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能登半島地震における旅館の記録②

前回の記事を書くのに6時間以上かかってしまった…。書いているうちに、本当に自分は無力だった事、何も出来ていなかったじゃないか!!
あの時こうすべきであった、もっと出来たことはあったのではないか…。
それすらも思えない。反省というより落胆…。
だけど、スタッフは素晴らしかった!
これは若女将の記録ではなく、多田屋の記録。
スタッフそれぞれに1月1日にどんな行動をとり、何を思ったのかをヒヤリングしている。まだ自分達も被災しながら旅館の事もしてくれるスタッフ。
1人1人にドラマがあるはず。それもまだスタッフ同士も知らない。それを今後、少しずつだが発信させて頂きたい。

2022/07/12/コロナ渦に行ったスタッフ同士の研修

ここで再び1月1日に…

19:48 輪島の旅館の若女将から着信があった事に気付く。七尾市でこれだけの揺れ、輪島はもっと揺れただろうに…。電話があった、つまり無事だという事だと信じる!

スタッフはこの間、旅館に残った組と避難所に向かった組に分かれた。社長と私は、旅館に待機。家族も今はバラバラになってはいけない。避難所ではなく、家族は自宅に待機。

避難所に向かったスタッフの証言は後日。
(すばらしい誘導の仕方だったのを記憶している)
旅館に待機したスタッフはたしか、3人1組に分かれてヘルメットをかぶりお客様のお部屋1つ1つを確認して、荷物をピックUPしていたはず。(危ないから3人でという発想だけではなく、貴重品をピックUPする際お客様への信頼を絶対に裏切らないようにする為の行動だった)このあたりも、後日記事にできればと思う。

19:55 状況をニュースで確認しようと一旦自宅に戻る。(旅館から自宅まで徒歩30秒)

輪島の火事 北國新聞より

なにこれ…。どこの映像?輪島の朝市!? どういう事??

19:58 着信があった輪島の若女将に急いで電話をかける。お願い出て…お願いだから出て!!手が震える。出た!【大丈夫??】大丈夫なわけないのに、私は何を言ってるんだ?『大丈夫じゃない…ダメだ…』ダメってどういう事??お客様は?『お客様もなにも、旅館が高台にあるからみんな津波を警戒して逃げて来ている。何百人もいるし混乱して…。』その後の会話は覚えていない。
【絶対に絶対に無事でいてね!】

 2024/01/01/20:34 

この間もずっと余震は続く。
20:35 石川県能登地方 5弱

2024/01/01/20:42 柱時計起こしたら16:10のままなのか…

21:00頃、避難所からインカムで連絡が入る。
『○○様大人様11名お子様5名、自宅に帰りたいと申し出があります!』自宅に帰る?大丈夫なのか…。でもその気持ちもすごく分かる。
ダメです!と止める権利は旅館側にもない…。
さっきの揺れも大きかったし、本当に怖いだろうな。
災害本部のトップを任された統括部長も苦渋の選択だったに違いない。
『時間がかかるかもしれませんが、多田屋から避難所に迎えに行きます!館内スタッフは○○様の荷物を確認して!』フロントで着替えてもらう事になるからと、どこからかパーテンションを持ってきたスタッフ。こんな時にもなんて気が利くのだろう!どんな時であってもスタッフ1人1人のおもてなしの心が自然と出ている姿を見て本当に感動した。恐怖と感動の気持ちがごちゃごちゃしていた。

21:04 石川県能登地方 3
21:13 石川県能登地方 2
21:17 石川県能登地方 2
21:20 石川県能登地方 4
21:23 石川県能登地方 2

余震が多すぎる…。ここまででYahoo!記録を確認すると40回以上。
震度2でも怖い。建物が変な音を立てる。
ギシギシッ!メリッメリッ!ミシッミシミシミシ…。
怖すぎる。風の音ですらスタッフみんなでビクビクする。座っているのが怖すぎて、とりあえず立ってるしかなかった。普段、女帝のように旅館の椅子に踏ん反り返っている私ですらずっと小刻みに意味不明な動きをしていたと思う。

22:00頃 ○○様ご家族皆様が、車3台に分かれて多田屋を出発される。女将と社長と私でお見送り。『多田屋さん大好きだからまた来るよ!』
なんて温かい言葉…。1年で1番大切であろう家族の時間がこんな事になってしまい、本当に申し訳ない…。自然災害とはいえ、女将も社長も私も、頭を下げる事しか出来ない。多田屋をお正月の宿泊先に選んでなければ…。こんな怖い思いをさせる事はなかったのに…。本当にごめんなさい…。

20日経つ今もフロントにおいてあるお客様の浴衣

なぜ私が、1月1日のお客様の様子をそれなりに詳しくお伝え出来るのか。
それは、災害本部3人組がすべて情報をデーターに残していたからである。
細かい情報を丁寧に残してある。事細かくお客様の状況を避難所からインカムで伝えていたスタッフはもちろんの事、それを集約し、簡潔にまとめておいてくれていた。

お客様避難状況整理名簿の1部

当日チェックインされていなかったお客様、避難前に帰宅されたお客様、和倉小学校に避難されているお客様、荷物があるのに不明!?(これは後に、駐車場に避難した後、旅館側に帰りますと伝えて下さっていたのに、当館が把握出来ていなかった事が判明)。これらのデータが、1月2日以降の私のやるべき事に非常に役に立つ事になった。20日経った今も、お客様のお荷物の郵送の手配や、返金対応には欠かせない資料となっている。
1月1日の記録はまた後日UPします。

1月20日現在
七尾市は断水中。あと2ヶ月はかかるとの情報も…。2ヶ月か…。本日、完全防備をして館内を歩いてみた。
(ヘルメット・携帯・インカムは震災後から必須アイテム)こ、怖い…。なんだこの段差は…。少しの音でもビクっとするので、音楽を聴きながらじゃないと怖い。館内をいつも猛ダッシュしたり、早歩きしている私が、そろそろとしか歩けない。ソロソロ歩きだからこそ見えた旅館の景色もあった。

暗く寒い中咲いていた とても黄色が綺麗だった 

私は普段、お花を愛でるタイプではない…。
でもお花を見て色々考えてしまうのは、旅館は元の形には戻りそうにはないと日に日に実感するからだろうか…。そして、当日のお客様の緊迫した状況が分かる雪駄を見つけた。本当に怖かったと思う。捨てるのは簡単かもしれないけど、自分のデスクの下に置いておく事にした。

本当に怖かったと思います

続く…

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