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慶應付属の歪なエリート意識と、児童精神科のまともな子供たち

先日書いた豊田章男さんについての思い出話が予想以上に多くの方に読まれているようで、少しばかり驚いている。

自分としては「少年時代の思い出」として軽い気持ちで書いてしまったのだが、章男さんほどの公人ともなると世間からの注目のされ方が桁違いなのだと改めて思い知った。記事への反応は好意的なものが多く暴露や誹謗のような形にはなっていないと信じたいが、ご迷惑になっていないことを切に願うばかりである。(ないとは思うが)もし旧稿がお目に触れていたらどうかご寛恕願いたい。

ところで、筆者の少年時代には章男さんの他にもうひとり極めて強い影響を受けた人物がいる。ほんの数週間ほど一緒に生活しただけの関係なのだが、おそらく彼と出会わなければ章男さんの「異常なまでに普通を追求する」という生き方の凄みも結局は理解できないまま終わってしまっただろう。

実名を記すのは憚られるのでここではNとしたい。筆者と同年齢で、同じ都立病院の児童精神科に入院しており、退院後は清掃員として清掃会社の従業員になった人物だ。今日はNの思い出話を少しだけしてみようと思う。


慶應付属の衝撃

前稿では「普通」を追求する章男さんや、どこまでも「普通」の男子中学生だった豊田のお話をさせてもらったので意外に思われるかもしれないが、筆者らが通っていた慶應義塾湘南藤沢中高という学校は「普通」であることに意義などまったく見出していない学校だった。というより、歪んだエリート意識を積極的に醸成していたとさえ言って良いかもしれない。

ここは慶應大学のいわゆる付属校で、エスカレーター式に慶應大学に進学できることから人気が高く入学難易度が高いことで知られた学校だった。筆者は付属小学校(幼稚舎)ではなく付属中学校からの入学した中学受験組だが、いわゆる開成・麻布・武蔵の男子御三家のうち開成には劣るが武蔵・麻布とはほとんど同じくらいの難易度だったような記憶を有している。

こういう学校だと、入学者は100%ゴリゴリの中学受験教育を受けてきた受験エリートたちだ。子供時代の大半を常に偏差値という物差しで測られ続け、それによって序列付けされることを当然視する価値観を叩きこまれている。

そうした過酷な選抜教育をくぐり抜けた生徒たちだから、当然というか、ほとんどが中学入学時の12歳にして強固なエリート意識を有していた。もちろん、そうした生徒を受け容れる側の学校側もエリート意識の塊だ。今でも鮮明に覚えているのだが、中学の入学式のあとのオリエンテーションで、

「君たちは選ばれた人間なんだから、選ばれた人間としての自覚を持ち、選ばれた人間にふさわしい行動を取りなさい」

と教師が生徒らに大真面目に説教していたのを覚えている。筆者はこのお説教にかなり面食らったのだが、周りを見渡すとみな真面目な顔でコクコクと頷いており、「マジかよとんでもない所に来ちまった」と入学初日からげんなりした気持ちになったのを覚えている。

おそらく筆者がこうしたエリート意識にあまり乗れなかったのは、中学受験そのものが筆者の志望とはかけ離れていたからだろう。自分は中学受験にも難関私立中学にも興味がなかったし行きたくもなかった(その証拠に受験直前まで「慶應」を「KO」だと思ってた)のだが、母親が泣き叫び暴れ殴り家のモノを投げ続けるために嫌々でも勉強せざるを得なくなり、結果なんとなく合格してしまったのだ。

教育虐待の末にエリートとしての自負心など芽生えるはずもない。

こうして筆者の学校生活は初日から軽い疎外感を抱きつつ始まった。


「エリート」たちの日常

さて、そんなエリート意識に凝り固まった中学高校の日常生活とはどんなものだったのか。軽くご紹介してみよう。

まず、よく言われるような「生徒はみんなブランド品を持ってて、ヴィトンやシャネルの財布を持ってないと仲間外れにされる」という噂。これについては完全に虚偽である。筆者が男子生徒だからというのもあるのだろうが、高価な小物や装飾品を見せびらかすような生徒には一度たりともお目にかかったことがない。女子の間でもそうした文化はほとんど見られなかったように思う。

それでは同級生の間で一目置かれるにはどうすれば良いのか。筆者の世代における一例を挙げると、大量のエロ動画を保有していたある男子生徒などは確実に男子間で一目置かれていた。

彼はコンピューターに明るく、当時大流行していたwinnyやwinMXを駆使して世界中から大量のエロ動画を集めまくっており、確か中学の2年か3年のとき修学旅行にわざわざノートPCと大容量HDDを持参してそれらのエロ動画コレクションを我々に見せびらかしたのだ。あまりに圧倒的なエロ動画の質と量に我々男子は平伏し、彼は「マジで凄いやつ」として同級生間の株を大いに上げていた。

ここら辺は、漫画や小説で描かれる「エリート学校の男子生徒」とかなり異なる点だと思っている。フィクションの世界だとエリート男子生徒というのは「ボク性欲とか抱いたことないですよ」的なすまし顔をしているのが常だが、現実はこんな感じである。

他にも18か19のあたりのとき、ある男子生徒がSODの童貞卒業モノAVにこっそり出演したのを日々大量のAVのサンプル動画を見ていた他の男子生徒が発見し、「○○がSODでAVデビューした!!!」というのが同級生間の一大ニュースになったこともある。

学年あたり80人しか男子がいないのに、そこからSODでAVデビューする男子1名、それを発掘するAVマニア1名を排出するのは中々のスコアと言えるのではないか。ちなみに彼らはノートPCとHDDを修学旅行に持参した某とは別の生徒である。他にもこうした性的不品行は無数にあり、偏差値が高かろうが低かろうが男子中高生の品性にさほどの違いがないことを証明している。

とはいえ、それでもやはり彼らは強いエリート意識を持つ子供たちだったように思う。「自分たちは普通の学生ではない」と気負うまでもなくごく普通に思い込んでいたし、そうした空気を学校側もむしろ積極的に煽り立てようとしていた。

たとえばある数学教師などは福沢諭吉が遺した「慶應義塾の目的」という文書をテストで暗書することを求め、数学のテストであるにも関わらず「慶應義塾の目的」に10点の配点を設定するという気が狂った試験問題を出し続けていた。ちなみに「慶應義塾の目的」は以下のような文章だ。

慶應義塾の目的

慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。その目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、これを実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、これを口に言うのみにあらず、躬行実践を以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり。

福沢諭吉

引用:「慶應義塾之目的」

これが1回限りでなく、毎度毎度の数学の中間・期末テストで暗書を求められるのだ。もう洗脳教育としか言いようがない。ちなみに筆者はこの歳になるまで「躬行実践」も「智徳の模範」も「気品の泉源」も「居家、処世、立国の本旨」もこの文章以外で目にしたことがない。というか、未だに意味を知らない。

たった今ググって「躬行実践」が「口先だけでなく、自ら実際に行うこと」という意味であることを知ったが、なるほど「躬行実践」の精神を我々塾生のほとんどが全く共有していないことを改めて痛感しまった。なにせ同級生のほとんどが「躬行実践」の意味など知らずに暗書していたのだ。「口先だけ」をこれほど体現した話もないだろう。

このように、「自分たちはエリートだ」という自己特別感だけは青天井に高まっていくにも関わらず、「エリートとは何か」という肝心要な部分がまったく完全に空虚だったのが慶應付属の教育であったと筆者は思っている。

だからこそ古き良きブルジョワジーとして健全なエリート意識を有していた章男さんに強い衝撃を受けたのだろう。章男さんのような自罰的なエリート意識は日常的な学校生活ではまったく見られないものだった。我々のほとんどは「君たちは特別だ」という甘いメッセージのみを受け取り、ただひたすらにエゴのみを肥大させていた。特別であることに責務や義務が付随するなど、我々の誰ひとりとして夢にも思っていなかった。

入学当初「君たちは選ばれた人間だ」というオリエンテーションにはっきりと違和感を抱いた筆者も、こうした環境の中で過ごすうちに少しずつ歪なエリート意識を膨らませていったように思う。ほとんど唯一、章男さんとの思い出がそうした感覚に冷水を浴びせていたが、数年過ごすうちに学校側が発信する「エリート」教育にさしたる反発も抱かないようになっていった。悪いことに自分がエリート意識を拗らせているという自覚さえ当時はまったく有していなかったのだ。今にして思えば、エロ動画に一喜一憂するクソガキたちがよくもそこまで自分たちを特別だなどと勘違いできたものである。

そんな筆者の濁りきったエゴを一瞬にして打ち砕いたのが冒頭に紹介した児童精神科の入院仲間たるNだ。といってもNは筆者を論駁したわけでも、目を覚ませとお説教してきたわけでもない。彼はただひたすらに活発で賢く優しく少年として存在していた。眩しいほどに普通だった。それだけで十分だった。


退学と入院

謎のエリート意識を押し付けてくる学校生活とは全く別の理由で、中2頃から筆者は少しずつ体調を崩し、高校1年の冬ごろには遂にまともに学校に通えない状態になってしまった。

原因は100%家庭問題である。母の家庭内暴力に耐えかねた父が中2で家を出て離婚に踏み切ったことで母の発狂度合いが加速し、加えてそれまで父が受け持っていた分の被害が全て自分に集中するようになり、人間サンドバックとしての筆者の許容量がついに限界値を超えてしまったのだ。

泣く、喚く、叫ぶ、暴れる、殴る、モノを投げる、そうした狂態に毎日のように付き合わされると人間の精神は病気になるように出来ているらしい。しだいにうつ病によく似た症状が出始め、終いには夜寝ているにも関わらず通学電車の中で8時間以上も寝てしまうほど過眠症状が酷くなり、ほとんど全く学校に通えなくなってしまった。医者からは口をそろえて「適応障害」と診断され、結局、高校は中退して都立病院の児童精神科に入院することになった。

そう、精神科の入院病棟である。入院を控えた患者がこんなことを心配するのは今思えばだいぶ間が抜けているのだが、入院が決まったとき筆者は「精神科入院」という事態に死ぬほどビビッていた。

メンタルクリニックくらいなら当時も次第にポピュラー化していたが、入院となると話が違う。だいたい当時の漫画や小説で描かれる精神科入院病棟のイメージは「キチガイたちが檻の中に閉じ込められており、金切り声を上げたり虚空に向かってブツブツと何かつぶやき続けている」的なものだ。ちょっと1日に16時間寝て日中ほとんど起き上がれないくらいでなんで俺がそんな場所に閉じ込められねばならんのか。不安と恐怖で心底ビビりながら入院病棟に向かったのを覚えている。

入院初日。看護師さんに自分の部屋となる4人部屋に案内され、ベッドの下に着替え等の荷物を収納したらとりあえずやることがなくなった。デイルーム(いわゆる大部屋)に出てみると、中学生から高校生くらいの少年少女がわちゃわちゃとたむろしており、そこら辺で雑談したり絵を描いたりトランプに興じていたりする。

筆者が入院していた都立梅が丘病院のデイルーム。

「あれ?意外となんかフツーだな」と感じていたのを覚えている。と言っても周囲に知り合いがいるわけもなく、周りの子供たちも新入りである自分を遠巻きに観察しているようにも見える。

仕方がないので筆者も持ってきた文庫本をデイルームのベンチに腰掛けて読もうとする。たしかあれは江戸川乱歩の『パノラマ島奇談』だったと思う。殺人を犯して巨万の富を得た男が無人島に自分の理想世界を築こうとする幻想小説。精神病院に入院するにあたって17歳の少年が持参する本としては100点満点と言えるかもしれない。後から知ったが、周りの少年少女も同じような癖のある小説を好む子が大量にいた。

しばらくすると夕食の時間がはじまり、子供たちは配膳室から食事のトレイを取ってデイルームの思い思いの場所で食事をはじめる。仕方がないので筆者もトレイを取り、デイルームの端で文庫本を開きながらひとり食事を始める。ふと視線に気づくと、隣のテーブルに集団で座るやけに顔のいい少年がこちらを眺めており、「良かったら一緒に食べない?」と筆者に同席を誘ってくれる。

これがNとの出会いである。おそろしく整った顔、常に浮かべている穏やかな微笑み、勝手に周りに人が集まる恒星の引力じみた人望、時にこちらが面食らうほどの過剰な親切心。

全てが漫画の主人公のような、そんな少年がNだった。


児童精神科という聖域

さて、読者のみなさんの中にも17歳当時の筆者のように「暴れる患者が檻の中に閉じ込められてる」的なイメージを精神科入院病棟に対し抱いている方がいるかもしれない。

たしかに精神科急性期病棟のような場所だとそうした光景が見られることもゼロではない。精神科医療における身体拘束は未だ解決されざる問題のひとつだ。とは言え、一般的な入院病棟のほとんどは驚くほど「普通」の患者が集まっているのが筆者含め多くの入院記が伝えるところだと思う。

特に児童精神科の入院病棟は「症状が重いので入院する」パターンだけでなく「親の虐待から引き離して治療に専念させるために入院する」パターンがそれなりに多く、特に筆者に入院していた開放病棟はそうした子供たちが多かった。

もちろん患者個々人によって事情は大きく異なり、被虐待児童でも児童相談所を通じて入院していたり、はたまた素行不良で少年犯罪を繰り返した末に入院していたり、学校でいじめ等の被害を受けた末の入院だったり、過食と拒食を繰り返す摂食障害で栄養管理が必要だったり、生まれつき何かしらの障害を持っていたり…と様々なのだが、病棟の雰囲気としては「病院」というよりも「学校」という感じが近く、思春期の少年少女が集まって何ヶ月も修学旅行を続けているような空気感が漂っていた。

Nはそんな病棟における中心的な人物だった。筆者のような新入りにも出来る限り声をかけ、子供たちの輪に入れようとする。といっても無理強いはせず、ひとりになりたい子はひとりにさせておく。その加減が絶秒で、ひとりを好む子が時たま輪に入りたそうにしてる時はごく自然に会話に入れるよう水を向けてやる。

そうした気配りを息を吸うようにやれるのがNという少年だった。本当に、なぜ彼が児童精神科病棟に入院してるのか当時は不思議でたまらなかったものだ。少なくとも17歳の筆者にとって、Nはそれまでに見たどんな少年よりも優れていた。頭が良く、話が面白く、どんな相手とも仲良くなることができ、親切で、さらに顔まで良かった。当時の病棟の少年少女は、少なからずNに夢中になっていたはずだ。

例えばこんなこともあった。

よく一緒になってデイルームでたむろしていた仲のいい少年のひとりが、パニック発作を起こしデイルームのベンチで頭を抱えてうずくまっていた。すぐに看護師が飛んでいき頓服薬を飲ませるが、発作はそうすぐには回復しない。筆者を含む仲間たちは心配して彼を遠巻きに眺めるが、それ以上のことはできない。

そんなとき、Nはスッと発作を起こしている少年の元に近づいていき、ごくさりげなく隣に座って漫画を読み始めた。ひと言も声はかけない。うずくまっている少年の顔を心配そうに覗き込むわけでもない。あたかも「丁度そこにベンチがあったので座りました」とでも言うような態度で、発作を起こす少年の隣に腰掛けなんでもなかったかのように漫画を読み始める。

しだいにパニック発作を起こしていた少年の症状が収まっていき、少しずつ周囲の様子を認識できる程度に余裕が回復すると、Nは漫画を読みながら軽く背をさすってやる。何十分かして発作を起こした少年が回復しだすと、何事もなかったかのように周りの少年少女と雑談をはじめ、発作を起こしていた少年もまるで直前のことを忘れたかのように会話に混じり出す。

Nはそういうことがごく自然にできる少年だった。


Nの就職

筆者が入院した段階で既にNは退院まで秒読みの段階に入っていたらしく、ほんの数週間後にはNが退院するらしいという話になった。退院日が決まり、周りの少年少女がおめでとうとNを祝福する。

「退院後はどうするの?」

ふと気になって、筆者はNに退院後の予定を聞いてみた。Nのような少年はシャバに出たらどんな暮らしをするのだろうか。当時は自分もかなり気分が落ち込んでいたから、Nのような少年には(自分とはまったく違った)輝ける進路があるようにも思えたのだ。

「清掃会社に就職することになって、寮で生活することになった!」

そうNは輝ける笑顔で筆者に返した。どんな会社で、どんな寮で、という話もしてくれたように思うが、ほとんど記憶がない。当時の自分の傲慢さに未だ赤面する思いがあるのだが、自分は「清掃員」という仕事を聞いて、正直なところ絶句してしまったのだ。

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週に1-2回程度更新。主な執筆ジャンルはジェンダー、メンタルヘルス、異常者の生態、婚活、恋愛、オタクなど。

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