誰かに”自分”を話すこと(30.4.6)

ここを更新する前に、
思い浮かんだことをWordでメモする。
それがまとまってきたら、
削ったり言い換えたりする。
これが私の言葉の作り方なのだけれど、
今日は一向に完成しない。

思い浮かぶ事柄はいっぱいある。
ただ、今日言葉になることは
まだ誰かに話す勇気がないことばかり。

思い返せば、私は”自分”に関して
誰かに話すことはあまりなかった、と思う。
それに人の話を聞くことの方が好きだった。
自分に自信がなかったからだし、
そしてきっと楽だったから。
しかし、私は社会人になってから
自己開示するように努めている。

小学生の頃から、
自分について話すことは
恥ずかしいことだと思っていた。
学年集会で先生の話を聞きながら、
「よくこんなに大勢の前で
自分の話ができるよなあ。
プライベートの自分を知っている
同僚もいるだろうに」
と思うような子どもだった。

今、わたしが自分の話をできるのは、
親世代のパートさんを中心に
年上しかいない環境であり、
しかもみんながとてつもなく優しいので、
何を言ってしまっても
受け止めてくれる安心感があるからだし、
人が話すのを聞いてばかりでは、
人生を通して
”続く”関係になれないようだと
気づいたからかもしれない。

ううん、それとは逆で
”職場の人”という
限定的な肩書きがあるために
必要以上の気を遣わなくて済むと
思っているからかもしれない。

甘えた自分だなと思うけれど、
今までの隠れていた自分より
愛着があるし、
何より、自分で思っていたよりも
聞いてくれた相手を好きになっている。

卒業や転校など、
別れのタイミングで泣いたことなんて
今まで一度もなかった。
それなのに、このあいだ、
転勤する先輩を見送りながら泣いてしまった。

自分を知った上で
かわいがってくれた人が
いなくなってしまうのは
こんなに寂しいことだったんだ。

いつか、
今日思い浮かんだことも
勇気を持って話せる日が来るといいな。

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