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不登校の話①

人見知りの激しい子どもだったと思う。
親の後ろに隠れて、言いたいことが言えずにもじもじしていた。ポイズン。
けれど気が小さいというのも違った。
男兄弟がいたせいか、男の子ともケンカしたし、絶対に負けてやるものかとむしろ気が強かったと思う。

不登校というか、保育園の頃からあまり通っていなかった。
月の半分くらい通って、あとは休んでいた。
男の子にからかわれたり、ケンカしたりしたけれど、同じくらい仲良く遊んだ覚えもあって、なぜ保育園を嫌がったのかは幼すぎて覚えていない。
それでもどこかでストレスを感じていたようで、周りの大人が「小学校は楽しい所」と言うのを期待して、早く小学校へ行きたいと思っていた。

期待して入った小学校だけれど、私にとっては苦痛の場だった。
学校に馴染むため、クラスメイトと仲良くなるために入学当初はレクリエーション的が授業が多いが、“校内を探検して見つけたモノを発表しましょう”と担任に言われた時は「なんてひどい事を言うのだ」と思った。
入ってはいけない所に入ったらどうしようとか、何を発表したらいいのかとか、笑われたりしないだろうかとか、小さい頭はいっぱいいっぱいだった。
周りは楽しそうだけど、全く楽しくなかった。
他にも、“自分の名前を書こう”という内容の授業があって、1年生だからひらがなが書ける子と書けない子がいてみんなそれなりに時間がかかっていた。
私といえば兄に教わっていたのでさっさと名前を書いてしまう。
そこからが困った。やることが終わった私は何をしたらいいんだろう? と。
周りはみんな真面目にプリントと向き合っているし、とても静かで音を出すのは憚られる。
身動きの一つもして音を立てたら、みんなの注目が集まってしまうのではないか?
先生に終わったと伝えたいけれど、声を出しても注目が集まりそうだ。
この密室から外へ出たい、手をあげるのも声を出すのも怖い、もしトイレに行きたくなったらどうするんだろう? どうやって先生に助けを求めたらいい? と、頭は大混乱だった。
声も出せず、身動きもできず、机と椅子に縛り付けられている気分だった。
結局、授業が終わるまで待つしかなかったのだが、未だに覚えているからそれなりにトラウマだったのだと思う。

とても苦しんでいる様に書いているけれど、楽しかった部分もあるはず。
それでも通えていたのだから、たぶん。
友だちはいた。学校が配慮してくれたのか、同じ地域の子もいたし、同じ保育園の子もいた。
積極的に話しかけることは出来ないけど、向こうから話しかけてくれれば会話もできるし、笑って過ごす時間もあった。
割合で言えばストレスの方が多かったみたいで、限界は早かったようだ。
学校に通った期間がどれくらいかは確かじゃないけれど、短かったんじゃないかな?
私は覚えてないけれど、母が言うには真っ青な顔をして「学校に行きたくない」と言ったらしい。
あまりの顔色の悪さに、“これは学校に行かせてはいけない”と思ったらしい。
そこから私の不登校が始まるのだけれど、素早いスタートダッシュだったな。
これには理由があって、保育園の事もそうなのだけど、兄が先陣を切る形ですでに不登校をしていたから。
兄、私、弟の3兄弟なのだけど、見事に3人とも不登園、不登校だった。
不登校=イジメと考える人もいるでしょうけど、そんなことないんですよ。理由は色々ある。
私を含めて兄弟はイジメとか無かったし、むしろ周りは良い大人や良い子がたくさん。
“じゃあなぜ不登校になったのか?” と聞かれたら、「わからない」としか答えられない。
学校が嫌いだったわけでも、イジメられたわけでも、勉強が嫌だとか、体調のせいでもない。
昔はそのことで悩んだこともありました。


社交不安障害というものを知った今思うと、“気質に合わなかった”って事かなー?

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