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clubhouseを聴いていて思うこと


ちょっと「怖いな」という感覚があったので、記録として残しておこうと思い、書き始めた個人的な雑観です。

clubhouseがなんなのかよくわからないうちに、流行に敏感な私の周囲が盛り上がりをみせ(マスコミ人あるある)、招待され、なんとなく始まった、というのが実のところ。どんなものなんだろう?と覘いてみるも、ちょっと苦手な感じ(笑)。

というのも、ラジオみたいなものだなぁというのが第一印象だったから。自分の興味のありそうなチャンネルに合わせるような感覚。でも、自分のことを棚に上げていってしまうと、モデレーターの喋りの巧さがあるかどうかで面白くも、つまらなくもなるなという・・・誰もが喋れるツールだからこそ、そこは如実に出てしまうのも事実で。

中学生の頃、ラジオを聴くのがちょっと大人になった思春期男女のステータス的な部分があり、友だちに勧められて、あまり興味がなかったものの、ラジカセを買ってもらい、夜な夜な聴いてみることに。でも、もともとあまり音楽に興味がもてなくて(音楽のセンスが皆無…)、ラジオを聴くのが楽しめなかったという経緯がある。


というのも、本が好きだったので、「無音」の世界でただひたすら本を読むのが至福の時間で・・・音があると、そっちが気になってしまい、本に集中できなかったのだ。今でも無音の世界が好きで、ひとりの時間はテレビもつけず、ラジオや音楽を流すこともなく、無音の中でひたすら原稿を書いたり、企画を考えたり、本を読んだり。

つまり、私には「音」があまり向いていないのだ。だから余計に思うのかもしれないけれど、clubhouseを聴いている時間が勿体ないと感じてしまうのだ。ながら聴きというのができないタチなので、音に集中してしまうから、そのほかのことが手につかなくなる。あっという間に時間が過ぎてしまうから。
ただ唯一、毎朝行われている栄養学のroomがあって、無料でこんなことが聴けちゃうんだ!と感動して、毎朝欠かさず聴いているものもある。でも、基本的にはそれ以外はいいかな、と思っている。

まぁ、そういった「音」が苦手というのは私個人の性質によるものなのだけれど、それ以上に怖いと思ったことがあって。それは何かというと、ツイッターが出始めたときにも思ったのだけれど、自分の興味のあることしか目につきにくくなるということ。

ツイッターも自分が好きな、興味のある人や企業などをフォローしていくので、自分のタイムラインには、自分の思考や嗜好と似ている言動が集まってくる。それは確かに心地いいし、テンションが上がるときもあるし、興味あるジャンルをもっと広げてくれたりもする。けれど、それだけで世の中が構成されているように錯覚してしまう怖さがあることに気づき、正反対の意見をいう方だったり、自分が興味なくても話題の企業、人などもフォローし始めると、驚くほど、自分のタイムラインが偏っていたことを目の当たりにした。

あぁ、もしかして人はこうやって錯覚していくこともあるのかもなと気づけたのは、私にとっては大きな収穫だった。それが、今、clubhouseでも同じように感じられるのだ。いい、悪いのジャッジは置いておいて、自分の興味、意見と同じものばかりを求め続けるのは世界が狭まるんだなぁと、単純に思う。

もちろん、情報交換に役立ったり、勉強になることをシェアしてくださったりしているroomもあるので、全部が全部時間の無駄ということではないので、そこは強調しておきます。


ただ情報が偏ることの怖さは知っておいてほしいなと。


今、風の時代に入ったと言われ、個の時代とはいえ、世の中を客観的にみる目は必要で、どう流れているのか、自分とは違う意見にはどんなものがあるのか、それはすべて否定してしまいたくなることなのか、共存することは可能なのか、どうしたらお互いに存在を認められるのか、そんな風にみんな違ってみんなよくて、どうしたら世の中が住みやすくなり、子どもたちに希望のもてる未来を残せるのか、是か否かではない世界になっていくといいなぁと心から。


また、もう少しclubhouseに慣れたら? 落ち着いたら? また違った見方ができるのかもしれない。その変化を感じるのも面白いのかもしれない。また、そのときは改めて。




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