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「好き」だけで働くわけではない

突然だけど、好きなアーティストのひとつにYOASOBIがいる。ikuraちゃんもAyaseさんも好き。よくYoutubeでLIVEを見たりしている。

ふたりは一作目の「夜に駆ける」で爆発的にヒットし、リリースから1年で紅白歌合戦に初出場した。たったの一年で瞬く間に日本を代表するアーティストになった。この数年で一気に生活が変わったのだろうか、どれほどの期待やプレッシャーがあるのだろうかと勝手ながら考えてしまう。

だけど、LIVE等で見るふたりはいつも楽しそうである。ちょっと音を外したり、リアルLIVE慣れしてない感を感じることもあるが、そんなことよりも楽しそうにしている姿を見て、見ている側もとても元気が出る。こなれさじゃなくて、楽しそうなふたりを見たくて見ている。

なんかのインタビューで見たことだけど、Ayaseさんはどうやら曲作りが大好きすぎて一日20時間くらい没頭しているらしい。そこまで没頭できることが才能だよなと思うし、そんな才能があったら良いなと思う。

自分はそれじゃないなあ、そうならないといけないなあという暗黙の縛りに悩まされていた時期がしばらくあった。
だけど、「正直、別にパソコンに向かっている時間・作業してる時間、楽しくなくね?」「楽しいってどんな感情?」「極論、自分が手を動かさずとも目指すビジョンが達成されたらよくね?」と思っていた。

思い返せば、自分の人生で最も自分らしく価値を発揮していて、最高に輝いていたと感じる時期は、一度も「楽しい」とか「好き」の感情で突き動かされたことはなかった。一方で、目標が明確で、その達成が自分にとって必須であるという条件が揃うと、周りの進捗がどうでも良くなるぐらい自分の目標しか見えなくなった。そのときが、一番輝いていた。

目標を達成するまでの道のりは、正直つらいことのほうが多い。目標はあるが、手が届くかどうかは分からない、努力が報われるものなのか分からない。その不安を感じながら、必死にやることで自分の手で不安を拭っていく。そんな作業である。

だけど、そうして高い高い山の頂上を目指して、目の前の足元を見ながら着実に前に進んだときに、ふと振り返ったらこんなに高いところまで登っていたんだと感じることがある。それが喜びになる。

いま仕事をしていても、自分が好きかどうかは正直どうでもよくて、ビジョンが達成することに必要なことは嫌いなことでも何でもやるという気持ちで取り組んでいる。そして、今冷静に思い返せば、私ひとりの課題提起から始まった事業で、「人生が変わった」とまで言ってくれるユーザさんができ、関わってくれる仲間は100人を超えた。これがビジョンの実現を表してくれる小さな指標のひとつであり、私の喜びになっている。

そんなことを思っているときに、先日北京オリンピック後にインタビューを受けていた羽生結弦選手がとても印象に残った。

彼はずっと悔しそうだった。金メダルを目指していて、周りもそれを期待していたし、計り知れないプレッシャーも抱えて演技していたと思う。怪我をしたり、挑戦が成功しきれず終わってしまったり、本当はたくさん思うこともあっただろうに、インタビューでは感謝の言葉や応援に答えたい気持ちがよく並んでいた。

スケートのことを嫌いになることはたくさんありますし、フィギュアスケートって何だろうとよく思います。僕自身が目指しているものがフィギュアスケートなのかも考えます。

(中略)

色々な方々から「良かった」という声を頂いて僕は幸せです。僕は皆さんの為に滑っているところもありますし、もちろん僕自身の為に滑っていることもあります。

(中略)

僕も挑戦をすごく大事にしてここまで来ましたが、皆さんもちょっとでもいいから「自分は挑戦していたんだな」と自分のことを認められるきっかけになっていたら嬉しいなと思います。

全文はこちら

目標があって、それに挑戦して、やっている間はつらいことも多い。だけどなにか成果が出たり、だれかに良い影響が出たときに、自分のことを認められる。振り返って幸せだったな、と思える。そんなことを言語化してくれている気がした。

このインタビューを見て、私は今とても幸せだなと感じた。

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