Three years left to be 而立

昨日の仕事の帰り道、夜風にあたりながら電車を待っているホームでひとり、何となく毎年記録している備忘録のことを考えていた。去年、一昨年はクォーター・センチュリーがキーワードだったけれど、今年は而立をテーマに記録したいな、ということを。きっと、来たる三十歳にむけて思うことが増えてきたから。

孔子や村上春樹が三十歳になってから人生の方向を決めなさいと言っていた。それまでは頭をぶつけながら、様々なことを試してみてもいいのだと。先生は言っていた。「社会に立つ人になってほしいんだよ」と。パパは言っていた。「自分の中で、これだけは誰にも、という何かを大切にしなさい」と。

年明けまで落ち込んで過ごしていた。わたしの多くのことがぐらぐらと揺れていて、透けて見えなくなりそうだった。悲しみがいたるところで満ち溢れていた。これまでこんなに心がすり減ったことがあったかしら、と思いつくかぎり記憶を遡ってみても、さすがにここまではないよなあ、と思えるほど傷ついていたのだ。そしてこれまでに多くを救ってくれた数々の小説たちは、本棚でずっと静かに沈黙していた。

でも冬が終わり、春の匂いを嗅ぎ、夏の強烈な日差しを浴び、また少しずつ夜が長くなってきたころ、危機はわたしのもとを避っていた。そして再びわたしが本棚からお気に入りの物語を手に取ったとき——語り手の声が聞こえて心が動いたとき、そんな自分に気がついたとき——、わたしは文字通り涙が出るほどほっとしたのだ。ああ、よかった、わたしはやはり本が好きだ、それだけは絶対にインチキなんかではない、本当のことだったのだ、と。文学を学びたいと思って大学に行ったこと、もう少し先生の授業を受けたくて修士に進んだこと、本に関わりたいと思って出版社に勤めたこと、何より、数々の物語や言葉の出会いに心の動きを感じ、それに対して考えることをやめなかったこと。それらすべてのことは、わたしがちゃんと内なるわたしの喜びに向き合っていたしるしだったのだ……。

パパや先生が言っていたことを思い出す。そのときだって彼らの言葉に真剣に向き合っていたつもりだったけれど、一つの大きな危機を後にして、それらの言葉がわたしの身に迫ってくるようになった。

絶えず変化する人間や社会のなかで、その都度アップデートしながら立ち位置を決めていかなければならないのは難しい。実態がなく不安定でカオスな社会を二本の足で渡り歩くことは痛みを伴い、とてもとてもしんどいことだ。

でもだからと言ってずっと歩き続ける必要なんかない。先生は言った。「階段の踊り場で立ち止まって、そこに咲いていた花を愛でることは時間の無駄ではない」。パパは言った。「人生は長い、休んでもいいんだ。でもそのかわりその間も自分にしかない何かを大事にすること」。

内なる自分をまなざすこと。自分の軸を培うこと。それらが何に喜びを感じるか、それを持続的に実践するには何をしなければならないのか、と考えること。

それができるようになるのが、而立の年を迎えるということなのかもしれないと気づく。果てしない道のりで気が遠くなるけど、幸運なことにまだあと三年ある。また来年の今ごろ、今と同じように而立を迎えるのが楽しみに思えるような過ごしかたができているといい。

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