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能登半島地震における旅館の記録⑮

先日、多田屋スタッフは和倉小学校へお手伝に行くことに。小学校での学校再開に向けて、教室に避難されている方々に体育館へ移動して頂くお手伝い。体育館にある各旅館が地震当日持ち込んだ布団の移動。
テントの設置。ここでも多田屋らしさが。【布団は柄ごとに集めようか】【リレー方式で行こう!】【チーム多田屋!次はこっち!】自慢の団結力発揮。

テントの組み立てはお互いの呼吸が大切

PTA会長さんからお褒めの言葉を頂く。『従業員の皆様が避難所の方々を宿のお部屋案内をしている様でとても感心しました』と。そうだわ、私や他のスタッフも○○様のお部屋はどちらになりますか?お荷物をお手伝いさせて頂きますので、お掛けになってお待ち下さい。とお声掛けしていた。でもこれは私達にとっては自然な事。

チーム多田屋が和倉小学校でボランティアをさせて頂くのは当たり前の事。あの日、多田屋のお客様、和倉温泉のお客様を避難させてくれた場所。和倉の住民の方々の協力もあって出来た避難。感謝しかない。

各旅館さんのお布団がたくさんありました

ここで避難所になった和倉小学校でのドラマを紹介したい。多田屋ALLサポートスタッフの女性の記録だ。
彼女は多田屋スタッフ一同の言葉を代弁しくれている。あの流れるような美しく感動する文章は博学才穎な彼女が書いている。その彼女のドラマだ。

~多田屋ALLサポートスタッフの記録~
津波を恐れて⼭に逃げたお客様に、⾃分は多⽥屋の従業員であること、麓のスタッフが指⽰を私に⾶ばすので避難誘導の指⽰は私に従うように伝え、⼀旦落ち着いてもらうように努めた。⽬の前で凍えているのか恐怖からなのか、異常に震えている⽅がいたので制服のジャケットを渡しつつ、他に寒い⼈はいないか聞いて、インカム越しに⽑布と浴⾐が⼭側に来る情報を得て、それをお客様に伝達。寒さ対策のものが回ってきた時にも、お客様同⼠でバケツリレーをして回してくださった。そこから小学校に向かう⾞に乗り込むまでの記憶があまりない。
スタッフの誰かが避難所に⼀緒に⾏った⽅がいいという話になった。どういう流れで自分が⾏くことになったのか、うまく思い出せない。

内⼼すごく不安だったし、⼟地勘もなかったので、万が⼀避難所が危険な状況になった時に安全に別の場所に誘導できるかわからないという恐怖⼼はあったものの、お客様を不安にさせ、パニックにする⽅が危険だと考えていたことは覚えている。 ○○さんから何かあれば連絡するよう⾔われ、覚悟を決めて先発隊として⾞に乗った。 頭の中で後発隊と合流するまではこの⼈たちのことは守らねば、と腹を括り、避難所近くに到着。⽇はすっかり沈んでいた。ここからが恐怖⼼との⻑い闘いだった。

和倉小学校へ避難した人は
1400人を超えていたといわれている

あまりにも真っ暗だったので、スマホのライトを起動し、お客様の⾜元を照らしながら進む。⾞椅⼦の⽅もいたので、スロープで迂回しながらこちらに合流できるよう、途中途中で ⽴ち⽌まって全員ついてきているか確認しながら避難所と思しき建物を⽬指して歩く。「先に到着しているお客様がいるはずだから」と○○さんに⾔われていたのだが、⽇が沈みあたり⼀⾯が暗かったこと、そして他の旅館のお客様もたくさんいた上に、どこの旅館も浴⾐姿のお客様を外で待機させていた光景を⾒て、思わず「嘘でしょ…こんな状態で待っているの…?外で数時間もこうしていなきゃいけないのか…?」と呟いてしまった。

お客様も動揺し、⾔葉を失っていた。 自分と⼀緒に到着したお客様を⽬印になりそうな遊具の前に⼀旦誘導して、点呼を取る。そして、先に着いていると思われるお客様を探しに⾏くのでここを動かないでいてほしいと伝え、「多⽥屋にご宿泊のお客様はいますか?」、「多い⽥んぼと書いて多⽥屋のお客様いらっしゃいますか?」と、何度も叫びながら敷地内を巡回した。

お客様の協力あってこその避難

最初自分が体育館まで先導していたが、⾞椅⼦の⽅やご年配の⽅もいたこと、旅館の布団を持ってきているお客様もいたので最後尾に回ろうと思ったが、スタッフが自分しかいないことを思い出す。 おそらく困った顔をしていたのだろう。○○様御⼀⾏の⽅(美魔⼥な奥様の⽅)と⽬が合い、 ○○様ですよね?先導をお任せしてもよろしいですか?と伺ったところ「任せてください!!」とご快諾いただいた上に「こっちでーす!!」と引っ張ってくださった。その後もすごく協⼒的で気にかけてくださったので、本当に救われたし、ご⾃⾝も怖かったろうに助けてくださったのは頭が上がらない。どれだけ⼼強かったことか。

スマホを⾒ると、安否確認のLINEの嵐に緊急地震速報とエリアメールの通知⾳のラッシュのせいで、バッテリーが残り1%であることに気づく。 ―まずい、これはやらかしたかもしれない…⾮常に、まずいサァっと⾎の気が引き、頭を抱えた時、左⽿のイヤホンに気づいてインカムをつけたままであることを思い出す。研修の時に○○さんから「和倉温泉駅までインカムの電波、全然余裕で⾶ぶんスよね」と聞いていたことも思い出し、ひょっとするとこれで多⽥屋の誰かと通 信ができるかもしれない、と期待してインカムを⾶ばす。 「はい、事務所の○○です」と、統括部長の声が聞こえてきた時に⼼の底からホッとした。 これでひとまずここにいる⼆⼗数名が消息不明になることはない、と安⼼した。

君達はチーム多田屋にとって欠かせない存在です

旅⾏者以外の避難者も当然いたのだが、我々の隣に⼀画を確保したご家族が、○○様の⼀⾏の中に⼩さいお⼦さまとお年寄りがいることに気づいて厚⼿の⽑布を⼀枚貸してくれた。 優しさに⼀同で感謝を伝えた。
途中、各旅館のお菓⼦が配られはじめ、○○様一行も分けながら過ごしていた。 私が⽴って周囲を⾒回していると、そのお客様から「お姉さんもここ座ってさ!⼀緒にお菓⼦食べましょうよ!こういう状況なんだし、お互いさまでしょ!」「お姉さんはここ(和倉) に住んで⻑いの?地元?」と、緊張をほぐそうとしてくれたのか優しく声をかけてくださっ た。お客様が先に召し上がってください、というとお菓⼦をおひねりのように⼿に握らせるように分けてくださった。他のお客様⽅からも「少しだけになってしまいますが…」とお菓⼦を分けてくださった。
お客様からの優しさに触れた時点で張り詰めていた何かがプツンと切れてしまい、涙が出てきてしまった。慌てて涙を拭って、ちょっと外の様⼦を⾒てくるので、ここにいてくださいと伝え、外で⼀旦泣けるだけ泣いてきた。⼩さい⼦もぐずらず⼀緒にいる中、⼤の⼤⼈が ここでめげている場合じゃない、と気持ちを切り替えて体育館に戻る。

各旅館のお茶菓子が少しでも役に立ったならば

私は彼女よりずっと大の大人であるが、彼女のレポートをここまで読んで号泣した。旅館に待機していた私はただ、余震に怯えていただけ。
彼女に何もしてあげる事ができなかったのだ…。
避難所のドラマは大切にUPしていきたい。

続く…

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