備忘録その2;20180908(via Tumblr)

最近、自分がいやに女臭くなってきた気がするから恐ろしい。今日バッグに忍ばせた文庫本は川端康成の『女であること』だったし、先週からベッド脇のテーブルに置いてある本は谷崎潤一郎の『細雪』。ある人から忘れ難い言葉をもらって以来また髪が伸びてきたし、気がついたらネイルポリッシュはフェミニンなピンク(ああピンクだなんて!)を選んでいる。あれだけ心の核にいたホールデンとは一線を画して、いつからかフラニーと必要以上に同調して、ズーイの説教にクリネックスが手放せないでいる。何年か前はユニセックスな香りが好きだったけど、今やジャスミンやローズを身につける始末…。

いや、本当は恐ろしくも嫌でもないんだと思う、むしろ気分がよくなったような気もしているくらいには。

小さいころ、『若草物語』や『大草原の小さな家』、さらに『赤毛のアン』とか『あしながおじさん』なんかも勧めてくるママの女の意識が大嫌いだったけれど、気がつけばそれらは進んで読んでしまったわたしがいて、つまり遅ればせながら女の子であることの意味を考えるようになったと言えるのかもしれない。どう考えても遅すぎるその意識の変化を語るには、女子校時代のバックグラウンドが欠かせなくて、今はもう無き(共学になった)馬鹿で大嫌いな母校に想いを馳せる。そういえばいつだったか、誰かに共学のススメを説かれたことがある。「世界の半分は異性なんだから、ティーンエイジから異性とのやり取りを学べる共学のほうが賢い選択だ」。しばらくこの意見に影響されてわたしも共学推しだったけれど、最近ママにこのことを教えたら見事なまでに反論された。「一部の女の子は、男性社会で認められる女性性を実践しようと必死になるしかないのよ。そんな環境じゃあ個性なんて二の次よ。その点、女子校なら〈女性〉に惑わされず〈自分〉を発揮できる環境でしょう。女子校ってのはそのためにできたのよ? アナタなんかいい例なのになんでわからないのかしら、本当に馬鹿ね」。

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