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つらい時、それはいつかきっと成長のバネになる


最近はコロナの話題で持ちきりですね。

誰もが、「これいつまで続くんだろう」「仕事への影響はどのくらいあるだろうか」とめちゃくちゃ不安に思っていると思います。

私自身も、会社を立ち上げてすぐにこんな状況なので、もちろん不安がないこともないです。

なのですが、不安を感じていても仕方ないので、よくつらい時に「このつらい期間、考えてもがき続けることが、いつかの成長のバネになるんだ」と思っています。

こう思うのは私自身の経験が関係しています。


〜〜〜


基本ポジティブでハッピー野郎な人間なのですが、実は昔そうではない時期がありました。中学2年生のあたりです。

中学で進学校に入ってしまった私は、勉強が全くついていけず、成績が底辺でした。優秀と言われた小学校までの成績から急降下で、本当にやる気が無くなりました。

毎日学校に行って帰るだけの日々で、勉強を全くやっていなかったので、授業は殆ど聞いていないし、宿題なんてキレイにやっていったこと殆どなかったです。とにかく自分のいる場所がないような感覚で毎日がつまんなすぎて、友達には良い顔してそれとなく過ごして、親とはほとんど口を利かず、先生とも口を聞きたくなくて、どんどん閉ざしていきました。

家に帰るとぼーっと天井を見ていて、涙が出てきて、このまま死んでも誰も悲しまないよなーなんて思ったりしていました。すごく辛かった。



そこから私が取り戻していけたのは、同じく成績は底辺なんだけれど、超明るい友達が「体育祭でソーラン節企画してやらへん?!」と誘ってきたことが始まりでした。当時うちの体育祭ではオーディションに勝ち抜けば、だれでも体育祭の枠をもらえる自由企画の枠がありました。

面白そうだと思った私は乗ることにしました。2人だったところからメンバーを集めて、構成を考えて、振り付けを考えて、みんなに教えて、オーディション受けて、地元の町内会からハッピをパクってきて。最後は60人で体育祭で踊ることができました。学校で、初めて自分がいる意味を出せた瞬間でした。

それから私は、自分が価値を出せることをどんどん見つけにいくようになりました。普通に戦ってもここで勉強で勝つことはできない、だから、自分は何ができるのか?どこが強みなのか?どこで価値を発揮できるのか?を探しに行くようになりました

大学になり、社会人になっても変わらず、探し続け、本当に色んな経験をした後に、起業を選択しました。

この選択に全く迷いはなかったし、最も社会に価値を発揮できるのでは?と思っているからです。

だけど、もし私はあの中学生の時に、普通に良い成績が取れて、それなりに満足していたら。
自分がどこで価値を発揮できるかなんて考えずに、普通に就職して普通に過ごしていたかもしれません。そう考えると、今のほうが全然充実していて良いな。


だから、つらい期間はつらいのだけれど、その中にはきっと気づきがあって、きっといつかの将来の成長のバネになる、と思っています。



後記)
絶望的な中学時代、唯一楽しかったのは、授業中にケータイでHTMLを書いて友達とのサイトを作ったりしていたこと。当時それはコソコソやらないといけないことだったけど、誰か大人が、勉強しないでそれ極めたら良いよって言ってくれたら、もしかしたらまた違ったかもしれない。そんな大人に出会いたかったなと思うし、今はそんな大人になりたいなと思う。
そのとき、本当に相談できる人すらいなかったのだけれど、もし、今そんな人がいたら、ミートキャリアは気軽に頼ってもらえる存在でもありたいと思います。


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