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起業をするにあたって、この人の話は外せないその2*私の母の話


食は全ての基本

まぁぁぁ、うちの母も色々と逸話の多い人で、どこからお話ししようか迷ってしまいます!
まず、うちの母は感が良いというか、野生の嗅覚を持ってるとでも言うのかな?

私が幼稚園位の時か、もう今から40年以上前の話ですが、その当時の父の体調があまり優れなかった時期があったようで、母が色々と考えた所、その原因は日々の食事にあるのではないか?と思い、東京まで自然医学の森下敬一先生の講演会を聞きに行ったようです。

その日を境に、うちのご飯の全てが変わりました。
今だからビーガンとかベジタリアンとか普通の世の中になりましたが、
その当時玄米菜食してる家庭なんかほぼ皆無。
皆のお弁当はカラフルで綺麗なんだけど、うちは茶色と緑オンリー(笑)
タコのソーセージなんてありません!
卵が黄色じゃないか!と思いますが、お砂糖は白砂糖は禁止で使っても黒糖(ほぼ料理に砂糖は不使用)とかなので、全てが茶系か緑系になる訳なのです。

その後、桜沢如一先生の本を読みまくったり、桜沢先生の奥様のリマクッキングスクールのマクロビオティック料理を勉強したりして、それを実践して既に50年近く?なもので、異常な程健康なのです。

うちの母が病院に行った記憶があるのは、買ったばっかりのおNEWのゴルフボールを追いかけてOBを駆け下りて行って、すっ転んで前歯を2本折った位でしょうか?(笑)
その歯が唇の下の皮膚を。。。って続きもありますが、オゾマシイ話なので止めておきます。

両親は同級生夫婦

お医者さんの家族は内科とか外科とか色々な科があるのもあって、自由に自分の好きな病院に行けるのですが、歯医者の家族は、自分の家に行かなくちゃならないんですよね~。
この時も、ほーれ見た事か!って言われるので、お父さんの所にだけは行きたくないのよね~と嫌がっていたなぁ。

なにせ、うちの両親驚く事に小学校も6年間同じクラス、中学校も一緒、高校は1高と2高で離れたけど、その後出会って結婚したと言う、知り合って75年以上!?と言う驚きの二人なので、夫婦であって時にライバルになったり(骨年齢などを競い合う)いがみあったり、色々とするのです。ケンカなんかしょっちゅうですよ!

こんな感じの母ですなんて書くと今までの部分だけ読んだ方は、すごいまともな母に感じちゃってると思いますが、実はそうではありませんのよ。。。

母の色々な伝説

まず、お転婆でハタチ位の時には既にバイクの中型免許?当時は大型??を持って、ふっ飛ばしていて、膝には未だに転んだ時の石ころが入っていますし(60年前ですよ!そんな人います!?)、私的衝撃だったのが、海で人に慣れてる熱帯魚が母の近くに寄って来たら、両手で掴んでそのまま(生きたまま)半身食べた。。。
周りが悲鳴をあげたら、残った半身を海に返してた(涙)泳いでたけど、、、

タイの山岳民族(カレン族とかアカ族とか)の、電気も何もない村に2ヶ月だか3ヶ月だったか?住んでました!しかも初タイ(笑)
普通の人は山岳民族に会いに行くオプショナルツアーとかですよね。
うちの母の場合は、タイの山奥にプチ長期滞在。。。です。
素朴な農業仲間でさえちょっと堪えた山奥での生活、、、うちの母は何事もないようで、楽しそうに生活してたそうです???

また、夜中に電話が掛かって来てなんだろう?と思ったら、高速の脇道で酔っ払いの車に真横から当て逃げされて、車は廃車になったものの、本人擦り傷一つ無し。はぁ~?と思いました。
まぁ、何と言うかかなり普通とは違うスケールの何かを持ってる人でもあります。話はじめたら1冊の本が書けそうなので、この辺にしておきます。

で、その健康食を始めた話から、色々な方面に飛躍して、自分で無農薬から始まって、最終的には自然農と言う有機肥料すら使いませんと言う
農法を愛媛まで行って勉強しておりました。
やるとなったら、とことんやっちゃう没頭タイプ!?

母たちにまつわる、私の兄弟の事

私たち兄弟が学生だった頃から、うちは全てが普通の家庭と違っていたのだけど、学校に上がってからすごく覚えてる事は通知表を見せろと言われた事がなかった。
皆その日になると、どうしよう?とかお友達がソワソワしてるんだけど、大学を卒業するその日まで一度も言われた事がなかったので、何とも拍子抜けな学生生活だった。
子供の成績なんて、興味なかったんだな。あの夫婦は、、、

私には、すぐ下の弟(なんとほぼ1年違い!)と妹が居ますが、弟は私立の医大に行ってたのだけど6年間の大学生活のちょうど途中位だったか?学校辞めて漁師になろうかな?と言い出した事があった。
普通の親なら、せっかく大学まで入ったんだからと怒りそうなもんだけど、うちの両親の反応は漁師?良いんじゃない!?なれば!!と本気で言ってた(汗)
そう言われると、言った本人がはっ!?と思い直す事を、私は知っております(笑)

そして、無事に外科のお医者様になった我が弟も、かなーり(血は争えないなぁ)ですが、ネット民ですので、割愛して遠慮しておくことにします。(両親がこの文章を見つける事はほぼないはずと思って色々暴露中)

その弟がぼそりと言ってたのは、お姉ちゃんと自分と誕生日がほぼ1年違いって(しかも母は、私がへその尾を首に巻いて呼吸停止状態になってしまったので緊急帝王切開)、普通の女性ではあり得ないよな~と。
そして、その時もなんと!お腹を切られた状態で麻酔が切れたにも関わらず、痛い~と叫んだら当時の国立病院(私が通った椿森中の目の前にある)の看護師にいい加減にしなさいーっ!と怒鳴られたらしい。要は無麻酔で開腹手術である帝王切開の傷口を縫われた訳です。今なら、医療訴訟だよ~!
いい加減にしなさいは、病院側だよな~っ。

そんなトラウマがありながら?(トラウマにはなってなかった!?)その1~2ヶ月後にはまた妊娠な訳です(汗)
1年とか2年生理が来ない人なんてざらなんですけどー???
この時はドクターに、当面妊娠しないでくださいね~と言われて、恥ずかしいのでって事で弟の妊娠検診の初診日は7か月を過ぎていたそうだ!?

家族も知らなかったんだけど、母が弟の奥さんに母子手帳を渡した事で判明(笑)

弟は果物好きで3歳位から誰もやってくれないので、一人でリンゴなどの皮を包丁で剥きながら、包丁を口の所に持って行って食べてた訳なのだが、当時の千葉大付属中学受験の際に、驚くなかれ!!リンゴの皮むきテストと言うのがあったんだそうな!
当然、リンゴの皮むきだから、全受験生の中で一番早く、一番綺麗に剥けちゃう訳で(笑)それで受かっちゃった???と言う噂があった。笑笑

そして現在

そして、一番普通に生活して来た妹が一番下にもおります。まあ、この二人に育てられて来た私たち兄弟3人は、何だかんだ言っても人に迷惑を掛けずに生きている。
放任主義の最高峰だったと思うけど、野生の(笑)感が鋭くなった事と、サバイバル生活に耐えうる根性!?私なら出来る!とか何とかなる~っ!とか全く根拠の無い自信がやたら湧いて来るようになった(笑)

母は常にぽっこわぱ~っ(ポッコワパ農園と言うフランス人と日本人のご夫婦の所にも良く行ってた模様)って言ってたんだけど、インドネシア語だと、ティダアパアパみたいな意味なのかな!?
常にテキト~なのが、適当なのよ!と自信あり気に言っておりました(笑)

私の持論ですが、子供は構い過ぎない方が良い子が育つと思っております。
うちの娘、私が構わな過ぎて、完全バリ人化して来てるーっ、これもまずいじゃないか~~~っ!

続く wakana




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