奢れ」という要求も当然のことながらセクシャルハラスメントとなる。きわめてシンプルな話である。

よって「奢り奢られ論争」などと称して「男はデートを奢るべき」と声高に主張している連中は基本的にほぼ全員が人権意識の低い性加害常習者と見做して良い。彼らは昭和平成の古い時代から人権感覚をアップデートできていない老害の性差別主義者である。

極端なことを言っているように感じられるかもしれないが、これが例えば「女性総合職は是か非か論争」などと称して「女性総合職はダメ!女は一般職で働くのが当たり前!25までに退職し家庭に入って育児に専念しろ!」という人々がいたらあなたはどう感じるだろうか。高い確率で「なんて人権意識の低い性加害常習者なんだろう」と思うのではないだろうか。

奢り奢られ論争も全く同様の話である。「特定の性別にジェンダーロールを強いることは是か非か」などという現代の人権感覚に照らし合わせるなら「非」一択の主題に対し、これは例外だからジェンダーロールを強いるべきだなどと主張しているのは端的に言って頭が狂っているとしか言いようがない。今は2024年である。いい加減に人権感覚をアップデートしてほしい。

聞くところによると、「男は奢るべき」という規範は特に婚活の場などにおいて仲人や相談員から男性側に強いられることがあるのだと言う。

これなどは環境型セクハラの典型例と言える。組織的に行っている分、個々の婚活クソ女が飯をたかる以上の悪質性がある。現在深刻な婚活市場からの「男性離れ」が囁かれているが、こうした環境型セクハラがまかり通っていることも原因のひとつと言えるのかもしれない。

結婚相談所という夫婦関係の基礎となる場所が性役割の押し付けを常習的に行っているというのも問題が大きい。学校で教師が子供に「○○人は知能が低いから差別してもいい」などとレイシズムに基づく人種偏見を植え付けるようなものである。昨今では民間の婚活事業者でも行政からの支援ないし委託のもとに行われているサービスも多い。もし行政からの資金を得た上で悪質な環境型セクハラを常習的に行っているのだとすれば、それは行政側の責任すら問われるべき問題と言える。性差別は絶対に許してはならない。

奢り奢られを「個々人の選択」と矮小化する態度も頂けない。セクシャルハラスメントを許さない社会を築くために必要なのはひとりひとりの意識改革である。たとえば「私は女だから、医学部ではなく看護学部に行こうと思います」という女子生徒がいたとして、親や教師はどう反応すべきだろうか。「個々人の選択だからね」と彼女の選択を放置すべきだろうか。そうではないだろう。「今は女とか男とか関係ないよ。医学部だろうか何だろうが好きな進路に進んで良いんだよ」とアドバイスするべきと考える人がほとんどだろう。筆者も同じ考えだ。個々人がジェンダーバイアスや環境型セクハラに惑わされず自由に進路を選択できること。それは当然の人権であり、それを実現させるためには周囲の人々の理解と行動が求められる。

奢り奢られも全く同様である。「俺は男だから、デート代は奢ろうと思ってます」という男性がいても、それを「個々人の選択」などと放置することは許されない。そうではなく、「今は男とか女とか関係ないよ。自分で飲み食いした分は自分で払うのが当たり前なんだから。ワリカンでいいんだよ」とアドバイスしていくべきなのだ。繰り返すように、性差別の根絶に最も重要なのはひとりひとりの意識改革である。「セクシャルハラスメントを許さない」という強いメッセージを打ち出していかなければならない。ジェンダーバイアスによって強いられた選択を「個人の自由」などと放置することは許されないのだ。

規範的な議論において、「奢り奢られ論争」にこれ以外の答えは存在しないだろう。特定の性別に食事を奢るよう強要することはセクシャルハラスメントである。セクシャルハラスメントは許されない。よって特定の性別に食事を奢るよう強要することは許されない。以上。話はここで終わりである。

とは言え、少なからぬ数の男性はこう思っているのではないだろうか。「女性に奢らないと、女性から嫌われてしまうのでは?」と。つまり規範的な議論ではなく実利的な議論になるわけだが、これについても回答はシンプルだ。一般的に思われているのとは全く異なり、男女交際において「奢り」は

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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