「世界史替え歌を読む」第1回 「ちがう!!!ドイツ版」から考える歴史の視座part4

替え歌リンク


ベルリン封鎖の顛末

一方、西側諸国もベルリン市民に寄り添う姿勢を見せた。アメリカは「空の架け橋作戦」ことベルリン空輸を実行。6月末より15ヶ月間で27万回、総輸送量183万トンもの物資の空輸に成功し、ベルリン封鎖は有名無実となった。替え歌での、「今夜はそっと回廊でジェット」とはこのことである。しかし、この一連の出来事によりドイツでは東西の対立が決定的となり、1949年にドイツ連邦共和国(西ドイツ、BRD)とドイツ民主共和国(東ドイツ、DDR)に分裂した。
ここで注意したいのは、1961年のベルリンの壁建設以前において、封鎖時期以外でソ連管理区ないし東ドイツと西ベルリンの往来は規制されていなかった点である。替え歌でも「パッと自由の島(西ベルリン)へ行こ?」とアレンジされていたように、西ベルリンで働き、東ベルリンで暮らすようなことも行われていた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?