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「ラブライブ!スーパースター!!」 第3話 感想戦

 どうも!おはようございますからこんばんわ!まで。


 五輪憎し(# ゚Д゚)な如く、飛ぶに飛びましたがようやくラブライブスーパースターの3話が放送されましたので、早速感想戦を始めていきますよ!!

1.ストーリーの概要

スクールアイドル活動を続けるには、地元の代々木スクールアイドルフェスで1位を取らなければならない。千砂都と可可は、人前で歌えないかのんが歌えるようになるよう、あれこれ試すが、結果は出ない。落ち込むかのんに可可は、今回のライブは自分一人で歌うから、一緒にステージに立ってと、笑顔で励ます。そんな中、かのんたちが出るイベントに、全国屈指の強豪グループ「サニーパッション」が参戦する知らせが入ったのだった。(引用: https://www.lovelive-anime.jp/yuigaoka/story/ )

2.自責

 緊張から歌えない自分を責め可可の夢をぶち壊してしまうのではないかという不安からかのんが涙を流しながら打ち明けるシーンがあります。(下図)

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 実際、自責という言葉をgoo辞書で調べてみると次のように出てきます。

自分で自分の過ちをとがめること。また、自分に責任があると考えること。

 この自責という言葉は、日常生活においても何か失敗をした時に想う場面もあるでしょうし、転職の面接においては会社を辞める理由は自責で話せというアドバイスを示すケースもあります。しかし、自分自身の目の前に起きる事象の中で失敗の事象全てを自責として捉えるのはかえって心が苦しくなるのかもしれません。

 爆笑問題の太田光が著書『今日も猫背で考え中』の中でこういう指摘をしています。

 でもね、自分の選択や行動がもたらした結果に対して「運が悪かった」とか「世の中がわかっていない」だとか、他者の責任にする思考がきらいだということ。人生なんて、「今日の晩飯なにを食う?」から「この仕事はやるべきか否か?」まで、選択の繰り返しなわけでね。そりゃ、選択の結果がいい時もあれば悪い時もある。もしかしたら、選択するという行為に対して苦手意識を持つ人が多いから、占いなどがもてはやされるのかもしれない。でも、”占いに頼る”という行為だって選択のひとつだから。

 逆に言えば、世の中や神様が不公平だなんて思わない代わりに、「手柄も俺だよ」っていうことでもある。爆笑問題で、なにかいいことがあったのなら「手柄は俺たちだよ」っていうね。(原文まま,pp134~135)

 選択の得意・不得意関係なく選択したのは自分だと想い、そこへの不公平感を捨てる代わりに選択がポジティブな結果を生んだ場合にその手柄は自分だ!と思う事で、選択を悲壮なものとして捉えるのではなく自分が望んで選択したんだ!という気持ちになれるというのが自責の正しい解釈の仕方だと私は思います。(だけど、これを具現化するのが本当に難しいんですよねぇ~😢)実際、3話のストーリーで参加したフェスでは1位になれなかったけれども新人特別賞を受賞しました。

3.ギャラクシーの予感?

 第4話のタイトルが「街角ギャラクシー」となっていまして、ギャラクシーはラブライブ!スーパースター!!に登場する主要キャラクターの一人である平安名すみれの決め台詞です。そして、このギャラクシー感が第3話で伏線の如く表れていましたね。例えば

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例えば

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 公式ホームページによると、いざという時に意外な能力を発揮するLiella!のジョーカー的存在と紹介されていて、もうこの段階でも伏線の如く表れていますね(笑)。恐らく第4話はすみれにフォーカスを充てたストーリー展開になっていると思うので、これが完全体な形(Liella!)へと変化していくのか見物ですね。

4.最後に

 テレビ放送のメインがNHKのため、2話から3話までに少々間が空いてしまいましたが、それでもこれだけ面白いというのはなかなかないなと思うのと同時に、プロジェクト側においてもどうやってラブライブ!スーパースター!!の熱を絶やすことなくアニメ放送を終えていくかという点における試行錯誤はさすがだなと思いました。(例:↓)

 そんなこんなで第3話もなかなか興味深く&面白い仕上がりで満足でした!

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