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能登半島地震における旅館の記録⑤

1月23日 今日から大雪警戒。今季一の強い寒気が流れ込む。館内の亀裂や崩壊している所から冷たい風が吹き込んでいる。館内は暗い。
そんな中、頭脳明晰な統括部長と聡明な総務部長、おとっり系総務課長3人がスタッフ一人一人を多田屋に呼んで、面談をしてくれている。困った事はないか、今後の事の不安や悩み、多田屋としてお手伝い出来る事はないかヒヤリングしてくれている。最初は電話でという案もあったが、やはり一人一人目を見て話そうという事になり、毎日数人のスタッフが多田屋に来てくれる。それがとても嬉しい。みんな事務所に入ってくる時にとびっきりの笑顔を見せてくれる。スタッフの一人が『私、外から家が揺れるのを見ていたんです。サザエさんの家状態でした。』サザエさんの家?どういう事?

こんな時はサザエさんをみるとほっこりする

そっか!サザエさんのエンディングで家が揺れる!なんてわかりやすい表現なんだ!あの時の多田屋もサザエさんの家みたいに揺れていたわ…。

1月2日 大号泣した後はエンジンが全開になった。泣いたらすっきりした。
この頃、和倉小学校避難所では、他の旅館さんがバスを出し、金沢まで送るという噂が流れる。それは、各旅館それぞれに宿泊したお客様を和倉温泉として協力して送るという事なのか…。それとも、各旅館でそれぞれにやって下さいという事なのか…。

9:14 石川県能登地方 4
10:17 石川県能登地方 5弱  逃げて!館内から出て!

避難所にいるスタッフがお客様1組1組の今後の予定をヒアリングをしていた。
・○○様 当館へのC/Iは未。お客様自身であわら温泉に宿をとれた。2名
・○○様 避難所に滞在する。1名
・○○様 京都に宿を取っている。2名
・○○様 金沢でホテルをとれている。2名
・○○様 できれば金沢まで行きたい。5名

などなど…。金沢への送りは各旅館に任せるという方向らしい。すでに出発した旅館もあるとか…。もう少し和倉温泉で団結出来ないものか…。

・避難所にいるお客さまの忘れ物は完了としている認識
・避難所の人数が今は減っているが、日中は家を見に行って夜は戻ってくる人もいるので、夕方になると人が増えると予想される。
・旅館がほぼ撤収していて、観光客と地元の人のゾーニングは最低限できている状態ではある。
・荷物や私物はお客様ご自身で管理してもらっている状態。
・金沢には避難所がない状態。

12:14 北陸新幹線長野-富山について、上下線ともに午後3時ごろに運転を再開する見込みと発表あり。災害本部3人と社長と私で会議をする。

金沢送りのリスク
【こちらとしては今日1日は情報を頼みに金沢に向かう人が多いため、様子を見てから動くことを推奨する】
・暗くなる前にスタッフをこちらに戻しておきたい。暗くなってからではスタッフの安全が確保できない。今から送るなら3時までには金沢を出発しておかないといけない。
・新幹線が動き始めているが乗れない可能性が高い
・金沢市内に避難所がない
・現地放浪する可能性がある
・物が買える保証がない
・今日行くなら全員送るのがいい。

館内の亀裂が広がっていく… 2024/01/02

私たちが一番悩んだのは、多田屋のお客様に確実に安全にご自宅まで戻って頂きたい。皆さんも必ず言ったことがあるであろう、お家に帰るまでが遠足これを守りたい。金沢の状況が1月2日の正午時点で情報として全く入ってこない。金沢駅に送って、はい、さようならという事は絶対にしたくない。
金沢駅で寝泊まりする事になるのではないか、何かあった時に避難所はあるのか。でも、震源地から少しでも離れたい気持ちも非常にわかる。

皆が統括部長をじっと見つめる…。【金沢までお送りしましょう】この時の統括部長の気持ちを聞いてみた。一番は避難所にお客様と一緒にいるスタッフの気持ちを一番大切にしたい。(スタッフの中にも金沢まで送ってあげてはどうかという意見がある)
一睡もせずにお客様のそばにいるスタッフが、お客様の気持ちなどを傾聴してくれていた。そんな彼らを休ませてあげたい。彼らも被災者である。ある程度、お客様の金沢へ行かれてからの予定がヒヤリングできたので決めた。

皆さん…びっくりしないで頂きたいのだが、この統括部長、私や社長よりも一回り以上年下なのだ。

12:50 金沢送り決定。【まって!私と社長も避難所に行きます!会社のトップとして、お客様に他の旅館よりも決定が遅れたお詫びと理由を私たちが説明します。これ以上現場のスタッフにそれをさせるわけにいかない。】私は、きっとお客様から辛辣な言葉を言われるだろうと思っていた。会社のトップがどうして顔を見せないのか…。判断が遅いのではないか…など。

『お客様への案内文をすぐに作成して!』統括部長から本部1人へ指示。私は、総務にお客様が20名ほどいると思うので、お水と多田屋のお茶菓子を準備しておくように指示(金沢でもし一晩過ごすことになるとしたら…と考えた為)

私は運転手の選出(当館予約課長)彼は本当にこういう時に頼りになる。道中何かあった時に彼1人では大変だ。もう2名ぐらい同乗させよう。避難所に一緒にいてくれた客室係チーフ。彼女は愉快なのでバスの中を楽しませてくれるはず。いつも冷静沈着なフロントスタッフ。彼女はバスの中から災害本部とのやり取りをする役目。今思っても、これ以上にない人選だったと思う。

【若女将、帰りは和倉の街中を歩いて帰ろう…】社長がポツリ…。そうしようか…。

13:08 社長と私を乗せて、金沢送り多田屋バスが和倉小学校に向け出発。

和倉温泉街 写真は2024/01/04 09:29撮影

地震後初めて、多田屋から先の温泉街をみる。え…。道路が…。こんな所を通りながら和倉小学校と多田屋を何度も往復していたのか…。

13:20 和倉小学校に到着。体育館はあまり人がいなかった。お客様は小学校ステージ下に集まって避難されていた。社長が挨拶をする。【この度は、本当に怖い思いをさせてしまって申し訳ない…。】金沢駅へ送らせて頂くことになった経緯と、判断が遅くなった理由。なるべくなら明るいうちに送らせて頂きたい。できれば今日中に皆さんを送らせて頂きたいなど…。

『……すぐに決めなくてはなりませんか?』『明日は送ってもらえないのですか…?』皆さん、非常に落ち着いて社長の話を聞いて下さり、お客様同士やご家族同士でも迷っていらした。乗ります!残ります…。とおしゃってみたり、やっぱり残ります、でもどうしたらいいでしょうか…と私も相談される。

お二人のご夫婦が『行きます!金沢へ送って下さい!宿も金沢で取れました!』宿が取れた?携帯を使ってすぐに宿を手配したようだ。なんて便利な世の中なのだろうか…。和倉はまだ通信が出来る状態だったから出来た事。そのお二人の力強い宣言に、周りのお客様も次々にバスに乗ります!と手を上げ始めた。その時、私に災害対策本部から連絡が入る。
【ステージ下以外に、小学校に畳の部屋があります!そこに○○様というお子様連れのお客様が避難されていますので、そちらにもお声かけお願いします!】あ!あそこの部屋だ!

私、実は和倉小学校に詳しい。我が子が在校生だという事はもちろんの事、社長も通っていた小学校。社長はPTA会長だったという事もある。そして今現在私が、PTAの役員をさせてもらっている。

【○○様でしょうか。多田屋の若女将です。】お母様が小さい小さいお子様を抱いて隅のほうに座っていらっしゃった。金沢まで送らせて頂くことになった事を説明する。ご主人さまと相談して金沢まで行くことを決められた。

スタッフと金沢送りの人数を最終確認していると…体育館の真ん中のほうで手を上げている方がいらっしゃった。『私たち、家族5人も乗せてもらえませんか…』話を聞くと他の宿に宿泊されていたお客様だった。私は即答できなかった。とりあえず、乗車人数を確認しお乗せ出来るようなら…と伝える。

1人のお客様が、『私をトイレに連れて行ってくれたのは若女将さんだったんですね!』ご主人が『お前トイレに行ってたんか!?』そうです、私がトイレの若女将です。と3人で笑い合う。『本当に色々ありがとうございました。また来ます!頑張って下さい!』

14:10 お客様17名 多田屋スタッフ2名 運転スタッフ1名。乗り込む。やはり5名は乗れないか…。私は体育館に走り、先ほどの方に乗車は厳しい旨を伝える。頭を下げて【申し訳ありません…】頭を下げたまま、その方の目を見る事は出来なかった。もう一回り大きいバスを出した方が良かったのだろうか…。でも大きいバスだと道の状況によっては立ち往生してしまう。お客様を乗せて事故でも起こしたら…。多田屋のお客様が乗られるだろうMaxの人数だけで手配車両を決めてしまっていた。結局私も、和倉温泉でもう少し団結出来ないものか…と言う権利はこれっぽちもないではないか!本当に自分が嫌になった…。

14:15 バスのステップに立ち、社長が挨拶。次に私も挨拶。これもいつもの旅館の風景。無意識にバスのステップで挨拶をしてしまう。私はほとんど挨拶で噛むことはないのだが、噛み噛みの挨拶だったと思う。多田屋バスのエンジン音が力強く感じた。どうか皆さん気を付けて。スタッフ3人よ!絶対無事に帰ってきくれ!社長と二人で手を振ってお見送り、お客様もずっと手を振ってくれた。この先絶対に忘れられないお見送りになった。

辛辣な言葉を言うお客様なんて一人もいなかったではないか…。私はまた自分が嫌になった。多田屋に来て下さったお客様に対してなんて事を考えてしまったのだろうか…。

和倉の街を歩きながら社長と二人で帰る…。本当に春のようないいお天気だった。空が青く、七尾湾もいつも以上にキラキラしていた。だけど1月2日とは思えない全く誰もいない和倉温泉街、ゴーストタウンとはこのことか。

2024/01/02/15:19 スタッフの写真より
多田屋のフリードリンクコーナーからの風景
彼が震災後はじめて口にした食事だったんだと思う。

和倉の温泉街は私達が思うほどずっと悲惨だった…。

続く…

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